キ/GM/11-20/13
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一生のうち、死にかけるなんて、よくあるもんじゃない。
私、久野鈴子が人生で4度目に死にかけたのは、19歳のときで、山手線の電車の中だった。
て、ゆーと、皆、大抵笑うんだよね。これが。
でもそれは本当のこと。
大学からの帰り。友達と銀座寄っていこって、私たちは電車に乗っていた。昼下がりで、電車の中は朝みたいな殺人的混雑には至ってなかったけど、特別空いてたってわけでもなく、私たちは手摺りに掴まって立っていて、いつも通り下らない会話をしていたんだ。
一緒にいた友達は中嶋絵里。こいつは大学に入ってからの友達。嫌な子じゃないんだけどね、カワイイし、素直だし、頭もイイよ。でもどこかポワ〜としていて、鈍いところがある。短気でサクサク行動しないと気が済まない私は、時々、絵里のトロさに、苛立つことがある。たまにね。
そんな彼女と、混んでも空いててもいない電車の中での、ことだった。
(まずいなー)
って、嫌な予感がした。
少しずつ、段々と、鼓動が早くなってくるのを、私は感じていた。
(まさか来たか、4度目の発作が)
と、考えていた時でさえ、それが本当になるなんて、私は思ってなかった。
決定的だったのは、秋葉原の駅での、発車音。いつも通り、何でもない音楽なんだけど、それは私の心臓が抱える爆弾に火を点けたんだ。
どくん、どくん、どくん、どくん。
心臓がどんどん鼓動を早めていく。早めていく、際限ない程に。不安も広がっていく。
(どうしよう)
「……っ」
私は苦しくなって、その場に崩れた。
突然座り込んだ私に、周囲の視線はそれは不審げだったよ。
「くの? 大丈夫? 貧血?」
絵里はびっくりした様子で、私の隣に座り込んで様子を訊いてくる。でも私は声も出せない。
違うの、いつもの脳貧血じゃないよ。
こういう時、咄嗟に動ける他人って、あんまり見たことない。遠巻きに見ているか、心配そうな表情を投げてくるだけ。大抵の場合、これは何の役にも立たない。
大体、心配そうな表情してる奴なんて、こっちが「大丈夫です、何でもありません」って言うのを待ってるだけなんだ。体面的に、人情的に、心配そうにしているだけなんだ。
絵里もそう。オロオロするだけで、解決する方向へ持っていこうとしない。
どくん、どくん、どくん。
鼓動が早くなってる。胸が熱くなる。
(これはヤバい…っ!)
私はふと父を思い出した。
父は狭心症だった。だからいつもニトログリセリンを持ち歩いていた。いや、そうしなければならなかったのに持ち歩かず、数年前に外で発作を起こし救急車で運ばれたときには「あと5分遅ければ死んでいた」と言われた。九死に一生を得た父は、翌朝、減量にも試合にも失敗したボクサーのように、全身を弛緩させてベッドに伸びていた。力のかぎり握り締めていたという両方のてのひらには、爪痕がくっきりと残っていた。
幸い、父の狭心症が私に遺伝したって事は無かったんだけど、私は別の爆弾を心臓に抱えていたのだ。
人生4度目の発作。最悪にも電車の中でやって来るとは。
父のてのひらとは違い、私の両手にはまるで力が入らない。足にも力が入らない。
心臓はもはや、両方の耳と口から三つに分かれて飛び出しそうなくらい、ガンガンと鳴り響いている。
私は思った。
(今度こそ死ぬかも…)
そんな私の胸中なんて知るはずもなく、
「くの〜」
友人の泣きそうな声。
(だから、その呼び方やめろって! 苦悩って聞こえんのよっ)
3度目の発作は3年前だ。出会って1年しか経たないこの友人に事情が分かるはずない。結構親しくしているはずなのに、発作のことを話しもしなかった。私は今それを、激しく後悔していた。
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