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 東京駅─────。

 朝の通勤ラッシュも一段落。無機的な駅の通路には疎らに人が歩いて行く。疎らと言ってもそれは、片桐実也子が地元で経験するより数倍の人口密度ではある。
 そして、皆、歩く速度はかなり速い。それは実也子自身、例外ではなかった。ほとんど走っていると言っていい。息をあげて、ショルダーバッグ一つで通路を駆ける。
 早く会いたいのだ。彼らと。
「はぁ……はぁ…。あれー、皆まだかー」
 目的の改札をくぐって辺りを見渡すが、それらしき人物は居ない。少なからず拍子抜けして、実也子は改札前の空間で邪魔にならないよう壁際に寄った。
 駅構内の時計で時間は九時四十分。
(ちょっと早すぎたかなー)
 あと十分も待てば誰か来るのは分かっているが、それでもそわそわ落ち着かない。他の皆も、こんな気持ちじゃないのかな。そんな風に思ってみるが、例え同じように思っていても、それを素直に表現する奴等ではないことは知ってる。何故か損した気分になりつつも、思わず口元が緩んでしまうのはどうしようもなかった。
 三十秒に一回、右手の腕時計に目を落としただろうか。五回目のそれで、
「実也子」
頭上から名前を呼ばれた。
「長さんっ!」
 勢いよく顔を上げると、そこには長壁知己の顔があることは声だけでわかっていた。背が高く日除け用のレイバンをかけた顔が目の前にあった。背中には決して少なくない一週間ぶんの荷物があり、それを軽々と抱えている。
「やー、久しぶりっ」
 パン、とお互いの手が鳴った。
「早かったな。てっきり同じ新幹線に乗ってると思ってたけど」
「楽器があるんで、知り合いの運送屋さんに車で乗せてきてもらったの。荷物はホテルに預けて、そこから電車で来た」
「そか。ま、とりあえず今年もよろしく」
「よろしくっ」
「他の奴らは?」
「まだだよー。早く会いたいのにさ」
「そうむくれるなって。すぐ来るだろ。特に西側連中はそろそろじゃないのか?」
「早く来ーい」
 恨みがましい声を出す実也子の横顔を見て、知己は苦笑した。
 長壁知己は現在三十四歳。片桐実也子は二十一歳である。これからやって来るであろう他の面々も、住んでいる場所や年齢は皆ばらばらで、こうして付き合っていることが不思議に思えてくる。
「あ、見てみて、電車の中で読んでたんだけど、この週刊誌。特集で『B.R.』やってるの」
 実也子は傍らにあった雑誌を差し出す。
「何だ。実也子『B.R.』好きなのか?」
 煙草に火をつけながら、知己はそっけなく言った。
 『B.R.』とは3年前の夏に突然現れたメジャーバンドの名前である。デビュー曲はその年の終わりまでヒットチャートに名を列ねていた。その後なかなか次の曲を出してこないので、俗に言う一発屋とも言われていたが、その次の年の夏。思い出させるかのようにセカンド・シングルを発表。これも前作を超えるヒット曲となった。いつしか、夏にしか曲を出さない、という噂が広まり、3度目の夏の今話題が高まっているのだ。
 特筆すべき点は『B.R.』はどのメディアにも顔を出していないということである。テレビ・ラジオ・雑誌・ライブ…。その他を含む全て、『B.R.』は姿を現さない。それどころか、メンバーも公表しておらず、その謎めいたところが人気に拍車をかけていた。ただ一つだけ、作詞作曲者はクレジットによると「Kanon」ということになっている。ボーカルの声は男声とも女声とも言えず、ただその歌唱力は評論家も舌を巻いていた。レコード会社は事務所の名前を黙秘しており、噂では個人による持ち込みでインディーズ上がりかもしれないという意見もあるが定かではない。
 『B.R.』好きなのか? という知己の疑問に、実也子は笑って答えた。
「そう。特にドラムの人なんて好きだなー」
「言ってろ。…記事、なんだって?」
「えーとね……、あ。『今年こそ公開! B.R.の素顔!』だって。あとはー…『B.R.、評論家に聞く』とか…」
「B.R.の素顔…ねぇ」
「見せる程のものじゃないのにね」
 ぶはっ、と今度は声をあげて知己は笑った。落ちそうになった煙草を慌てて支える。それでもすぐには収まらず、しばらく肩を震わせていた。
 ふと、改札のほうへ目を移したとき、知己は言った。
「その意見、少なくともあの自信家の坊やは反対するだろうな」
「え…? …あっ!」
 実也子は知己の視線を辿ると、改札を出たばかりの見知った人影を見止めた。
「圭ちゃん! 祐輔!」
 場所も憚らず大声で叫ぶ。
 名を呼ばれた二人もこちらに気付いたらしく軽く手を振った。
「おおー、ミヤ。ひっさしぶりぃ」
 まだ「少年」と呼ぶしかない容姿と体型の小林圭、十五歳。
「お久しぶりです。実也子さん、長さん」
 長髪で細目、背の高いほうが二十四歳の山田祐輔だ。
「二人とも、同じ新幹線で来たのか?」
「そう。僕が途中で便乗したかたちですね」
 知己の問いに祐輔が穏やかに答えた。そして含み笑いをもたせて続ける。
「今年もよろしく、と、特に長さんには言っておきますよ」
「どーいう意味だよ」
「いつものことじゃないですか。このメンバーをまとめるのは、かのんさんじゃ少々荷が重いでしょうし、適任は長さんしかいないでしょ?」
 くすくすと笑う祐輔に、知己はささやかな反撃を言葉にしようとした。
「他人ごとじゃ…」
「あーっ! 圭ちゃんたら、背ぇ伸びてるっ」
 実也子の決して小さくない声が響く。
「当たり前だっ。…けど、これだけ伸びてもクラスで一番低いんだよっ」
「来年は私より高くなってるんじゃないの? もー、これだから年頃の男の子は」
 年長組の会話を無視して二人は騒ぎ立てていた。知己は何か言いかけが、知己が声を発するより先に、同等の意味を持つ言葉が背後から投げかけられた。
「公共の場で騒いでんじゃねーよ。他人のふりしたくなるだろうが」
 苦々しい声と共に最後に現れたのは中野浩太だ。背中には一本のエレキ・ギター。
「浩太。おひさしぶりです」
「ああ」
「中野っ、遅いじゃないっ」
「何言ってんだ。時間ちょうどだろ。ほら、10時ジャスト」
「相変わらずだねー。浩太のその性格も」
「圭…、おまえ年上に対する態度がまーだわかんねぇようだな」
「あた、いたた」
 圭の頭を抱え、腕に少し力を加えると圭はあっさりと投降した。
 二人を宥めるつもりではなかったが、知己は間に割って入る。
「おい、全員揃ったことだし、早く行こーぜ。かのんが待ちくたびれてるぞ」





 それから三十分後。都内某所。
 noa音楽企画本社前。
 彼らは再会することになる。
「B.R.プロジェクト」の要、発案者にして責任者、「Kanon」に。
「あ。おーい、かのんちゃーん!」
 実也子の声に、エントランスに背をもたせていた人物が振り返った。
「…皆、お久しぶりです」
 少しぎこちない笑顔で、叶みゆきは彼ら5人を迎えた。


 また、夏が始まろうとしている。


end.

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