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 7月××(+6)日。

 朝十時。スタジオの仮眠室からそれぞれが這い出てくると、PA室には安納鼎が来ていた。みゆきも先に来ていて、安納にコーヒーカップを手渡すところだった。
「あれー、社長だー」
 眠気がさめきってないのか、圭が敬語も忘れて声を上げる。
 なだれ込むように入室してきた5人に動じもせず、安納は穏やかに言った。
「一週間ご苦労様。叶から、無事音撮りが終わったと聞いてね。後は叶とこちらの仕事だ。まかせてくれ」
「かのんちゃんの?」
 終わったのではないかと首をひねる実也子に、みゆきは苦笑して返した。
「…編集サイドの仕事はこれからですよ。あと2、3日はかかります」
「えっ? もしかして、毎回そうなの?」
「仕方ないよ、片桐さん。叶の仕事は、この一週間でどれだけ君らの音を撮れるかだからね」
 それにしても、今年は例年より早かったな、と安納は苦笑混じりに付け足した。一週間という期限、余裕をもって終了できたのは初めてなのだ。ついでに言うなら、毎年締め切り間際のドタバタ劇はかなりのもので、安納がスタジオを訪れた時、5人はスタジオで寝こけていたこともあった。それを思い出して安納は苦笑したのだ。
「これからの予定ってどうなってるんですか?」
 実也子が尋ねた。
「そうだな。来週には有線で流すよ」
「すごく早いんですね」
「もちろん、他のアーティストではこうはいかないさ。『B.R.』はいつもタイアップ無しだから、事前に発表しておくべきスポンサーやお偉方がいないし、特別なお披露目もないし、派手な商戦もない。そういうところで機動力があると言える。…ああ、あと有線とほぼ同時にテレビCMもやるよ。でもこれは私が一ヶ月前から動いているので、早いとは言えないかな」
 経営者らしい一面を見せて安納は答えた。
 この一週間で創られた音楽は、一旦完成してしまえば後は営業サイドに引き継がれる。秘密を守る為、できうる限り小人数のスタッフで製作されている『B.R.』のCDだが、それでも十数人もの人間が関わっている。出来上がってきたCDを手にすると、やはり会ったこともないその存在を感じずにはいられない。
 自分たちは形のない音しか提供できない。
 それが銀色の円盤になり、ジャケットがつき、ケースに収められ店頭に並べられる。
「CDは八月二十五日発売予定だ」
「あ、予約しとこ」
「毎度のことだが、よければプレス後に送るよ?」
「なんかありがたみが薄れる」
 安納の問いにそう言ったのは圭だが、全員、同じ気持ちだった。
「そうそう。私たち、この合宿を終えたら単なる『B.R.』のファンなんです。聞きたいものは自分で手に入れなきゃ」
「そーいうこと」
 小林圭、中野浩太、片桐実也子、山田祐輔、長壁知己。
 5人は揃って同じ笑顔を見せた。
 安納は複雑な表情で苦笑した。
「君達のいいところは、その自己顕示欲の稀薄さと自分達の音に必要以上のプライドを持っていないところだな」
「……誉められてると受け取ってもいいんですか? それ」
 知己が訝しそうに、しかし控えめに安納に尋ねた。
「勿論。そうじゃなければ、このプロジェクトは成立しないよ」
「そりゃまあ、目立ちがり屋にはこのバンドは務まらないでしょうね」
 祐輔の言葉に笑いが生じた。
 三年前、『B.R.』結成直後。この5人は「バンドはやりたいけど、顔は出したくない」という点で意見が一致していた。理由は聞いていないが、それぞれ思うところがあるのだろう。その希望を吸収し、今の『B.R.』のかたちにまとめたのが安納鼎、そして叶みゆきだった。
「今年もおつかれさま。来年も頼むよ」
 じゃあ、私は仕事があるから。そう言って安納は部屋を出て行く。
 メンバーがそれぞれの会話をし始めるなか、安納はドアにたどり着く手前、みゆきの前で足を止めた。
「叶」
「…はいっ」
 安納の抑えた低い声に、返すみゆきの声も自然に小さくなってしまう。
「お前にはCD制作の会議に出てもらう」
「分かりました…」
「あいつにも企画書は渡してある。回収しておいてくれ」
「はい」
 用件だけ言って、安納は背中を見せた。歩き去る姿に、みゆきは複雑な思いを感じていた。


*  *  *


「今年の夏も終わってしまいましたね」
 来たときと同様、5人は東京駅に集まっていた。
 祐輔が言ったのは、もちろん季節としての夏ではなく、『B.R.』の活動期間についてである。
 『B.R.』のメンバーはそれぞれの連絡先を知らされていない。お互い、教えあってもいけない。このプロジェクトが始まったとき、そう、言いつけられていた。
 理由はやはり秘密保持。このメンバーの付き合いがどんな偶然であれ、ばれては困るからだ。だから会うのは勿論、話をするのもこの期間に限られる。
 唯一、全員の連絡先を知るのは叶みゆきただ一人だった。
「もーっ、毎年、このときだけは淋しいっ」
「でも、一年って結構短いじゃん」
「来年はもう少し、腕あげておく」
「とりあえず、正体バレないように気を付けます」
「おつかれ。来年もよろしく」


「じゃあ、またっ。1年後に!」
 そう言って、3度目の夏は終わった。


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