003. 再会(GrandMap/49話1の後A) ■0 「何故、僕が?」 と、父に口答えできるはずもなく。 仕事を終えて半月ぶりに我が家に帰ってみれば父に呼び出され、挨拶の後に受けた言葉が「おつかいを頼む」。 一族の中で絶対の発言権を持つ父の命令なら、たとえ南極でも出向いて苦はない。けれど、今回の「おつかい」は、「(父の)友人が、話を聞きに来て欲しい」というものに応えたもので、高齢の父の体力ではそれが適わず、自分にお役が回ってきたのだ。 まったく、ふざけてる。無礼、いや、いい度胸だと褒めるべきか。 話があるなら、そちらから出向くべきだろう。 あの家の人間は総じて、父に───この家に対して礼儀を知らない。格が違うことを思い知るべきだと思う。 結局、供を連れて家を出たのは1時間後。終えてきたばかりの仕事の整理に追われて、妻にキスすることも息子を抱き上げることもできなかった。 ■1&2 「やっはぁ! 妹よ! ずいぶん久しぶりだ! 元気にしてたかいっ!?」 空港から車に乗り換え目的地に着くと、末の妹がいた。 「兄さま!!」 ぱっと花ひらいた顔が向けられる。けれどそれはすぐに改まって、久しぶりに会う「長兄」の前に立ち背筋を伸ばす。少し緊張した面持ちで、丁寧に、幼い頃から身についている礼をした。この娘も、この姓を持つうちの一人。儀礼的ではあるが当然の所作。 「うんうん! 会えて嬉しいよ。それにしても、見るたびに大きくなるなぁ。たまには帰ってこないとみんなが寂しがるぞ」 「ごぶさたしてごめんなさい、って、そうだ、晋兄さま!」 「ん? どうした? なにを怒ってるんだい? かわいい顔が台無しだぞ? 蘭」 「兄さまっ、ノエルさんをいじめたってどういうことっ?」 「───…誰だって?」 頬をふくらませた妹は肩をいからせて大きな目で睨み付けてくる。迂闊なことに、いつのまにか不興をかってしまったらしい。それにしても今出た名前は。 『うあ。ジンだぁ』 問いかけの答えを聞くより先に、妹の背後から別の人影が。 スケジュール帳の来週の予定に「歯医者」の文字を見つけたような声。 あからさまに表情を歪ませるスーツ姿の女。 『なんでここにいるの』 『あれ〜? ノエルぅ? 君こそなんでここに?』 『あたしは、ハルのお父さんにお呼ばれしたんだもん!』 『奇遇だな。僕もハルくんのお父上にお呼ばれされたんだっ』 『なんでジンがっ? それにランとはどーいう関係?』 『それはこっちの台詞だと思うなー』 『ノエルさん、ごめんねっ。兄さまがなにしたか知らないけど、あたしがきつく言っておくからっ』 『兄…って、兄妹? えぇっ?』 『あたし、兄さまのこと好きだし、尊敬してますけど…っ、ノエルさんにいじわるするなんてどーゆーつもりなんですか? いくら兄さまでも』 『ラン、待って! だいじょうぶ! ほんと、もう気にしてないよっ。ジンのことはやっぱり気に入らないけど、ランのことは大好きだからっ』 『ほんとにっ? あたしもノエルさんのこと好きです〜、ありがとうございます〜』 「ええと…」 目の前で盛り上がる2人を眺めながら額を掻く。 ノエルがここにいることの意味は考えるまでもない。そしてそれが判ればここまで足を運ぶことになった理由も知れる。 「じゃあ、今日、招集が掛かったのは…、なんだ、櫻のことか」 (つまらないなぁ) ここまでの無駄足を嘆きたくもあるがそれだけじゃない。 (この世界もずいぶん単純だ) かつての、阿達咲子の意図など知りようがないけれど。 阿達櫻が己を棄てたのも、残された家族がその穴に翻弄していたのも。それぞれの思惑がちぐはぐに働いていたのも。 結局は収まるところに収まっただけではないか。 少しの真実を知る自分が神を気取るのも悪くないと思っていたのに。 単純で、つまらない。 それとも運命とはかくあるべきか。 「兄さま、櫻さんのこと知ってたの!?」 『?』 「今日は櫻のことだけかい? それとも、まさか弟のほう?」 「いっ!?」 妹は奇妙な声をあげて目を剥く。 「なっ、なな、なんで」 「さー、なんでだろうねー」 この子にしては珍しい。 自分だけが見抜いたつもりでいたなら、大した思い上がりだ。 ■3 「ハルのお父さんにお呼ばれした」というノエルは、既に面会は終わっていたらしく帰ってしまった。妹はその案内役だったらしい。2人とも、この後の席には招待されていなかった。 指定されたホテルのエントランスをくぐると、今回のホストの秘書(若いほう)がすぐにやってきた。形式張った挨拶を済ませてエレベータへ。面倒なので供は下がらせ、秘書の後ろについていった。 さて。 阿達政徳がホストを務める今回の会合の内容だ。 失踪していた長男の顔見せか、それとも死んでいた次男の顔見せか。さきほどの妹の反応を見る限り、両方ということもあり得る。通された部屋にはすでに人が集まっていて10人強といったところ。ホストがまだ来ていないのでそれぞれが雑談をしている。顔ぶれはアダチの関連人物が大半。その他に、中年の夫婦が一組、40代くらいの女性。知った顔の中には阿達咲子の父親もいる、彼には後で挨拶にいかなければならない。そして、 [ジン兄さん、ご無沙汰してます] と、挨拶に来たのは(挨拶に来て当然)阿達の末娘。我が家の末妹が実家を離れる原因となった張本人。それ故に、末妹を溺愛している我ら兄姉からの評判はあまり善くない。 それにしてもこの娘が「兄」と呼ぶのは自分くらいだろう。幼い頃、他の弟妹が口にする呼称を聞いて覚えたので本人はあまり意識していないようだが。当時、このことについて、彼女と血の繋がった実の兄は不満を漏らしたものだ(無論、弟のほう。ずいぶん昔の話だ)。 [やぁ! 大きくなったなぁ! びっくりしたよ] 頭を撫でてやると、阿達の末娘は肩をすくめてくすぐったそうに笑う。 (おや) 以前は他人に触られることをもっと警戒していたものだけど。それに。 [史緒はずいぶん表情がやわらかくなったね] [そう、ですか?] [いい顔になったよ。前はもっと余裕無い感じだったけど] [ジン兄さんと最後に会ったのは…、仕事を始めたばかりだったから。余裕が無い時期だったんです] [仕事のほうは順調かい?] [順調とはなかなか言えません。でも、どうにかやってます] [それは良かった。ああ、それと] [はい?] [美人になったよ。好きな男でもできたかな] [え。…ええぇっ!] (おや) 以前はこれくらいの冷やかしは平然とかわしていたものだけど。 時とともに劣化するものもある。それを成長と呼ぶべきか。 『司は? どうしてる?』 『今日は顔を見せる予定はありませんけど…。呼びましょうか?』 『うん、いいよ。すぐに帰るから。伝言があるんだけど、史緒、頼めるかなぁ』 『はい。私でよければ』 『“流花がかんかんだぞぉ!”───って』 『は?』 『言えばわかる』 『え、あの、司、なにかしたんですか?』 『なにもしてないから、だよ。じゃあ、頼むね』 ■4 扉が開き“彼”が現れると、室内の雑談が止んだ。 あちこちから無遠慮な視線が一斉に彼に向けられる。仕方ないと言えるだろう。たとえ事前に知らされていても、死んだと思われていた人間を前にして驚かないものはいない。 その本人はうざったそうに視線を払いのけ、無言で室内に足を踏み入れた。 […っ] さっきまで隣りで話していた阿達の末娘は微かに肩を震わせた。そして(本当に)適当な理由を口にして、まるで逃げるように奥の中年夫婦のほうへ行ってしまう。 これも、まぁ、仕方ない。 (あの兄妹がとつぜん仲良くなったりしたら僕も驚くよ) 『おーい、ハルくん。久しぶりぃ!』 『……』 阿達の長男はあからさまにうんざりとした顔を見せた。スケジュール帳の来週の予定に最悪に面倒くさい内容を見つけたような表情。そのままだが。 ともかく、彼のこういう素直なところはもっと評価されても良いと思うのだが、大半に敬遠されるのが彼という人格だ。 『あんたも来たのか』 『お? なんだ? なにか言いたそうだねっ』 『なにも』 『ん? そうかい? 言いたいことは言わないと体に悪いぞ』 『実際、口にしたら、兄弟総出で脅しにくるだろうが』 『己の発言に覚悟と責任を持つのは当然のことだなっ☆』 『…』 『ところで。結局、僕はどっちの名で呼べばいいのかな?』 『どちらでも』 『そうだ。さっき、ノエルに会ったよ』 『帰ったら宥めるのが大変だな。機嫌が悪そうだ』 『僕はまだノエルに嫌われてるのかい?』 『ああ。珍しいことだよ』 『えー。僕だけじゃないだろ? どうせ君の弟もノエルに嫌われてるんだろ!』 『…』 一瞬だけ驚いた表情を見せた。 弟の存在を現在形で口にしたことか、その弟がノエルに嫌われているのが図星だったのか。 『なんで』 『あれも独占欲って言うのかなぁ。子供みたいだよね、ノエルって。おもちゃを抱いて手放さない。所有することに意義があるのか、捨てないという大義に価値があるのか。どちらにしろ、玩具自体に重きを置いてるわけじゃない。何かに執着することで安心感を得る───まさしく“ライナスの毛布”というやつだね。そう思わないかい? おもちゃのハルくん』 反応を見ていたが、阿達の長男は鼻で笑っただけだった。 自覚があるのか。自信があるのか。 さて。 [ノエルが石投げて寄こすのは、ノエルが持つおもちゃを避けない人間] [ハルくんのこと苦手に思ってないやつ、つまり───おまえだよ] ■5 ともかく気に入らない。 失踪した長男とは違う。 その名を捨て、別の名を持ったにも関わらず。信じがたいことに、同じ場所で同じ地位に収まろうとするとは。それでも、最後まで己の過去を隠し通せる気骨があるなら褒めてやろうとした───けれど結局は戻ったか。 [こ、こんにちはジンさん] その声に驚いて長男が振り返る。背後で聞き耳立ててる気配に気付かないなんて阿達の長男も相当ぼけたと思う。 その背後に立つ次男はこちらの威圧感を察しているのか臆していた。 「ハルくん」がノエルから離れるとは思えない。将来、アダチを継ぐのはこいつになるだろう(本人にその意思があったのは知ってる。史緒との婚約を聞かされたときに)。となると、阿達三兄弟のうち、我が家と、そして自分と一番関わってくるのはこいつで間違いない。お互いの家長として。組織のトップとして。 気に入らないがそうせずには済まない。 けれど、変に馴れ合って家の関係をゆるくするつもりはない。阿達家とは付き合わなければならないが、今以上に近寄る必要はない。 末妹のこともある(あぁ、本当に厄介な人間だ)。万が一、婚姻関係など結ばれたら目も当てられない。それだけは阻止しなければならないだろう。 ただでさえ、この関谷なんたらに未だ騙されている弟妹はいるのだ。落とし前はつけてもらわなければならない。 次男を睨み続けていると、長男がくるりと背中を向け、戦線離脱した。 [さ、櫻っ] [巻き込むな] [ずりぃ…、───うわっ] 次男の胸ぐらを掴み引き寄せる。あまり他人には聞かれたくない非社交的な声で言うべきことを言う。 [おまえは後で家に挨拶に来な] […はい] 観念したように、弱々しい声が返る。 そこでようやく、会合のホストである阿達政徳が現れた。 失踪していた長男の復帰と、関谷なんたらの正体、そしてこれからどうしていくかを説明し、認めさせるために。 END |