045. 残った物 (GrandMap/由眞の秘書/44話読了推奨)



 彼女も、その訃報を聞いた。
 激しく驚いた、と言えば、それは嘘になる。
(とうとう、か)
 覚悟はさせられていた。少しの悼みをもってそれを受けとめた。


 その朝、(あるじ)は2つの(めい)を下した。

 1つめ。故人の遺言に則った諸手続を行うこと。

 故人は献体を希望していた。
 犯罪死だったために、遺体は警察に運ばれている。無茶なことだが司法解剖の前に遺体を引き渡すよう、交渉を(場合によっては圧力を)掛けなければならない。
 彼女はそのための手回し、および、その後の手順をシミュレーションし始めた。
 遺体の提供先は生前の登録手続きで既に決まっている。規定では葬儀後の提供でも構わないのだが、故人の遺言により葬儀は省略する。(あるじ)の意向により墓原は用意するが、大学病院からの遺骨返還は半年から3年後。納骨はそれ以降になる。
 献体登録の書類を代書したのも彼女だった。
 動機について、故人は、
「あたしは人でなしだから、最期くらいは社会貢献しなきゃ」と、声を立てて笑った。「っていうのはアレで」
 面倒くさい、とでも言うように。
「どうでもイイじゃん、死んだ後なんて」



 死んだ後───残された人間のことを考えない自己中心的な考え方は主を悲しませる。
 それを除けば、國枝(くにえだ)藤子(とうこ)は嫌いではない人間だった。






 2つめ。

「紫苑に連絡をお願い」
 (あるじ)が受話器ごしに(めい)を出す。


 ───いやだな、と彼女は思った。

 本来なら彼女は好き嫌いを言う立場にいない。
 (あるじ)桐生院(きりゅういん)由眞(ゆま)。主を助け、支えるのが彼女の仕事だ。だから仕事でも、それ以外でも、主と関わる人間について主観を述べることなど許されない。
 けれど(あるじ)の孫・國枝(くにえだ)紫苑(しおん)
 彼のことは苦手だった。

 腕時計であちらとの時差を確認する。不運にも、都合の良い時間だ。
 受話器を上げ短縮キーを押す。国際電話のため回線が繋がるまでの時間が少し。それからコールが鳴り始めて、2回目が鳴りやまないうちに相手に繋がった。
「なに?」
 紫苑の突き放すような声が聞こえた。彼の祖母からのナンバーではなかったからだろう。
 彼女は名乗ったあとに本題を切り出す。
「残念なお知らせがあります」
「由眞さんになにかあった?」
「いいえ」
「あっそ。じゃあいいや。なに?」
「藤子さんが亡くなりました」
「ふぅん」まるでこちらの日付を聞いたかのようなそっけない応答。「それから?」
 彼女は重苦しい息を吐いた。紫苑がどういう態度を取るかは想像できていたのに、それでも目元を歪ませた。
「用件は以上です」
「由眞さんは?」
「おります。けれど今日は」
「替わって」
 ぶしつけな、と言えば紫苑の養い親である主への失礼にあたる。けれど主の心情を推し量らない物言いに、彼女はあきらかな憤りを覚えた。自分が敬愛する祖母に気を遣うこともできないのだろうか。主の悼みを汲むことさえ。
「紫苑さん」
「いるんだろ。替われよ」
 少しも遠慮の無い声に耳が痛くなった。
「…察してくださ」
「あんたに用は無いッ、由眞さんに替われって言ったんだッ!」
 癇癪を起こし、大声を出す。紫苑はいつもそうだ。彼の妹の話題については、とくに。
 そのとき、奥の部屋から主の声が聞こえた。
「いいわ。回してちょうだい」
 その短い科白からでも主の憂いが読みとれて彼女は暗鬱となる。それでも頂いたのは主の命。従わないわけにはいかず、彼女は内線に切り替えた。

 この後、1分ほどの通話で回線は途切れた。そのあいだに紫苑が(あるじ)になにを話したかは知らない。
 ただ、藤子を失って悲しんでいる主が、紫苑の言葉に悲しまなければいい。
 彼女はそう、祈った。







END

20060710