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「実也子」
 ホテルの廊下の片隅で、知己は実也子を捕まえた。往生際悪く逃げようとするがそれを許す知己ではない。
 先程大声を出したことで気が高ぶったのか、実也子の目には涙が浮かんでいた。知己の声にも答えない。これは気を抜くと泣き出してしまいそうだったからだ。
「実也子…」
「ごめん。あはは、…私、馬鹿なこと言っちゃったねえ。矛盾ばっかりで…、社長も呆れただろーなー」
「おい」
「皆もっ! 私一人、勝手なこと主張しちゃって。怒ってるかなぁ? 謝らなきゃ…」
 混乱しつつも笑顔を見せようとする実也子の腕を、知己は強く掴んだ。
「っ痛…」
「落ち着けって! ……謝る必要はない。皆、同じこと思ってるから」
 実際、先ほど実也子が社長に主張した言葉には知己も同じ思いだし、他のメンバーもそれは変わらないだろう。この程度の予測はそう難しくはない。しかし、どうも片桐実也子という人間はその辺の直感が鈍いように思える。その直感力を養う「人付き合い」というものには、誰よりも経験が有りそうに見えるのに。
「……皆?」
 知己の顔を見上げて尋ねる。
「ああ」
「本当に?」
「しつこい」
 どん、と実也子は知己の胸を叩いた。
「じゃあ、どうして口にしないのっ?」
「は?」
 突然怒り出した実也子の感情に、知己は付いていけなかった。そう、実也子は怒っていた。
 ただ我慢していた涙が溢れてきてしまい、結局実也子は視線を外して続きを口にする。
「皆、そう。圭ちゃんは変にスレてるし、浩太は柄でもないのに二枚目ぶってるし、祐輔は自分の考えてることは最後まで言わない。長さんだって、大切なことは口にしてくれないじゃないっ! いつも、そう。……馬鹿みたい…っ、私」
 例えば夏に再会するときも。
 実也子はいつもワクワクしながら、走って集合場所に来る。毎年、一番はじめに。その後の皆を待つ時間も楽しいし、会えたときは嬉しいものだけど、時々不安になる。
 皆も同じように、楽しかったり嬉しかったり、思ってくれているんだろうか。
「私は祐輔や長さんと違って、口にしてくんなきゃ分かんないの!」
 強要できるわけないと知っているけれど。
「皆が『B.R.』を続けたいのか、そうでないのかとか、ちゃんと言ってくれないと分からないよ」
 実也子の言葉は知己に言わせれば、どうして分からない? となる。祐輔も圭も浩太も同じ様に『B.R.』を楽しんでいるし、お互いの気持ちも分かっている。だから安納に対して堂々と、五人の総意として発言できるのだ。
「…あいつらの性格はわかってるじゃないか。自分の意見を暴露する奴等じゃないだろ?」
「それじゃあ、私が損するだけじゃん〜」
 半泣き状態で知己の腕に擦り寄った。知己は溜め息を一つ。ぽん、と実也子の頭に手を置いて言った。
「おまえの言葉は俺達の気持ちを確認させてくれてる。…大丈夫、俺達はそれぞれ『B.R.』を好きで、楽しんできたし、これからも続けていきたいと思ってるよ」






 五人を置いて会議室を出た安納とみゆきは、事務所に戻る為、待たせていた車に乗り込んだところだった。
「社長…」
 恐る恐る、みゆきは安納に声をかけた。
「何だ」
 キツい物言いに一瞬みゆきは言葉を飲み込んだが、手のひらを握って思い切って口を開いた。
「今回のこと……、記者会見が無事に済んだとして、そうしたらその後、どうするおつもりなんですか」
「何が」
「勿論、『B.R.』についてです」
 安納は窓の外に目をやり、遠くを流れる建物を目で追いかけた。
「それはあいつら次第だろう。続けるつもりなら今まで通り…まぁ、仕事量は増えるだろうがな。…万が一『B.R.』が解散ということになっても、私は別の器に「Kanon」の曲をやってもらうつもりだ」
「……」
 みゆきは眉をしかめて、うつむいた。続けるべき言葉はなかった。



 その日。
 会場に集まった報道陣は約300人。
 と、noa音楽企画社長・安納鼎。
 ゴネていたが、結局安納に引きずられてきた中野浩太。
 二人が用意された席についてからもう五分、カメラのフラッシュは光りつづけて止むことがなかった。
 写真なんかこの二日で腐るほど撮っただろうが、フィルムの無駄。などと呑気にも思ってしまう。
「…随分、落ち着いてるんだな」
 苦笑混じりに小声で、隣から安納が声をかけた。
「この二日で、芸能人ヅラが板に付いたんですかね」
 失笑混じりに言ったが安納には無視された。あっさり別の質問をしてくる。
「『B.R.』の方針は決まったか?」
「…まだですよ」
 本当に、最大の問題はそこだから。今日、こんなことで慌ててるわけにはいかない。
 別室には叶みゆきがいて、他のメンバーは今ごろ帰りの電車の中だ。それぞれ身内に事情を話す為に家に帰る。
 『B.R.』のこと。今までのこと。現在のこと。これからのこと。
 これからのこと。
 皆の意見をまとめるには、考える材料が少なすぎる。
 ただ一つ。皆との別れ際に安納が言った一言。
 ───君達はこれからプロとしてやっていく気があるのか?
 誰もが無言のまま、答えられなかった。
 誰も考えたことがなかった。
 それを言うなら、今の立場は何と言うのだろう。確かに、五人は『B.R.』の仕事で食べているわけではないので、プロとは言わないだろう。それ以前に五人は仕事だなんて思っていないのだ。
 プロとしてやっていく気があるか?
 楽しい夢から現実へと、起こされた気分だった。
「この度は、世間をお騒がせしたこと、心よりお詫び申し上げます」
 安納の低い声がスピーカーごしに響く。その声で浩太は思案の底から目が覚めた。
「noa音楽企画が仕掛け人だったんですね?」
「中野くんは高校生だそうですが、どうやって選ばれたんですかっ」
「現在の『B.R.』の人気は、予測していたんですか?」
 一斉に質問が浴びせられた。
「安納社長、今回、公になったことについてどう思います?」
「中野くん以外のメンバーは誰なんですかっ? 教えてくださいっ」
 そこで、こほん、と、わざとらしく安納が咳をする。
 静まった空間に、安納の言葉がはっきりと響いた。
「二週間後、この場所でもう一度記者会見を行います。そのときには『B.R.』を紹介できるでしょう」



 その日。
 世界で少なくとも五人は、眠れない夜を過ごしただろう。


end

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