BlueRose-Extra. Kanon (本編,ロンドンデリーの歌 読了推奨) |
夢を見たあの日を忘れない はじめて誓った日 空を向いて風を受け止めて 明日へと翔る 誰にでもあるだろ。 若気の至り、やさぐれているときに出会った歌。 反抗期と世間では言うけれど、あの頃感じていたのは寄り辺の無い不安と苛立ちばかり、己の言動への嫌悪、この生に価値を見いだせず意固地になる気持ち───それを溶かしたもの。 耳を通り過ぎるだけでなく、琴線に触れ、泣き出してしまった自分。それは共感だったり、共有だったり、未来を夢見せてくれたりする。支えとなり、孤独を埋めるもの。 誰にでもあるだろう。 俺にとってのそれがB.R.(ビーアール)だったように。 ■1 「へぇ、B.R.なんて聴くんだぁ、意外」 俺のポータブルプレイヤーを覗き込んだ隣の席の女子が話しかけてきた。5限開始まであと10分、もう一眠りできるというのに。…普通、イヤホンして寝てる人間に声かけるか? 空気の読めない女だ。 「…意外ってなんだよ」 相手は俺が起きてると判っていて声をかけているのだ。恥をかかせないために返事をしてやる。しかしそんな俺の気遣いにはきっと気付いてない、この女は馴れ馴れしい口調で失礼なことを言った。 「だってあんた、インテリぶってて歌謡曲なんて聴きませんってカンジするもん」 「偏見だな」 「休み時間は大抵なんか聴いてるけど、それ、あからさまな人除けだよね」 「悪ぃかよ」 判ってるなら話しかけるな、と言いたい。 「ううん、ただ聴いてるのがB.R.っていうのが意外だっただけ。MHK講座でも聞いてるのかと思ったから」 その台詞は可笑しくて、思わず吹き出してしまった。 「なんだ、それ」 「私も好きなんだ、B.R.」 「あ、俺、B.R.について誰かと語り合おうって気ないから」 「孤高のファンを気取ってるわけだ」 「おまえ、俺に喧嘩売ってる?」 そこで初めて顔を上げる。女は肘をついた手のひらに形の良い顎を乗せてにっこり笑っていた。 「売ってる」 その、最悪な印象を与えた隣の席の女とは、何の因果か高校生活3年間、同じクラスだった。 「だからって、何で大学まで同じなの? 信じらんない、マネしないでくれる?」 この3年の間に「彼女」という肩書きがついた女は、模試の判定結果を右手に握りしめ、やっぱり机に伏して寝ていた俺の頭の上から遠慮無く声をかける。 「あんた、静岡って言ってなかったっけ? 遠恋ってシチュが体験できると思ったのに何なの!?」 がたん、と派手な音をたてて前の席の椅子に勝手に腰掛ける。いつまで経っても煩い女だ。 「…いっとくけどな」 「なによ」 「俺ははじめから、第一志望は地元なの。マネした云々はこっちの台詞だボケ」 「私がマネしたって言うの? 寒いこと言わないでくれる? な、ん、で、私が好きこのんで大学行ってまであんたと顔合わせようとすると思うわけ? よしんば、あんたとの腐れ縁が続いても、青春を謳歌する自由はあるべきでしょ?」 あーもー煩い。イチ言えばジュウ返ってくるんだから、下手に言い返すんじゃなかった。…なんて、思っていたら、 「2人ともうっさい!!」 と、同列視されてしまった。心外だ、それは。 「これだから倦怠期も過ぎてる夫婦は…」 外野の声に、煩い女は静まるどころか逆に胸をそらし声を高めた。 「そうよ、旦那が単身赴任中に遊ぼーって思ってたんだよ? それなのに地元? 同じ大学? 私の青春を返せっつーの」 「…」 付き合ってられん。俺はまた机に伏した。イヤホンを片耳だけはめる。今は眠い。 髪をつんとひっぱられた。無理に起こす気はないらしく、力は入ってない。伏したまま、問答の続きを返してやった。 「…おまえは、浮気したいなら俺がいてもするだろ、勝手にやってろ」 「しないよ」 その声も小さい。夫婦漫才にも飽きたのか。 「ともかく、まずは2人とも受からなきゃね」 「だな」 イヤホンの片割れを取られた。 「最近は何聴いてんの? …またB.R.?」 「あぁ」 「そりゃ、私も好きだけどさ。あんたほど重症じゃないよね」 半分、寝かけている俺の髪をいじりながら囁く。それが思いのほか気持ち良く、日差しが暖かいのも手伝ってさらに深く微睡んでいく。 「B.R.の、何が好き?」 そう訊かれたので、 「…好きっていうか───」 そのとき初めて、俺はB.R.に関して他人に語った。B.R.の歌、その曲について思うところを。 B.R.の歌はジャンル分けすると、「ロック調J-POP」と言われている。夏にのみリリースされるためか夏の歌ばっかだし、曲も明るく賑やか。だけど。 俺は夏になるとB.R.の歌を楽しみにしている。けれど、それを聴いた後は悲しくなることを、聴く前からわかっていた。なぜなら。 淋しい、と叫んでいる。いつも。その歌は。 世評を聞いてる限りじゃ、んなことは勿論言ってない。歌詞なんてものはどれも端的に書かれているから、描写は曖昧で、受け取りようによってはいくらでも解釈できる。 俺は、B.R.の歌はどうしようもない孤独を叫んでいるように聴こえた。 B.R.の作詞作曲担当は、Kanon。 その人物が世間受けの良い詞曲を狙って書いているかは知らないが、ならば何故、そんな心情を埋め込む必要がある? 俺のB.R.の詞の解釈が、大いに間違っているかもということは十分考えられる。けれど。 ぽん、とさほど大きくない手が俺の頭を軽く叩いた。 「あんたが気に掛けてるのはB.R.じゃないんだね」 予鈴が鳴った。 「Kanonなんだね」 ■2 ぴんぽ〜ん と、ヤツの家のチャイムを鳴らしても、誰も出てこなかった。迎えに来させておいて、一体どういう了見だろう。まったく。 割と古めの平屋に今は人の気配が無い。いつもなら、やたら元気な爺さんとやたら若いおばさんがいるはずなのにそれもいないようだ。こんなことなら駐車場に車を置いてくるんじゃなかった。徒歩1分でも徒労は徒労だ。この辺りは駐車禁止なのでしょうがないものはしょうがないのだけど。 夕飯は奢らせようと決めて、文句を言おうと携帯電話を取り出そうとした、そのとき、 「いらっしゃい。待たせてごめんなさいね」 と、背後からやたら若いおばさん(もちろん、ヤツではない)が現れた。近所に出かけていたというような軽装だった。 「こんにちは。今日、お爺さんもいないんですか?」 「そうなの。それとあの子もね、ちょっとお買い物頼んじゃったの。ちょっと待っててくれる?」 4年も付き合ってれば家族と気安くもなる。おばさんは玄関の鍵だけを開けると、扉を開けずに、庭先のほうへ行ってしまった。勝手に入ってろ、ということだろう。 三和土を上がると微かに線香の匂い。いつもの癖で、奥のヤツの部屋へ進みそうになったが、ヤツは自分がいないとき部屋に侵入されるのを大層嫌がるので(何を隠してるんだ?)、途中の居間へ入らせてもらうことにする。 ガラスが埋め込まれた引き戸を開け、敷居を跨いだあと、 「…ぁ?」 ぎょっとした。 床敷き(フローリングとはニュアンスが違う)の部屋に不釣り合いな黒革のソファ、応接間───いや、それは見知った部屋なのだけど───そのソファの上で子供が寝ていたのだ。 (だれっ) ツッコミにも似た驚きを心の内で思う(俺はあまり感情を表に出さない人間なのだ)。 おばさんが来るより前は玄関に鍵がかかっていたし、そうだ、おばさんは家に誰もいないと言ってはいなかったか? (居眠り強盗?) そんな阿呆なことを想像してる暇はないというのに。 そっと近寄ってみる。中学生くらいだろうか、少年が四肢を投げだし毛布一枚で寝ている。どこかで見た顔だが気のせいだろう。起こすべきだろうか? いや、でも気持ちよさそうに寝ているのでそれも忍びない。おばさんを呼んでこよう、とようやく思い立ったとき、へくち、と小さなくしゃみが聞こえた。寒いのだろうか、毛布にくるまったまま、むくりと少年が起きあがった。 少年は寝ぼけているのか首を振って室内を見回す。その視線は壁掛け時計で一旦止まった。次にカレンダー、テレビ、新聞ときて、その視線は俺にぶち当たる。 「…だれ?」 おまえこそ誰だ。 まだ寝ぼけている少年と5秒ばかり対峙した。 気のせいと思っていたが、やっぱり知ってる顔だった。 そのとき、 「あらケイくん、来てたの?」 俺の背後からおばさんがやって来た。どうやら少年は強盗では無いらしい。 「うん」少年は目をこすりながら答える。「…じぃちゃんは? 本、返しにきたのに、いねーんだもん」 おばさんは奥のふすまを開け、台所で自分の仕事を始めた。声だけが返る。 「おじいちゃんは一昨日から旅行」 「どこ?」 「長崎」 「電話あったら、カステラ食いたいって言っておいて。抹茶の」 「はいはい。ところで今日は? ご飯食べてく?」 「食べる。───香子は?」 「すぐ帰ってくるわ。でも出かけるみたいよ、彼氏が来てるから」 少年の視線が突っ立ったままの俺のほうへ戻った。ぽん、と手を叩く。 「あー、あんたが香子のカレシ?」 と指先を向けてくる。失礼なヤツだ。 おばさんが、やれやれと溜息を吐いた。 「ケイくんは初対面の人への態度を学びなさい」 「よく言われる」 「修さん、厳しいもんね」 「いや、親父じゃなくて、浩太とか…あ、ギターのやつ」 そこでやっと、俺は声を出すタイミングを得た。愕然とするあまり喋れなかったのだ、珍しいことに。 「───小林圭?」 その見たことのある顔の人物の名前を呼んでみると、 「ん?」 と、頓着なく反応する。どうやら本人らしい。 「BlueRoseの?」 そう訊いた声は少し強くなってしまった。少年はぽりぽりと頭を掻く。 「あれ、まずった?」 一方、おばさんも意外そうに、 「聞いてなかったの?」 と言う始末。 「何を───」 誰から。 そして恐らくその張本人であろう人物が玄関からやって来た。 「ただいまーっ」 おばさんの娘───なんて遠回しな言い方しなくてもヤツだ───が、ぱたぱたと駆けてくる。ヤツは居間の入り口で突っ立っていた俺をみとめた。「おっと」そのまま駆けてきた勢いで俺の横腹に体当たりする。とりあえずそれを受けとめた。 「ごめん、待った?」 「いや」 「すぐ支度するから。あ、母さん、はいコレ。───っと、あれ、圭、来てたんだ」 「よぉ」 ソファの上の少年が手を上げて返す。 「そうだ、おじさんから連絡あったよ、ひーちゃんがこっちにいる間に3人でひーちゃんの実家に行こうって。休める日、連絡しときなよ」 「わーった」 ヤツは伝言を終えてそのまま踵を返してしまう。あのなぁ。とりあえず呼び止めるしかないだろう。 「小林」 「なに?」「ん?」 と、ヤツと少年が同時に振り返る。…確かに2人とも小林姓だ。 不自然な沈黙の後、ようやく気付いたらしく、 「……ぁ」 と、顔を歪めたヤツの呟きが聞こえた。 * 「えっと」 と、かしこまってソファに座る小林(香子のほう)。俺も隣に座って、何故かBlueRoseのボーカル・小林圭と向かい合うことになった。 「私の従弟の圭。…圭、こっちは私の彼氏」 圭は興味深そうにこちらを覗き込んでくる。 「BlueRoseファンの?」 「そう」 そんなことまで話してたのか、おまえは。 「ども、小林圭です。香子のイトコ」 「…はじめまして」 一通りの紹介だけ済ませて、小林(香子)は支度があるから、と自室へ行ってしまった。 「えっと、今日は休みなんだ?」 「そう、先週ライブだったから、その息抜き」 「あ、それ行った。小林…香子と」 苗字が同じというのは不便なものだ。あいつのことを名前で呼んだことなんか無いのに。 圭はあぐらをかいた姿勢でにかっと笑った。 「ども。いつもの休みなら、みんなと遊びに行ったりするんだけど、今日は都合合わなくてさ」 「他のメンバーと一緒に遊びに行ったりする?」 「よく行くぜ」 そこで気になったことを訊いてみた。 「Kanonも?」 「…」 圭は表情を固めて黙ってしまった。 BlueRoseの作詞作曲担当、Kanon。この人物について衆目には一切明かにされてない。その歌を唄っている圭がKanonを知らないはずはないだろうから、口を噤んだということはやはり意識的に隠されている存在なのかも。 そもそもKanonという人物は存在しない、という説もある。BlueRose(5人いる)のメンバーらが持ち寄っているとか作り込んでいるとか、複数のライターを起用しているとか。 でもKanonは一人の人間だと思う。統一された視点があるから。 圭が返答に迷っていたので、先ほどの質問は取り下げた。 「ごめん、実を言うと、俺はKanonに興味あるから」 「どっちの?」 「は?」 「っと、何でもない。どして?」 「どうしてって訊かれても…、。あー、答えられる範囲だったら教えて欲しいんだけど」 「ん、いいよ」 「Kanonって子供じゃない? 俺よりは下だと思う」 「子供」 圭は目を丸くした。「なんで」 「なんでだろ。たまに、表現がストレート過ぎるっていうか、本音を隠しきれてないというか」 「あんた、面白いのな。売ってる歌は所詮、商品じゃん。本音も何も、作ってるやつは仕事だ」 「君が言うと重みがあるなー。でも、本心じゃないんだろ」 「ばれた?」 「文字による自己実現は人生の切り売りだと思ってるんだよね、基本的に。そういう観点で聴くと、子供なのかな、って───あ、悪い意味じゃない」 「ということは、俺がKanonだという可能性も有りか」 面白そうに笑う。 「それは違うみたいだ」 「はっきり言うなぁ」 「なんとなく」 そこで横やりを入れてきた声があった。 「こいつはKanonに傾倒してんのよ、昔っから」 着替えを済ませて戻ってきた小林(香子…ってあーもう面倒くさい)が俺の隣に座る。 「それにあんたの勘は当てにならないじゃん、B.R.のボーカルも結局男だったわけだし」 「それを言うな」 それは俺の人生の黒歴史。 出かける時間だったので、その場を後にする。圭は「またな」と手を振った。殺人的に忙しいと聞く芸能人である圭とまた会うことがあるかは、ちょっと疑問。でも手を振り返しておく。 「最初の質問だけど」 と、圭が声をかける。 「なんだっけ?」 「Kanonは俺達と遊びに行くことはないよ」 「…そうか」 「俺らが押しかけることはあるけどな」 「そうか」 よかった。そう思えた。 どこかでKanonの心配をしていた俺は、もしかしたら自惚れていたのかもしれない。 Kanonの歌を唄う圭が、Kanonの気持ちを解ってないはずないのに。 * * * 赤い赤い西へ走っていく雲に 黒さえ ついていったから 君は白い壁の向こうへ 僕だけ 青い空を夢見た 外へ出ると夕暮れ時だった。秋らしい赤い空が広がっている。ふと、BlueRoseの歌の一節を思い出して苦笑した。なんだかんだ言っても、やはりBlueRoseの歌が好きなんだろな、俺は。 ブーツを履くのに手間取っている小林(香)を待つ。先に外に出て門柱に背をかけると、そこに「小林」と書かれた表札を見つけた。いや、ここへ来る度に見ていたはずのものだが。 小林香子と小林圭の関連については少しも、想像さえしなかった。よくある苗字だし。芸能人なんて所詮、メディアの中の存在だし。実際に会ってみれば、意外とフツーで。まぁ、それを芸能人一般に当てはめるのはどうかと思うが。 「Kanonは孤独だ、ってやつ?」 やっと外に出てきた小林が言う。 「ん?」 とりあえず時間が迫っているので、駐車場に向かって歩き出した。少し遅れて小林がついてくる。 「圭に言いかけてたでしょ? さっき」 「…あぁ。そうだな。やっぱ今でも、俺が受け取るKanonの歌は“淋しい”って言ってるように聴こえるよ。それと」 「それと?」 「世界はきれいだって、言ってる」 「…なにそれ」 おそらく茶化そうとしただろう小林は、俺の笑わない顔を見て、そう言うに留めた。いい判断だ。 手を差し伸べると小林は珍しく素直にそれを取った。駐車場まではあと2ブロック。並んで歩くために歩幅を合わせてやる。 Kanonは独りだ。孤独を感じてる。でもそれ以上に己を囲む世界が愛しい、それは歌詞の端々から感じられる。その美しさに慰められているのだろう。 この、赤い空と町と、流れていく雲を、どこかで眺めているのだろう。 「でも、ま、今はそれほど淋しいってわけじゃないかもな」 「どうして?」 小さく呟いた俺の言葉を耳ざとく拾って、小林は俺を見上げる。それに視線で答えてやって、 「圭たちがいるからさ」 背後に目をやると、夜の空が迫ってきていた。目眩を覚えるようなコントラスト。 きっとKanonも、この空を見上げているだろう。 |
BlueRose-Extra. Kanon END |