/BR/BlueRose
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「すごいね! …ぼくはここから出られないけど、外はとっても、たくさんの人たちが思い合ってるんだね。外はそんななんだね」
 少年の顔が歪んだ。
「キクはどんな病気?」
 そう問われて、希玖は頓着無く答える。まるで他人事のように。
「ぼくもよくわかんない。でも、すごく疲れやすくて、起きてられない病気なんだって」
 実際、希玖は生まれて8年経っても自分の病気をうまく理解できないでいた。両親や医師は大仰に言う。確かに、時々、意識を失い倒れることもあるけど(これを発作と言うらしい)、他の病気の子のように苦しむことも無いし、身体が痛いと感じることも無い。
「起きていられない?」
「他のヒトより、たくさん寝てるみたい」
 そう、ただそれだけのことだ。
「みたい、って」
「だってぼくはぼく以外の身体を知らないもん。自分が他人とどう違うか、なんてわかんないよ」
 少年の声に非難が含まれたのを敏感に聞き取って希玖はむきになった。
「ガクって、からだの力が抜けることがなくて、お外が明るいうちずっと起きてるなんて、そっちのほうがおかしい」
 黙って聞いている少年にさらに言葉をぶつける。
「そういう人たちは、ぼくが発作を起こしたらびっくりするし、慌てたり、心配するんでしょ? だから、ぼくはここから出ないほうがいいんだ」
「キクさぁ」
「ん?」
「救急車の音を聞いて、早くよくなればいいなって、思うだろ? さっき言ったよね」
「うん」
「運ばれていく人は、ひどい怪我なのかもしれない、事故に遭ったのかもしれない。痛く苦しいかもしれない。…心配だよね」
「うん」
 素直に頷く希玖に少年は優しく笑ってみせた。
「キクが見もしない外の人たちを心配してるんだ。外の人たちがキクを心配してもいいだろ?」
「───」
 希玖は息を止め瞠目する。
「キクが発作を起こして倒れたら、まわりの人はびっくりして、慌てたり、心配すると思うよ。なにか病気なのかもしれない、大丈夫だろうか、…早くよくなればいいな、って」
 希玖は泣きそうに顔を歪ませた。
「でも」
「ここと、外は、違わないんだ。キクも同じなんだ、助け合ってる大勢の人たちのうちのひとり」
「…」
「どうしてだろう、キクはまるで自分が違う世界に住んでるような物言いをするね」
「だって、…違うもん」
「何が違う?」
「…ここと外は違うよ、ここは───ぼくは、ぼくの身体は不自由だもん」
「何と比べてるの? キクはキク以外の身体を知らないんだろ?」
「!」
 痛いところを突かれてかカッとなった。そのまましばらく、笑っているのか怒っているのか計れない表情の少年と向き合う。気まずくなって希玖は目を逸らす、その瞬間、希玖は少年の笑顔に目を奪われた。
「願ったことは叶う。キクはキクの好きなことを、やりたいことをやっていいんだ」
「……」
 希玖は、さも不思議なことを言われたというような表情を見せる。
「願ったことって?」
「そんなことも他人に訊いてるようじゃあ、まだまだだなぁ」
「願うって、なにを?」
「例えば、毎週月曜に裏のコンビニに立ち読みに行くとか、毎日1時間、外を散歩するとか」
「は?」
「大人になったら学者になるとか宇宙飛行士になるとか」
 希玖は呆れた。次に馬鹿にしてるのかとそっぽを向く。
「…そんなの、ぜったい無いよ」
 少年はくすりと笑った。
「ブルーローズ、というやつだね」
 言葉が聞き取れなくて、希玖は訊き返した。
「…なに?」
「ブルーローズ。そのまま日本語にすると───青いバラ」
「青いバラなんて見たことないよ?」
「うん、無い。だから、あり得ないっていう意味があるんだって」
「アリエナイ、って?」
「さっきキクが言った、ぜったい無いってこと」
 青いバラ───ぜったい無い?
 希玖は首を傾げた。想像してみると、なんとなく有りそうな気がしたから。
 そんな希玖の心中を察したのか少年が言う。「実は見つけてないだけで、どこかにあるかもしれないよね」
「あり得ないものなんて無い。できないことなんて、無い。…だって、そんな未来は無いって、どうやって証明すればいい? 今、できなくても10年後にはできるかもしれない。その未来のために今何か始めることは無駄じゃない。───無いことより、有ることを証明するほうがずっと容易いんだから」
 迷いの無い目が、ついと希玖へ向く。
「…僕にそう教えてくれた人は、生まれつき病気で、キクみたいにずっと病院にいる人だった」
「病気だったの?」
「うん、今も病院にいる。…その人は、幼い頃の願い事はぜんぶ叶ったって言ってた。いろんな人と出会えたから頑張れたし、諦めずにいられたって」
「ぼくは、…誰かと知り合うってこともあんまりないし」
「それはキクの気持ち次第じゃない? この病院の中にだって、数十人はいるだろ?」
 希玖は首を横に振った。
「昼間はほとんど寝てるもん。起きても検査ばっかし」
「…僕はキクの病気のこと知らないから勝手なことを言うけど、同じ病室の子と話す時間もないの? それ、先生に相談できない?」
「なんて相談するの?」
「そうだな。今、こうやって夜中に起きてる代わりに、昼間に起きるにはどうしたらいいの? とか」
「そんなの、どうもできないよ」
 希玖が言うと少年は吹き出した。呆れ半分、感心半分で眉を顰める。
「卑屈だなー、キクは」
 悪く言われたのがわかったので、希玖は頬を膨らませた。
「どうにかできる、できないは、先生に訊いてみれば判る。そうだろ?」
 そんな簡単なことさえやらなくてどうするの? 言外にそう問われて希玖は軽く自己嫌悪した。さらに少年は笑いながら言う。
「この病院だけでも数十人もいるんだ。おじいちゃんおばあちゃんから、キクくらいの子まで。それだけの人と出会う機会がある」
「…そうしたら、おにいちゃんの友達みたいに、お願いが全部叶うのかなぁ」
「叶うよ」
「…」
 希玖は窓の外を見た。そこには月がある。この夜の、希玖の世界に当然のように存在し、世界を照らす。それは手を伸ばしても届かない、それは解ってる。
(もしかしたら、こんなひとりの世界を楽しんでる場合じゃないのかな)
 手を伸ばせば届くものは沢山あるのかもしれない。例えば、いつか聞いた女の子だって。
「…ぼくね、同じ歳のイトコがいるんだ」
「うん?」
「会えるかな」
「会ってみよう」
「うん…」
 それが何へ繋がるかは、まだ判らないけれど。
 今、確かに、少しだけ未来が見えた。何でもできる気がした。未来は自由だ。───けれど自由とは、足場が無いこととも同義である。
「でも、わかんない…、なにができるのかもわかんないし、なにがしたいのかも、わかんない」
「じゃあ、キクはこれからブルーローズを見つけるんだ」
「…なに?」
「花を見つけたら、それを摘むことはできる。…ぜったい無いって思われてるその花を探し出すことのほうが、きっとずっと難しい」
 少年は重ねて言った。
「夢を叶えることより、夢を見つけることのほうがよっぽど難しいのかもしれないね」そして微笑む。「キクもその花を早く見つけられればいいけど」
「ブルーローズ?」
「そう」
 青い薔薇。
「……ブルーローズ」
 希玖はもう一度、呟く。それは小さく、力強い声だった。


   月はもう見えない
   東の空から、まばゆい光が世界を照らし出したので





*   *   *


「おにいちゃん、なまえ、なんていうの?」
 希玖がそう尋ねると少年は、あぁ、と何気なく応えた。
「僕は今、名前が無いんだ」
「なまえが無い人なんているの!?」
「実は、おばけなんだ」
「えっ」
「だから名前も無いんだよね」
 うんうんと神妙に頷く少年に、希玖は恐る恐る訊く。
「死んじゃったの?」
「そう」
「ほんとに? ぼく、はじめておばけの人と話した!」
「僕も、こんなに喋ったのは本当に久しぶり」
「じゃあ、死ぬ前はなんて名前だったの?」
 しつこく名前を訊く希玖に、少年は困ったように笑った。
「──…亨」




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