364. モノは使いよう(ノエルとハル/マーサ&ハル/GM49の前半を読了推奨) 「まさか、アダチの子息だったとはね」 マーサはいつもより気分が良かった。 少しだけアルコールが入っているせいかもしれない。 同じくアルコールが入ったノエルはすぐ前を軽い足取りで歩いている。マーサは己の背後を振り返る。遅れてついてくるハルを冷やかした。 「記憶喪失なんて下手な言い訳してまで帰りたくなかったわけ?」 返事が無いことは判っている。無視されたままでいるのも癪なので、口を閉ざすのはやめてやった。 「弟妹がいるって聞いてたからハルに似てどんな性悪かと思ったら、全然違うじゃない。2人とも礼儀正しいし、びっくりしたわよ」 3人は夜の街を歩いている。ちょうど、宿泊しているホテルの近くで食事をしたので、酔い覚ましも兼ねて、蒸し暑いけれど少しの風がある繁華街を歩いていた。 「あたし、アツシは好きじゃない!」 何故かノエルが割り込んできた。 「どうして? あの子が将来のアダチの社長よ? 仲良くしておいて損はないわ」 「マーサと一緒にしないで。とにかくあたしは、あの人はヤなの」 「じゃあ、シオは?」 「ん、好き、仲良くしたい! でもなーんか、…なんだろ。一歩、引かれてるよーな」 「そうなの?」 「あたし、なにかしたかなぁ───ねぇ、ハル?」 「さぁな」 「シオねぇ…。年齢の割りにずいぶん落ち着いた子だな、くらいしか思わなかったけど。…あぁ、それと、彼女、肌を見せるのが嫌なのかしら、とか」 「なに?」 「ここ、すごく暑いじゃない?」 「うん」 「本当、蒸し暑いのに。この間も今日も、襟元がきっちりした服を着てたのよね」 「そぉだっけ?」 「髪も下ろしてるし、この季節で暑くないのかしら」 「あー、髪はあたしも思った。きれいな黒髪! 長いしクセもないし、うらやましい! いじらせてもらいたーい。アップにしてドレス着て欲しー」 得てして、人は自分に無いものを求める。ノエルに黒髪は似合わないだろうが気持ちは解る。マーサは苦笑した。 「ああいう黒髪はこちら特有ね」 「そうだっ、ハルが髪を伸ばせばああなるんだよねっ」 「きゃははっ」 「ね。一度はやってみようよ! ───ハル?」 ノエルとマーサ、2人して振り返る。 すると、ハルは咄嗟に手で顔を隠した。 「ハル?」 「あぁ、悪い。なんだって?」 「あのね!」 ノエルは進行方向を逆走してハルに駆け寄る。無邪気にハルの手を取り、楽しそうに言葉を耳打ちする。 彼の異変に気付いたのか。気付かなかったのか。 マーサは2人から目を逸らし、ひとり、先を歩く。 (珍しい。表情を隠すなんて) 「そこのお店よってくー」 ノエルが指差したのはさして珍しくも無い大型の家電量販店だった。 引きずられるように3人で店に入ったけれど、ハルは「煙草」とそれだけ言って、ノエルから離れた。向かった先、入り口の端には喫煙コーナーがある。 「早く来てねー」 「あぁ」 ノエルは早く売り場を見たくて仕方ないようだ。ノエルの生活は移動の連続なので家電製品を持つことはない。小型の無線機や音楽プレイヤーが精々。それゆえに興味があるのかもしれない。この手の店でノエルが見て回るのはほとんど白物だ。マーサもノエルについていこうとした。が。 「マーサ」 低い声で呼ばれる。 考えるより先に振りかえると、ハルがまっすぐこちらに視線を向けていた。 目が合うと顎でしゃくる。 2秒。 マーサは再びハルに背を向け、先を行くノエルに声をかけた。 意識して、何気ない表情を作って。 「ごめんなさい、私も一服していくから、先に見ていて」 「え。マーサ、外じゃ吸わないくせに」 「今日は緊張しすぎで疲れたわ。気が抜けたの。すぐ行くから、あまり遠くへは行かないでね」 「……はーい!」 ノエルは少し考えて、いたずらを思いついたような顔になり、きちんとした返事をして、やわらかい髪をひるがえし、ダンスをするような足取りで背を向けた。 「ノエル?」 「だいじょーぶだいじょーぶ!」 公認で単独行動できることに好奇心が働いたのかも。エスカレーターのほうへ走って行ってしまった。 ここでは言葉が通じないこと、解っているのだろうか。 (まぁ、あの子になにかあったら騒がしくなるだろうし) マーサは来た道を戻り、喫煙スペースに足を向ける。すでに陣取っていた気に入らない顔の隣、少し離れて壁に背中を預けた。 ノエルが言ったとおり、マーサは外では吸わない。男にも女にも、良い印象を与えることは少ないからだ。 でも今はここには気に入らないやつ、一人しかいない。 マーサはバッグから煙草を取り出し、咥える。(あーあ、口紅直さなきゃ)すると、隣から火が伸びてきたのでそれを受けた。吸い、吐く。 「で? なによ」 「史緒は古傷を隠してる」 と言って、ハルは自分の首元を指す。 唐突で、かなり言葉が足りないけど、なにを言いたいのかは解った。 「…そう」 「火傷。煙草の」 「───」 ハルの短い言葉、単語の羅列からでも感じるものがあり、マーサは顔を上げた。すぐ隣りではハルがゆっくりと煙を吐いている。マーサの視線に気付く。無言で目を合わせる。逸らさない。 「…まさか」 「合ってる」 あくまで表情を崩さずに、少しの熱もない声が返る。 マーサは視線を動かさなかったが自分の指先にあるものを意識する。そして今、ハルが咥えているものも。 「……」 知らず、指先が震えていた。 世の中、始末に負えないのは使い方を知らないやつだ。 ナイフの使い方。銃の使い方。薬、ダイナマイト、飛行機も、車も。 この手や、頭だってそう。 そしてマーサの指先にある葉っぱは、上質なひと時を過ごすためのものなのに。 「…気分悪い」 小さい声でも気持ちは充分に込められている。マーサは眉間を微かに寄せただけで済んだ自分の自制心を褒めたい。 「さすがにそれはヒクわ。あんたがそこまで人でなしだとは思わなかった」 ハルはやはり表情を持たない。いや、微かに笑っていた。嘲笑? マーサに向けたものか、己に向けたものか。 ハルはマーサの言葉をまったく聞いていないようでもあり、また、真正面から受け止めているようでもあった。 (前者だろうけど!) 「あんた、いつか、背後から刺されるわよ」 でも。 ハルがいきなり他人の傷の話をしたのは、それをマーサに話すことで、傷を持つ本人にその話題を振るなという意図がある。そしてノエルが口走ろうものならフォローしろということだ。 「刺される前にノエルと会った」 ハルは煙草を灰皿に押し付け、振り向きもせずその場を離れる。ノエルの元へ向かうのだろう。 今度こそマーサはこれ以上無いというくらい顔を歪めた。 「もーっ! こんなやつと一緒に行動しなきゃいけないのが、私の目下の最大の不幸よっ」 けど、ノエルといさせることが、ハルの正しい使い方なのだ。 END |