04. cube sugar


 ノエルは夜中に目が覚めた。
 また、この世界に引き戻された感覚。いつものように、軽い眩暈があった。
 時計も読めないほど辺りは暗い。昼間とは別世界のような静寂。
 聞き慣れた時計の音が部屋に響く。ノエルの旅支度のひとつ、デジタルの置時計。デジタル表示なのにわざわざ音を鳴らすセンスが可笑しくてつい買ってしまったもの。
 時が止まってしまったような痛いほど静かな空気の中で、時計の音だけが、確実に朝へ近づいていることを報せていた。
 目が冴えてしまったのでベッドから抜け出す。寒くはなかったのでそのままの格好で部屋を出る。なんとなく、すぐ隣りのハルの部屋へ向かう。
 ドアの前で少し悩んだあと、音を立てないようにノブを押した。
「眠れないのか?」
 暗闇から声がかかる。
「…ううん」
 ハルはいつもそう。
 寝ていないのか。それとも気配に敏感なのか。
「ううん、眠れるよ。喉が渇いただけ」
「そうか」
 温かみのある声が返って、ハルはそれ以上なにも言わない。ノエルはそっとドアを閉めた。

 キッチンに入ってケトルを火にかける。沸くのを待つあいだに、戸棚からホットグラスをひとつ取り出す。それから、冷蔵庫から使いかけのレモン。ナイフ。レモンを一切れスライスするだけのことに、チョッピングボードを出して使って洗うのが億劫だったので、そのままラップの上で切った(ハルに見られたら小言を言われるところだ)。
 ホットグラスの底にレモンを敷く。グラスを覗き込みながらゆっくりとお湯を注ぎこむ。レモンがゆっくりと浮かび上がってきて、お湯のフタになった。
 スライスレモンの上に角砂糖をひとつ。
 熱いお湯に触れた角砂糖がじわじわとゆっくり溶けていく。
 その様は神秘的でさえある。
 お湯に侵食されていく。崩れ落ち、形が変わっていく。
 マドラーでレモンをつつくと角砂糖は転げ落ち、透明のお湯のなかに消える。
 実体がなくなる。
 だけど砂糖は消失したわけじゃない。目に見えずとも、飲めばそれが分かる。
 紅茶のように香りも風味もない。けれど。
 見えないのに分かる。
 その当然の(かい)は何度見ても美しい。
 ノエルは 少し冷ましてから、お湯を飲む。
 別世界で目が覚めたような、こんな静かな夜にはいつも。