211. イヤイヤ (GrandMap/史緒&祥子) cf.34話 「僕がアダチに入社したこと、少しは良かったと思ったでしょ?」 和成が笑う。 「…どういう意味?」 「“嫌いな父親”の会社に僕が入ったこと、昔から怒ってたようだから。…有益な情報を提供したわけですし、少しは感謝してくれてもいいのでは?」 「借りができたわ」 苦々しく史緒が呟く。 「史緒さんに貸し付けるのはちょっといい気分ですが、丁度、返していただける機会がありますよ───つまり頼みたいことがあるんですが。お願いできますか」 「どうぞ。私にできることなら」 「史緒さんと新居社長の関係を三高さんに説明してください」 ぱちり、と史緒は眼を見開いた。 「───…祥子?」 * * * 史緒は月曜館の軒先で足を止めていた。 事務所はすぐそこだ。早く帰ればいいのに、史緒はそれ以上進むことができないでいた。 今日は天気が良く、日差しが肌に突き刺さる。日焼けしたくないので早く屋内に入りたい。それでも足を動かせない事情があった。歩道で突っ立っている史緒に、通り過ぎる人たちは不審の目を向けていく。さらに窓際を通りかかったマスターからも「どうかしました?」と視線で尋ねられる始末。史緒は「なんでもなありません」と窓越しに、やはり視線で応えたが、……なんでもないなら、さっさと帰ればいいのだ。 (どうしてこんなことに) 誰かのせいにしたいが、責任を押し付ける対象が見つからず、史緒はやきもきしている。知らず、爪先がアスファルトを叩いていた。 和成に借りを返したいのはやまやまだが、この条件は痛い。もちろん肉体的に痛いわけではなく、精神的に痛い。 (大体、なんで、祥子と一条さんが面識あるのよ) 接点など無いはずの2人なのに。 いつのまにか親しくなっていた様子。さらには和成が知る史緒の昔のことが、僅かながら祥子に流れているらしいのだ。史緒は気が気ではない。 一方、新居誠志朗63歳。こちらはA.CO.設立時から馴染みの深い客で、祥子にもそう紹介してある。新居と祥子と史緒、3人で会うときは仕事の取引相手として応対するし、それは新居のほうも同じだ。 (なのになんでいまさら、祥子に新居さんとの続柄を教えなきゃいけないの?) ここで史緒が役務放棄しても和成は怒らないはずだ。けれど史緒が放棄すれば、そのうち和成と新居、どちらかの口からバレるのは必至。彼らから余計なオプション付きで暴露されるよりは自分で言ったほうがマシかもしれない。それにしても言った後の祥子の反応を想像すると、史緒は平静を保っていられなかった。要するに、照れくささと恥ずかしさがあるのだ。 (───しょうがない!) 史緒は覚悟を決めて足を踏み出した。 事務所にいる祥子の、第六感有効範囲に。 祥子は事務所でファッション雑誌を読んでいた。朝、史緒から留守番を言いつけられてからは、電話が一件あっただけで、その他は静かなものだった。他のメンバーも今日は外出していて、ときどき廊下を歩く三佳の足音が聞こえるくらいだった。 「───…」ふと、祥子は空を見据えた。 史緒が帰ってきた。まだ離れているけど間違いない。 (なんか機嫌わるそー…) 八つ当たりされるのは勘弁できない。留守番の役目は終わりだから帰ろうと、祥子は使っていたグラスを片づけ始めた。 そのとき、近づいてきた足音に続いてドアが鳴った。 「祥子!」 史緒は声高に名指しする。そのまま祥子のほうへ大股で歩み寄った。その勢いに思わず祥子は足を退く。 「な、なによ…」 そして史緒は言った。 「祖父なの」 ただ一言。それだけ。 「───は?」 わけがわからない。 祥子は眉を顰めて史緒に説明を求める。けれど史緒は無言のプレッシャーを解除して祥子に背を向けた。それだけで気が済んだかのように。 「いいの、気にしないで」 すっきりした、とでも言うように。史緒は、は〜、と軽く伸びをして、祥子から離れ、自分の椅子に座った。 「ちょっと…、なに?」 「うん、なんでもないの。あ、もう帰るの? ごくろうさま」 と、にこやかな顔(!)で笑う。 「史緒…?」 「また明日、よろしくね」 祥子はやはりわけがわからず、史緒の謎の行動に首を傾げた。 「ソフナノ…?」 END |