BlueRose-Extra. YourSong (本編読了推奨) |
■1 「素直に呼べばよかったじゃない? 溜め息吐くくらいなら」 ひそめた声で口にしてから、ちょっと冷たかったかな、と後悔した。でもこの台詞を朝から我慢していたので、私的にはかなりスッキリ。彼にとってはイジワルだろうけど、謝るつもりはなし。まったくなし。たたみかけるけどなし。 私の本心だし、彼の図星だろうから。 すぐ隣、同じ向きに座っている彼は軽く睨みを効かせてうらめしそうに言った。 「こういう日にそういう言い方は無いんじゃない?」 同じく、彼も小声だ。 目の前で展開されるパーティに私はあまり熱心じゃない。こういうイベントには消極的な本日の主役2人の為に、友人達が企画・敢行してくれたパーティだった。私たちは主役席に2人、並んで座っている。もちろん、つまらない顔をするわけにはいかない。それを心得ていたからこそ、私は笑顔のまま小声でイジワルを言ったんだし、彼も周囲に気付かれないように軽く睨み返したのだ。 彼はシワひとつない白いスーツを着て、左胸にオレンジ色の花を差している。同じく私はスマートな純白のドレスに同じ花のブーケを持っている。今日は2人の結婚披露宴だった。 正面の雛壇の上では、現在、友人たちのお決まりの出し物が進行中。彼や私の両親と親戚一同はそれを楽しそうに鑑賞したり、こんな機会でもなければ会うことがない血縁と歓談したりしていた。 嬉しいし、幸せだと思う。 たくさんの友人たちが集まってくれた。2人を祝ってくれてる。彼を愛してるし、両親に感謝する。こんな風に生まれて初めて素直でイイコになる日でも。 ごめん。私はあまり、パーティを楽しんではいなかった。 彼本人はきっと、楽しんでいるつもりになってる。───でも朝から彼が、人知れず憂えていること、私は知っていた。その理由も、知っていた。 それが気がかりで、悪いとは思いつつも私は友人をそっちのけで彼のほうばかり気に掛けてる。 「溜め息なんか吐いてないだろ」 「わかるの。私は」 ちょうどその時、彼の男友達がそのまた友人によるギター伴奏にのせて、流行りの歌を歌い始めた。彼がその歌に気を取られたことに、私は気付く。 その曲は、デビュー一年ほどの五人組のバンドの歌で、先月リリースされたばかりのバラードだった。ここ数週間はチャートのトップを飾っている歌だ。わざとらしいほど酔って歌う友人に、周囲は口笛や歓声を投げている。 「…ねぇ」 「ん?」 「気なんか遣わずに、招待状出しとけば良かったと思うわ。来るか来ないかは、ミィちゃんが判断する」 そんなこと言ってももう遅いことはわかってる。でも結局気をもんでいる彼の行動に異を唱える私の気持ちもわかって欲しい。 「その判断もさせたくないから、送らなかったんだよ」 と、彼はもっともらしいことを言う。けど私には言い訳にしか聞こえなくて、正当化する為の理由付けにしか聞こえなくて、ドカンと頭にきた。 「だ、か、らっ。それを決めるのは君じゃないのっ、ミィちゃんなの!」 こらーっ、新郎新婦、記念すべき第一回夫婦喧嘩は旅行から帰ってからにしろー。と、歌い途中の男がそのままマイクで響かせて、会場がドッと沸いた。私たち2人は揃って前を向いて苦笑する。皆の、こちらへの注意を早めに分散するためのごまかしだ。こういうケースに対し、私たちのチームワークはすこぶる良い。 まったく。披露宴でこんなやり取りしてるの、私たちくらいだ。 「…後悔するから」 「そうしたら慰めてくれ」 「甘えるナ」 「その場になってからの譲歩に期待」 私は深い息を吐く。 「しょうがないわね。どうせ君は、ミィちゃんに怒られることは間違いないワケだし」 * * * 「あいつとつきあい始めたってマジ?」 大学時代。同じクラスの男子にそんな風に言われた。あいつ、というのは彼のことだ。 「苦労すると思うな」「どうして?」 「あいつ、姉ちゃんとすげー仲良いんだよ。休みの日とか一緒に出かけるくらい。オレはあの姉弟知ってるから、シスコンという表現はしないでおくけど、恋人としては複雑じゃね?」 「友達としてはどうなの?」 「まー会ってみれば分かるけど、あいつの姉ちゃんはおもしれー人だよ。よく笑うし喋るし、そのヘン、あいつとはあんまし似てないかも」 「つまり、彼は非社交的だと」「いや、社交性が高いのは弟のほう」「なにそれ」 「オレもよーわからん」 ああ、でも。…わかってきた。 標準以上によく笑うわけでもよく喋るわけでもないけど、確かに社交性が高いという意味。 隣を歩いていると、彼のこと、わかってくる。 友人が多い。「うち、田舎だから。近所付き合いとかうるさいんだ。それにこの学校、俺がガキの頃から知ってる連中がすごく多いから」とは、彼の言。 意外にも料理が得意なこと。挨拶がしっかりしてること。 歩幅を合わせてくれること。(これ、できない男は結構多いんだ) 彼の両親にも会った。彼は母親似みたい。父親は農家をやっているだけあって筋骨たくましい人だった。 噂のお姉さんにも会った。初対面のとき、その人懐っこさにビックリした。最初は彼の妹かと思ったくらい、無邪気な笑顔を見せる人だった。 いつか聞いた通り、よく笑いよく喋る人だった。そしてそれが、社交性とイコールでないこともわかってきた。彼女は歳不相応に、裏表無い感情を表に出す人だったので、多分、人によっては退いてしまうこともあるのだろう。 幸い、私は彼女とうまく付き合えていた。ただ、これも聞いていた通り、彼女は彼と仲が良く、姉弟というより、彼の女友達のように見える。 私は彼女のことも好きだから、本当は認めたくはないけど、やっぱり嫉妬してたのかも。 ある夏、彼女が帰ってくるなり 「好きな人できた!」 と、真っ赤な顔で宣言したとき、私はほっとしていた。 ■2 今日の主役の母親である菊枝がアルコールを断り水を頼んだとき、菊江をひそやかに呼びに来た係員がいた。とりあえず着いて来るよう言われて、周囲の雰囲気を気遣いながら菊枝はそっと席を立つ。防音も兼ねている重いドアを開け、通路に出た。新郎新婦の友人達による出し物で盛り上がっている会場内とは対照的に、通路はひっそりとしている。菊枝は騒々しい空間に少し悪酔いしていたので、係員に呼ばれたのはちょうど良かった。ここの空気はとても清々しく思えた。 通路に出て、ようやく係員は用件を口にした。 「あちらの方がお呼びでございます」 その手が示す方向へ、菊枝は目をやった。 「あらぁ!」 目を丸くする。 そこには長い廊下を背にして立つ、頬をふくらませて今にも泣き出しそうな表情の人物がいた。黒髪を肩の上で切り揃え、ピンク色のTシャツにジーンズ姿。化粧っ気もないが、23歳になる菊枝の娘だった。 「……おかーさーん」 その声も小さく震えて、爆発してしまうのをどうにか抑えているような響きがあった。 「よく来れたわねぇ」 「ひどいよー…父さんも母さんもー。私のこと仲間はずれにしてさー…。ひどいよおぉぉお」 堪えきれなくなって、とうとう泣き出した。両手で握り締めたハンカチに顔を落とす。 「やっぱり離れて暮らすなんて嫌だよー…、仕事は辞められないけど、こんなことあるんじゃ、嫌だよー」 「文句はあの子に言ってよ」 「お母さんも同罪だよ、私、すごく、傷ついたっ」 「後で謝るから、早く準備しなさい。───出たいんでしょ?」 「私、すごく怒ってるよ? あの馬鹿、殴ってもいい?」 「明日の結婚式が終わってからにしてちょうだい。婚礼写真で新郎の顔に痣があるなんて母さん嫌だわ。一生残るのに」 菊枝が真顔でそう答えると、娘のさらに後ろで誰かが吹き出した。 「さすが親子ですね」 「ここン家って、かあちゃんも面白いのな」 いくつかの笑い声が重なった。菊枝はもう一度、目を丸くした。 「まぁ! みなさんも、いらっしゃってたの?」 * * * 「こんにちは! 新郎の片桐俊哉の姉で、片桐実也子といいます」 な…っ! と、彼は叫びかけた。いや、実際、叫んでいた。立ち上がりかけて、椅子が派手な音を立てた。しかしそれに気を止めたのは私だけだった。何故なら、彼と同様、皆、雛壇の上のひとりの女性に注目していたからだ。 「なんで来てるんだ…」 彼は呟いた。目を見開き、驚いている。そんな彼を横に、私は冷静に彼女を見ていた。 雛壇の上、マイクの前に単身たたずむ彼女は、多くの視線に見つめられ少し緊張しているようだった。 「あの…、突然ごめんなさい。ここに立たせてくれて、ありがとうございます」 ちょこん、と頭を下げる。 ピンク色のTシャツにジーンズ。招待客でないことは一目瞭然で、今まで会場内にいなかった新郎の姉の登場に会場の客たちは「何やらおもしろそう」と雛壇のほうへ目をやった。 「私は、…えーと、音楽をやってるんですけど、十年くらいひとすじの楽器があります」 息を吸う。 「弟の結婚式で演奏する!っていうのが、───ずっと前から…本当に昔から、ずっと、夢だったんです…」 段々と声が震えて、小さくなって、顔を両手で隠しうつむいてしまった。 「だから…」息を吸う。 「俊哉ッ! 一生、恨むからねっ」 言葉は強かったけれど、声は震えていた。マイクを通して、微かに嗚咽が聞こえた。会場が静まり、彼女の呼吸だけが聞こえる。 私の隣では彼がどうにか動揺を抑え、椅子に座り直していた。 「…相変わらず、泣き虫なんだから」 「泣くよ。そりゃあ」 私は声だけで返す。彼が顔を向けたのがわかったけど、それには合わせなかった。まっすぐ、前を見ていた。 このあたりで、会場のあちこちからひそひそ話が聞こえてきた。ある者は不審そうに、ある者は興奮して。 「あれ…、Blue Roseのミヤコじゃない?」 Blue Roseとは、デビュー一年ほどの五人組のバンドの名前だ。テレビやラジオで彼らの曲を聴かない日はないくらいの人気バンドである。芸能人が何故、こんな地方の一個人の結婚披露宴に来ているのかという思いだろう。数人がざわめき始める。 「私は東京で仕事をしてるんですけど、忙しいだろうからって、気を遣ってくれたみたいで…。弟のヤツは、今日のこと全然教えてくれなかったんです。もう少しで私の夢が潰れるところだったわけだから、…恨まれるくらいは覚悟してるよねぇ、俊くん」 今度は会場中の視線が彼に集まった。 彼女もこちらを見ていた。ただ、見ているのは彼じゃない。私だった。彼女は目に涙を溜めた顔で笑うと、マイクに向かって言った。 「だから今朝、連絡をくれた花嫁さんには、一生、感謝します」 「え…?」 隣から彼に腕を掴まれた。ちょっと痛かったけど、私は軽く笑って見せた。 「今朝、電話したの」 「なんでっ?」 「ミィちゃんに知らせてないこと、君、後悔するってわかってたから」 今朝、悲鳴とともに、先ほど語られた実也子の夢も聞いたので、私は式場の人に彼女の楽器を用意しておいてくれないか頼んだ。急いでやってくるとしたら、あんな大きな楽器を運ぶのは骨だろうから。 その甲斐あって、今、彼女は式場から借りた楽器を手にして、調音を始めていた。コントラバスの低い音が響く。「やっぱ、Blue Roseだよっ」という声がどこからか聞こえた。 「でも本当に来るとは思わなかった」 電話で知らせて、楽器を手筈してもらったときでさえも。彼女がここへ来るのは五分だろうと思ってた。 「2人のために、一曲やらせてもらいますっ」 コントラバス用の背の高い椅子に座り、彼女は最後に弓を整えた。 「イギリスの作曲家エルガーの、愛の挨拶=v さっきまで今にも泣き出しそうだったのに、楽器を構えたその表情は落ち着いて、集中するのがわかった。 騒いでいた客も静かになった。 呼吸が聞こえたほど、静かだった。 のどかできれいな曲。彼女のクラシックを私は久しぶりに聴いた。 私は彼女のことを好きで、そして少しの嫉妬も持ってた。 音楽という表現手段が彼女にはあること、それで生活していること。うらやましかった。 あこがれてた。素直に泣けること。自分が感じたことを言わずにはいられない正直なところも。 ふと、隣を見ると、彼も彼女を見ている。 ああ、彼も同じなんだって気づいたとき、私は妙に納得した。 彼はこっち側の人間なんだと知ったとき、私は安心した。 演奏が終わり、私たちの席に歩み寄ってきた彼女は、彼を睨みつけ私には笑いかけ祝いの声をかけた。 「結婚おめでとう」 「実也…」 「言ったとおり、一生恨むから! 覚えときなさいよっ」 「ミィちゃん、久しぶり」 「久しぶりっ。言ったとおり、一生感謝するよん。ありがとう!」 「どういたしまして」 「実也、今日仕事だったんじゃ」 「これくらいで驚いてるよーじゃあ、張り合いないなぁ。皆も来てるんだけど」 「…は?」 雛壇の上に、今度はドラムやキーボードがセッティングされているのが見えた。 * * * 「はじめましてー。さっき演奏したミヤはトシの姉ちゃんだけど、俺らはミヤの職場の同僚でっす。よろしく!」 場慣れしているような挨拶でマイクを握る少年と、ドラム担当、キーボード担当、そして彼女が雛壇に上がった。 「うそぉ! Blue Roseだよーっ! 本物の!」 「何でこんなトコロにいるんだぁ?」 「そうそう。Blue Roseのコピーバンドもやってんの。だから、あんまり騒がないでやって。俺らは、新郎の、姉の、職場の、同僚。そこんとこよろしく」 後ろではコントラバスがキーボードに合わせて調音し直している。 「えーと、まずは主役の2人に。結婚おめでとう! 今朝、初めて聞いてビビったぜ。いや、トシに彼女がいるのはミヤから聞いてたけどさ。そうそう、今朝、ミヤが彼女から電話もらったみたいで。電話を切るなり『俊くんが結婚しちゃう〜』…なんだそりゃ、って」 「圭ちゃん! バラすなー」 「そのまま一人で行かせたら、逆方向の新幹線にも乗りかねなかったんで、俺らも付き添いでここまで来ちゃいました。来ちゃったついでに一曲演らせてもらおうって魂胆です」 客席中程の誰かが叫んだ。 「おーい! 職場の同僚、もう1人いるんじゃねーのっ」 「オレの勘からすると、中野ってヤツ!」 「おっ。お兄さん達、すげー鋭い勘。確かにもう1人いるんだけど、ちょっとノロマな奴だから。…あ、来た来た」 「誰がノロマだっ!」 「だってそーじゃん。楽器手配するのに時間くってたんだろ」 「相性にうるさいの、俺は」 「弘法、筆を択ばず」 「やかましっ」 コミックバンドか? と誰かが言って、会場中が笑いに包まれた。 そして。 自称「Blue Roseのコピーバンド」の彼らの演奏が始まった。 普段はCDで聴く曲を、生演奏で聴いたのはこれが初めてだった。 ふぅ、と私は息を吐いた。それが聞こえたらしく、彼は顔を向ける。「どした?」 「ミィちゃんて…やっぱ、ただ者じゃないよね」 私は泣いていた。 「ほんと、尊敬しちゃう」 人前で泣くなんて何年ぶりだろう。 彼が白いハンカチを差し出した。化粧がぐちゃぐちゃになる!と心配しているあたり、私は確かにこちら側の人間だ。彼女とは違う。 でも、それも悪くない。 今、演奏している彼女がまぶしく見える。それも、悪くないな。 「好きだなぁ…」 「コラコラ、結婚するのは俺」「拗ねなくても」「拗ねるよ!」 その様子がおかしくて、私は口を開けて笑った。 泣きながら笑うなんて何年ぶりだろう。 それはとても幸せな気分だった。 |
BlueRose-Extra. YourSong END |