05. scenery and disposition |
出先から戻ってきて昼の12時半。いつもより2時間も早い昼食をまさか摂るつもりもなく、おとなしくオフィスへ帰る気にもなれなくて、休憩がてらいつものカフェに入った。 すると、いつものんびりランチ食べているのどかなはずの店は、ほぼ満席状態。異様な混雑だった。ひといきれと料理の湯気で店全体が霞んで見えるほど。特に大声で喋っている人がいるわけでもないのに、いつもと同じはずの喧噪がやけにうるさく感じられる。 今日、ここでなにか特別なイベントがあるわけではない。今が平日の昼時であるということ以外は。 「うーわー。こんな繁盛してるの初めて見た。俺、いつも昼メシ遅いからなぁ…」 連れもいないのでカウンターに席を取ることにする。賑わっている狭い通路を分け入ると、料理を運ぶ店員とぶつかりそうになった。こちらの前方不注意だ。小さく謝る。と。 (あれ?) 見慣れない店員───いや、知っている顔だった。黒髪で、東洋系、眼鏡、頑固な仏頂面! 「…って、おい。ハルじゃん!」 顔を上げた黒髪はこちらに気付いて短く挨拶をした。その態度は救いようがないくらい素っ気ない。会うのは半年ぶりなのに。 「えらく久しぶりだなぁ! 元気か? いつ戻ってきたんだ? こんなところでなにやってんの? あっはは、エプロンなんかしちゃって、似合わねーな。まさかパート? いつから?」 「───」 「ん?」 「邪魔だ」 「…」 睨む両眼と抑えた声に含まれる苛立ちがビシバシ伝わってきて反射的に足を退いた。開いた通路にハルは足を向ける。料理を持って、目的の席へ。こちらを無視して。 「さっきまでそこでコーヒー飲んでたんだがな」 しかたなくおとなしくカウンターにつくと、その向こうから初老のマスターが声をかけてきた。挨拶をして炭酸水を注文する。マスターは手を動かしながら、顎で端の席を指した。見ると、無人の席に上着と腕時計、ペーパーバックが置かれていた。 「今日はパートのコが休みで、忙しそうだから、って手伝ってくれてんだ」 「へぇ〜。相変わらず、ヒマしてるんだな」 「実際、飲み込みも仕事も速いし、気が利くし。助かるよ、ほんと」 「ま、要領良さそうだもんな。無駄に器用っつーか」 「ただなぁ…」 窓際の席でオーダーを取っているハルは客商売だというのにぴくりとも笑わない。そんな店員に客のほうが気後れしているようだった。おかしくて笑ってしまうが、マスターはなにか諦めたように息を吐く。 「───愛想はねーんだ」 「…だねぇ」 名前はハル。ファミリーネームは「無い」(パスポートを持っていることは知ってる。少なくともそれに記載されている苗字はあるはず)。この町の人間じゃない(以前、滞在していたことがあるだけ)。度無しの眼鏡、風貌は東洋人のそれだが、国籍および出身地は「覚えてない」。しつこく訊いたら、「記憶喪失」だという(どんなごまかし方だ)。仕事はしてない。連れがいるらしく(女だ)、その仕事に同行し、各地を転々としているらしい。ヒモかと尋ねたら否定はしなかった。「間違ってない」と答えた。 半年前、この店でよく顔を合わせた。ハルはコーヒー1杯で長い時間ここにいて、他の客や窓の外の景色を静かに眺めている。こちらが仕事の合間に訪れるたびに店にいるので声をかけてみた。話してみると、ハルは他人と打ち解けようとする習性がまったく(強調)無く(ほんとに)、突き放され感に傷ついたこと多数(こっちはナイーブなんだ)。けれど話し嫌いではないらしく、ランチをしながらの会話には頓着無く付き合ってくれた。 店の外でも見かけた。公園や駅前、大抵、人が集まるところにいる。あるときはスクールから帰る途中の子供たちの宿題を見てやっていた(子供たちは、よくこの仏頂面に懐くもんだ)。愛想は悪いが面倒見は良いらしい。興味深い そしてあるとき、ハルはなにも言わずに町から消えていた。 客足が一段落して仕事から引き上げたハルが席に戻ってきた。ついでにこちらに声をかける。 「おす」 「おつかれ。いつこっちに来たんだ」 「3日前」 少し疲れた様子で椅子に座り、腕時計をつけ、本を端によける。飲みかけだった冷めたコーヒーに口をつけて顔をしかめる。そりゃ、不味いだろう。 「まだ、女について回ってんの?」 「ああ」 煙草をくわえて火をつける。そういえばヘビースモーカーだった。 マスターが淹れたてのコーヒーを持ってきた。 「おつかれさん。悪かったな」 「いいよ。いつも見ているだけのことを体験してみるのも悪くない」 「ほれ、パート代」 「あ、金はいらない」 マスターから差し出された紙幣を、ハルはきっぱりとはね返した。 「ここのメシ代に代えてくれるとありがたいけど」 「そら、かまわねーけどよ」 ハルはかつてよく食べていたランチメニュ−をそらで注文する。昼飯はまだだったらしい。 時計を見ると13時を過ぎたところ。昼食の時間をずらすのは抵抗があったが、せっかくなのでこちらもいつものメニューを注文をした。マスターは2人分のオーダーに頷いたあと、 「釣りはどうする」 「あぁ、じゃあ、もらう」 ハルはコインを受け取り席を立った。なにをするかと見ていれば、ハルはレジ横のコレクションボックスにコインを落とす。マスターは肩をすくめてみせて、店の奥に消えた。 「おまえなー、そこまでやると嫌みだぞ? 素直に受け取っておけよ、あっても困らないだろうに」 そういえば前もこんなことがあった。子供たちの宿題と同様、仕事のデータ解析を手伝ってもらったことがある。素人視点の意見が欲しかったのだが、鋭い指摘で手厳しく容赦なく突っ込まれ、大幅に書き直した報告書は会社から高い評価をもらった。そのときの謝礼も金銭は断られた記憶がある。 「稼いで帰ると不機嫌になるから」 「…誰が?」 「連れが」 「例の女? 稼ぎなしでならともかく、稼ぐと不機嫌ってどういうこと?」 ハルは答えない。単に彼女の本意を知らないのか、知っていて答えたくないのか、答えが長くなるから面倒くさくて答えないのか、下手に答えると次の質問が返ることが想像できてそのやりとりに嫌気がさしたかのどれかだ。選びかねるが後ろにいくほど当たり度合いは高いと思われる。 「今回はいつまでこの町にいるんだ?」 「今日まで」 「───は?」 「明日の朝から移動する」 「おーい…。よくそんな、住所不定な生活を続けていられるなぁ。定住しないのって、ストレス溜まらないか? その場その場で常識もルールも違うだろうし、生活に慣れないってことだろ? いくら食わせてもらってる女のためとはいえ」 「むしろ都合がいい」 「なんで」 「街とヒトを見るのが俺の目的だから。観察サンプルは多いほうがいいだろ」 「…サンプルねぇ」 ということは、こちらも観察対象ということか。 「目的ねぇ」 どうもよくわからない。 ハルの能力からすれば己一人で食べていけるだろう(彼の気性を考えればそのほうが理に叶う)。そんなハルを連れ回している彼女とはどんな人物なのだろう。男を食わせているくらいだから高収入のキャリアウーマン? 年上なのは間違いない(ハルは20代)、おそらくかなり上。ハルに仕事をさせないところを考えると、独占欲が強いとか。ハルの能力をどこまで買っているのだろう。それを潰していることに自覚は? ───そう考えると良い印象などあるはずがない。 (まー、 興味はある。 マスターがランチを運んできた。会話は一時中断する。 「その女、一度は見てみたいよ」 料理に手をつける前に本心からそう言うと、 「たぶん、想像しているのとはだいぶ違うだろうな」 彼女のことを思い浮かべたのか、そのとき本当に珍しく、ハルは抑えた表情で微笑った。 |
了 |