022. NO (GrandMap/和成&櫻/49話Prologueの没1) 目の前でエレベーターが開く。 一条和成は息を呑んだ。その扉から誰が現れるのかは知っていた。 関谷篤志から電話で聞いて、数分前にはロビーからの電話で連絡があった。にもかかわらず。 数年ぶりにこのフロアに立った阿達櫻の顔を見て、和成は動揺してしまった。 和成の記憶の中の彼とは少し違う。背が伸びた。大人びた顔。ただ、 「よぉ」 皮肉げに笑う挨拶。その表情は以前と同じものだ。 「お久しぶりです」 人気の無い廊下、淡い絨毯の上で向かう合う。 以前はよく、この場所で櫻と顔を合わせていた。和成は社長秘書見習いとして。櫻は社長令息で。 櫻とは阿達の家で一緒に暮らしていた期間も長い。そして和成のほうが年長であるが、ここではお互い敬語を使うのが儀礼だ。どこに人目があるか分からない社内で、当時、櫻はその儀礼に従っていた。が、今はそれも放棄したらしい。 一方、和成のほうは身に染み付いた習性を簡単に外すことができない。今更、櫻の態度に腹が立つわけでもないし、面倒なのでそのまま通すことにする。 「社長がお待ちです」 和成が先を歩くと、櫻は大人しく後をついて来た。 このフロアでは通り過ぎる社員もいない。社長室への距離は長くはないが短くもない。無言の空間に嫌な緊張感があった。足場が絨毯で良かったと和成は思う。ぎこちない足音を感づかれずに済むので。 「なぁ」 と、背後から櫻が言った。 「おまえはどこまで知ってるんだ?」 「何のことでしょう」 ずいぶん言葉が足りない質問だったが、その意味は充分に理解できた。そのうえで訊き返した。 不機嫌な沈黙はほんの少しだった。 「いいけど。───あぁ、そういえば史緒、あいつ、全然変わってないな。おまえが長年家庭教師やってたのも、無駄だったわけだ」 「会ったのかッ?」 そうさせるための挑発に乗ってしまったのだと、振り返ってから気づいた。櫻は一切の笑みを消し、刺すような視線で和成を見ていた。 「答えろよ。おまえもグルだったのか?」 「………」 こうして櫻と再会した今、もし、七瀬司からあのときと同じ質問をされたらどう答えよう。 櫻と篤志が似ているか? ───似てないと思うよ。今でもそう思う。 注意深く見れば顔の造形は似ているのかもしれない。いや、似ているのだろう。 でも違う。他人と向かい合うとき、見ているのは目だけでないことに気付く。たとえばもしかしたら、写真で見れば似ていることに気づいたかもしれない。けれどこうして会ってしまえば、まとう雰囲気が、受ける印象が、つくりだす表情がまったく違う。 櫻からの質問の答えはノーだ。当初、和成は亨という名前さえ知らなかった。関谷篤志という存在も知らず、実際、出会ったときも、彼の目的や意図に気付くことはなかった。何年もかけて少しずつ、漠然としていたものが見えてきたというだけのこと。櫻と史緒の間に何があったかということも、知ったのはつい半年前のことだ。 だから答えはノー。 グルなんかじゃない。和成はずっと蚊帳の外にいた。 たとえ、当事者でありながら今だ何も知らない櫻や史緒から見たら、そうは見えなくても。 「どうぞ」 和成は逃げるように、櫻には答えないまま、社長室の扉を開けた。 最初から知っていたら、もっと楽だったろうか。それとも苦しかった? 亨という存在。史緒が櫻に怯えていた理由。いずれ、関谷篤志が現れること。 咲子が和成に頼んだのは史緒のことだけだ。それ以上のことは頼みたくない、他は関谷篤志がやるから、そういう意図だったのだろう。余計な重荷は背負わせない。和成の負担を減らすためだったのだろうけど。 END |