03. honk |
マーサが運転する車は渋滞にはまりこんでいた。 対向車はスイスイ向かってくるのに、こちら側は津波から逃げまどう難民のよう。ちっとも進まない。さながら有事に立ち向かう映画のヒーローと、逆にそこから逃げようとする多くの市民のようだ。 ドライバー達は炎天下という天候も手伝ってブチ切れ寸前。シビレを切らした人間が乗る車の群れはクラクションの合唱大会を起こしていた。 「あーもー、ウルサイっ! なんなのよ、コレ。20分で10メートルも進んでないわよっ?」 だんっ、とマーサはハンドルを叩く。幸いなことにレンタカーのホーンボタンはハンドルの真ん中ではなかったので、マーサは合唱大会に参加せずに済んだ。 「これだから中途半端な発展途上国はイヤなのよ。他人の迷惑も考えないストレス解消の騒音! 勘弁して欲しいわ」 「喚くな」 「…っ」 マーサのイライラメータはさらに上昇する。 後部座席には、マーサが世界で2番目に嫌いな男が乗っている。───ハルだ。 「あんたの金切り声のほうが不愉快だ」 声量を下げているのは、ハルの膝を枕にノエルが寝ているからだ。昨日は遅くまでホテルに帰れなかったので睡眠不足なのだろう。 「そうは言うけど、 「…」 すぐに反撃がくると思ったのに、意外にもハルは黙った。不審に思ったマーサはフロントミラーを覗くがハルの表情は見えない。 「…あぁ、そうね」思い当たって、マーサは皮肉を込めて嗤う。「身元不明の迷子じゃあ、そんなもん取れないわね」 ハルのパスポートは金にモノを言わせた………である。もちろん、免許でもそれは可能だが、国際免許はパスポートと比べて更新期間が短い。危険が多いと分かっている橋を渡るようなものだ。 「俺が運転してもあんたは乗せないよ」 「えーえー、そうでしょうよ」 ムカつくわ、とマーサは声に出した。 時計を見る。フライトまであと30分もない。もうだめかもしれない。 スイスイと走っていく対向車が恨めしい。同情か見せつけか、やたらゆっくり走ってくる対向車もある。 「ったく、なんなのよ」 しかも冷やかしのつもりか、対向車がクラクションを鳴らしてる。明かにふざけた鳴らし方。 「うわっ、腹立つ…」 いつも以上にクチの悪いマーサは汚いものを見たように顔をゆがませる。 「───あはは」 と、突然声をあげたのは寝ていたはずのノエルだ。ハルの膝から顔を上げて表情を輝かせる。 「マーサ、この先、事故があったみたい。回り道しよう」 「は?」 「なに?」 マーサ、そしてハルは訝しむ。 「たぶん、空港の…2ブロック手前? かな。ナビは使えない、地図があったでしょう? その辺りに出られる道を探そう」 「ちょっと待って、なに? 事故って」 「あ、そうだ…」 まったく人の話を聞いてないノエルは座席のあいだから体を乗り出し、手を伸ばしてクラクションを鳴らした。同じく、ふざけた鳴らし方だ。 − ・・・・ −・・− ハルは目を見開いた。 「そうか、モールスか」 「そっ! “AXIDENTAP-2”───アクシデント、エアポート、ハイフン、2。そう言ってたの」 ノエルは子供のように体を揺らして本当に楽しそうに笑う。 「ステキ、こういう通信は大好き! 「…驚いたわ」 マーサは息を吐く。ノエルの泥臭い知識に驚いたわけじゃない(これでも仕事の専門分野は通信だ)、この騒音の中に意味ある言葉があったことにだ。 「携帯電話も便利だけど、決まった相手にしかかけられないもんね。単方向でも多くに伝えること、やっぱり、有事の際に役立つのはこういう手段じゃなきゃ。2人も、“SOS”くらいは覚えておいたほうがいいよ」 ちなみにこうね、と言ってノエルは窓を叩いた。 ・・・ −−− ・・・ 「簡単でしょ?」 「はぁ…」 「で? ノエルはさっき、なんて返したんだ?」 「うん、“THX”───ありがとう、って」 マーサはダッシュボードの中を掻き分けて地図を取り出す。慣れない土地の地図を見るのは辛い、それでも幸運なことに表記は英語だった。レンタカーに装備されている地図は手が痒くなるから嫌いだ。それでもマーサは抜け道を探し出し、混雑した道から下りた。同じ目的の車で込んでいたが、動かないというほどでもない。 マーサの乱暴な運転のせいで、ノエルは酔うどころか目を回したように再びハルの膝に倒れた。 フライト時間には、ぎりぎり間に合った。 |
了 |