御園調査事務所(御園真琴,三佳/13話読了推奨) |
■1 その日、昼下がりの午後。 御園調査事務所の所長・御園真琴(みそのまこと)はひとり、目の前に積まれた書類に読み通すことに飽いていた。頬杖をつき、右手の指で万年筆を器用に回転させながら瞑目している。 ひとり、というのは現在の自らの仕事に手を止めているのは真琴だけだという意味であって、室内に誰もいないというわけではない。 「所長」 大きくは無いが強く高い声を投げられて、真琴は慌てて手元の紙きれに視線を戻した。他の誰かに手伝わせようとしたが、生憎、皆出払っていた。 ───どんな仕事でもそれが組織ならば書類は出回るものだ。1円でも経費を使えば伝票を切らなくてはいけないし、依頼ひとつとっても依頼書、見積書、工程表に進捗報告、結果報告などなどなど。電子化(死語)が進んでいるとは言え、森林資源を侵す紙の束は未だ健在だ。馬鹿らしい、と真琴は思う。本来の仕事を凌駕するデスクワークなど本末転倒ではないか。 「けれど、体系化した組織を稼働させるには必要なものですわ」 とは、真琴の秘書・まりえの言。 彼女はこの事務所の主要戦力で、一日の大半を専用のパソコンと向き合っている。今も、真琴の隣のデスクでモニタを睨んでいた。 彼女は呆れたように言う。 「阿達さんと的場さんも、同じことをなさっているのでしょう? しっかりなさってください」 「あの2人は、こういう仕事が性に合ってるのさ」 阿達史緒と的場文隆は真琴と同年代で同じような仕事の同じような立場にいる。あの2人は仲間の上に立ち、それらを統率する役割をこなしている。 「僕はまりえがいなかったら何もできないからね」 「光栄ですわ」まりえは美しく微笑う。「けれど、書類の数は減りませんから」 「しかし時間稼ぎにはなる」 「…本日はアポが入ってましたね」 「そう。もう時間だ」 デスクワークを放棄できる正当な理由ができたわけだ。真琴は嬉々として万年筆を放り出し、両手を上げて伸びをした。 「人を捜して欲しいんです」 時間通りにやってきた依頼人はそう切り出した。 2人の女子大生。珍しい取り合わせだ。 「三ヶ月前から捜し始めて…このテの事務所を十件以上回ったんですけど、全部断わられて…そんな少ない情報からじゃ無理だって言われて…。あの、お願いしますっ。どうしても会って、お礼を言いたいんです」 そんな風に情に訴えれば調査結果が変わるとでも信じているのだろうか。これは目の前の彼女らを責めているわけではない。依頼人というものの大半は感情的な台詞を残していくものだ。 真琴は頬杖をついて事務的に訊いた。 「うちの事務所にはどうやって?」 「先週、伺った興信所の方に紹介されました。…ここは、人捜しには強いからって」 「なんてトコ?」 依頼人のひとりが答える。その回答を自分の記憶と照会するより先に真琴は口にした。「まりえ」 そして返る声がある。 「TIAの参加団体のひとつです。格下といえば格下ですけど、比較的こちらには協力的です」 「ふーん。───…ああ、どうぞ楽にしてください。今、お茶を淹れますから」 そう言って所長自ら席を立った。 人(所在)捜し。 用途種別は多々あるが、例えば。 とある電話番号がひとつ、ここにあるとする。その電話番号がどこの誰のものか、調べるのは比較的容易だ。まずその番号を見ただけで、地区は割り出せる。問題は下4桁だが、何の事は無い。その番号に直接電話をかけて、「○×運送です。お宅宛てに荷物が届いているのですが住所が薄くて読みづらいんですよ」と言えば大抵は教えてくれる。実際、この手を使っている調査機関は多々ある。 携帯電話の番号の場合。事業者識別番号は総務省が公開しているのでキャリア(電話会社)はすぐに判る。そして大抵の調査会社は各電話会社に内通者を確保している。依頼人からもらう調査料のうち数パーセントをマージンとして渡せば、内通者から契約者名と住所くらいはすぐに得ることができる。───ただ、これがPHSになると調査料金が割高になる場合が多い。これはPHSが後発のサービスなだけに、セキュリティが確立してから設立された会社が多いため、内通者を得るのが困難だからだという。 ───電話番号というある意味ユニークナンバーともいえるものを例にとったが、このような捜索条件がある調査は本当に容易いものだ。 以前、阿達史緒が風貌描写だけをたよりに依頼してきたことがあり、信じ難いことだが、見つけてしまったことがあった。それだってかなり無茶をして候補を数千に絞ったのだ。その後の史緒の根気に運が味方しただけのこと。 人捜しを依頼するなら、いかに客観的なデータを提示できるかが成功の鍵となる。 「私、心臓に持病があって…あ、いや、発作は数年に一度だし、それ以外は健康そのものなんでアレですけど」 と、依頼人は切り出した。この場合、アレとは何かと尋ねないのが現代用語における嗜みだ。 「三ヶ月前にその発作がきたんです。最悪なことに山手線の中で。───そのときに助けてくれた子がいて、その子を捜してもらいたいんです」 「その方の名前とか電話番号とか、訊きましたか?」 「…いえ」 「でしょうね」 それを知ってればこんな場所に来ないだろう。 「失礼ですが、次に会ったときその方だと判る自信はありますか?」 「えっと、私はあやふやなんですけど…この子が」 そう言って、隣に座る連れに目をやる。 「あ、はい。私、覚えてます」 「あなたは?」 真琴の問いに依頼人のほうが答えた。 「彼女は私の友人で、発作が起きたとき一緒にいたんです。あの子とも話してます」 ふと、違和感をおぼえて真琴は顔を上げる。 「あの子、ってことは、その方はあなたより年下なんですか?」 「…ええ、まあ」 何故か言いにくそうに依頼人はうつむいた。くの、とその連れが横から声をかける。それに促されるように依頼人は顔を上げた。 「あの…これはどこの興信所でも信じてもらえなかったんですけど───その子、10歳前後の女の子なんです!」 「…はい?」 かなり遅れて真琴は訝しげな声を返した。 「本当なんです。なんか…普通の子供じゃないっていうか、くのが倒れたときも、いち早く動いて救急車を呼ぶよう指示したのも、くのを寝かせてくれたのもその子なんです」 「そう! それに心拍数計ったり、私が持ってた薬から病名を当てたりして。そういうことに詳しいみたいでした」 依頼人は勢いに乗ったのか、2人で確認し合うようにその人物像を話し始めた。 「それにもの凄く生意気で、喋り方も命令口調で偉そうで」 「周りの人達も思わず従っちゃうような強引さがあって」 ふつりとデータを打ち込んでいた手を止めて、まりえが眉根を顰めた。 真琴も、いつのまにか腕を組んで下を向いている。 「救急隊員もびっくりしてました。的確かつ正確に状況と病状を説明をしたあの子供は何者だ、って…」 ぴくり、と真琴の肩が揺れた。「…っ」微かに漏れた声のあと、 「あーはっはっはっは」 突然、真琴が大声で笑い出した。腹を抱えて机に伏して、おそらく涙を滲ませているだろう、そんな笑い方だった。声が収まった後も笑いは収まらないらしく、苦しそうな息遣いが室内に響いた。 依頼人2人は呆然とし、まりえは嘆息する。 「所長、失礼ですよ」 まりえの諫言に真琴は震える声を抑え、顔を上げて答えた。 「却下だ。これが笑わずにいられる?」 語尾が震えていた。まだ笑っているようだ。 「あの…っ」依頼人が声を荒げる。「私たち嘘ついてません。本当にそういう子供だったんです」 どこの興信所でも信じて貰えなかった、と彼女らは言った。けれど真琴の場合、信じる信じないは関係無い。そんな少ない情報からでは無理だと進言し依頼を断るつもりだった。ついさっきまでは。 「失礼、お嬢さん方。僕が笑ったのは、そういう意味ではありません」 ようやく息を整え、真琴は依頼人に優しく声をかけた。 「その女の子、20歳くらいの男性が一緒に居たでしょう?」 「…いいえ。連れがいるようには見えませんでした」 「そう? おかしいな、それが一番の特徴なのに」 そのとき、今まで依頼人には声をかけずにいたまりえが口を挟んだ。 「その方が乗車されたのは秋葉原でしょう?」 「さぁ…それはわかりません。でも、そうですね…発作を起こしたのは秋葉原を過ぎてすぐだったから…その可能性はあります」 すると今度は真琴に向かって、 「峰倉薬業の帰路なら、彼がいなくても不思議ではありません」 「なるほど。どう思う?」 「そういう小学生が、2人も存在するとは思えません」 「だよね」 真琴は椅子に背をかけてほくそ笑む。その様子にさすがに感じるものがあったのか依頼人は期待の眼差しをもって訊いた。 「あの、まさかご存じなんですか?」 「───いいえ」 にこやかに笑いながらきっぱりと真琴は否定した。 「さて、どうしようか」 疑問調では無かったが、当然のようにまりえが答えた。 「来いと言われて大人しく来るかどうか疑問があります。仕事だと言っても、まず怪しむでしょうね」 「事情を話したらどうだろう」 「逆効果だと思われます。ご自分の能力を損得考えずに使う方ですけど、面と向かって感謝されることに抵抗を覚えるのではないでしょうか。きっと彼にも誰にも話してないでしょう」 「清々しいまでの自分勝手な自己満足だ。───じゃあ、釣ろう」 「餌が必要になりますわね」 「餌は大人しく来てくれるかな」 「彼に騙ったら長く根に持たれます。けれど、こちらは仕事なら来てくださるでしょう」 「では餌に仕事を頼む」 「異存ありません」 その一連の会話の間、真琴とまりえは一度として目を合わせなかった。どちらもまるで声だけの存在と会話しているように見えた。 続けて真琴は依頼人に向かう。 「君たち、今日、時間ある?」 「え? あ、はい」 「今から───…そうだな、40分後くらいに今回の件に関して重要な意味を成す書類が届きます。その間、待っててもらえませんか。ここじゃ居心地が悪いだろうから、外に出てもらっても構いません」 * 依頼人が出て行った後、真琴はすぐに電話を取った。 「───もしもし、御園です。突然だけど、今日、七瀬くんと島田さんを貸してもらえない? これは正式な依頼だから請求書は後で送ってよ。それとこの間の書類、裁可してくれた? それを七瀬くんたちに届けてもらいたい。…あ、いや、メールでもいいんだけどさ、原紙が必要なんだ。頼んだよ、これは正式な依頼だ」 最後に繰り返したのは、必ず2人で来させるよう含んだものだった。 まりえは冷やかすように言う。 「紙の束が役に立ちましたわね」 真琴は肩をすぼめた。 「そうだね。今度から、礼を尽くしてもう少し真面目にデスクワークに励むとしよう」 ■2 依頼人たちは30分で事務所に戻ってきた。「重要な意味を成す書類」は未だ届いていない。 「あのぅ、やっぱりご存じなんじゃないんですか?」 「何がです?」 真琴は別の書類に目を通していた。 「私たちが捜している子についてです」 「いいえ」 「でも」 真琴は顔を上げた。 「あなた方はその子の名前も住所も電話番号も知らない。あなた方の主観でその子の振る舞いや風貌を語られても、僕はあなた方の視点でしか、その子を視ることしかできない。偶然、同一人物を僕が知っていたとしてもその内容はまったく別のものになると思いませんか。───もし、その子の名前を出されたら、僕はその子を知っていると答えることができる。しかしあなた方の主観に対し安易に同調することは僕は絶対にしない。どんなに似通った人物を知っていたとしても、です。不確定要素を含む調査報告は僕が一番嫌うところです。…ま、例外もありますがね」 つまらなそうに肩をすくませる真琴。けれど強い声での発言に怖じ気づき、依頼人はそれ以上に追求をしなかった。 そのとき、ドアを叩く音が響いた。 来たか、と小さく真琴が呟く。まりえが立ち上がりドアのほうへ歩いた。 依頼人は少しの可能性を棄てきれず期待の眼差しを向ける。 「どうぞ。ようこそいらっしゃいました」 まりえがドアを開けると、そこから現れたのは20歳くらいの青年だった。 「七瀬です。失礼します」 茶封筒を持った青年が入室してくる。 依頼人は期待が外れて明らかに落胆していた。真琴とまりえの会話から重要な人物───もしかしたら被捜索人がやってくるのではないかと思っていたからだ。 その依頼人を面白そうに眺め、真琴は青年───七瀬司に声をかけた。 「やぁ、待ってたよ。わざわざありがとう」 司は白い杖を突いて歩く。彼の障害に気付くまでの間、依頼人はその動作を目で追っていた。 再びドアのほうへ、真琴は声をかけた。 「島田さんも、ありがとう。…どうしたの、入ってよ」 もうひとりいたのか、と、依頼人がドアのほうへ再び振り返る。 そこには利発そうな表情の小さな女の子が立っていた。 「来客中なんじゃないのか?」 と、依頼人のほうを顎で示す。気を遣っているようだが態度はでかい。 真琴はニヤリと笑った。 「君のお客さんだよ」 「…え?」 依頼人に向き直る女の子───島田三佳。 その依頼人2人は大きく目を見開き、大きく息を吸った。そして大きく声をあげる。 「この子だーッ!」 2人して三佳を指さした。 「は?」 訳が判らず三佳は2人からの声と指に狼狽えていた。 三ヶ月間、ひとりの人間を捜し続けた依頼人は感無量であろう。見つかるか判らないモノを探し続けることは想像以上の苦痛と覚悟が伴う。だからこそ、それを見つけたときの感動は、探し続けた者の特権なのだ。 「どういうことなんです?」 司が真琴に訊いた。 「ゆっくり説明するよ。───いやあ、それにしても、依頼人がこんな風に喜ぶ顔を見るのが、この仕事の醍醐味だよね」 満足そうに笑う真琴の後ろからまりえは声をかける。 「演出が過ぎるのは所長の趣味でしょう?」 真琴は振り返って言った。 「そりゃあ、同じ仕事をするなら楽しいほうがいいじゃない」 |
了 御園調査事務所 |