キ/BR/04
≪9/10≫
ノックが鳴った。
一斉に全員が沈黙した。次に現れるべき人物はわかっているからだ。
皆の視線に促され、みゆきがドアを開けにいく。ゆっくりとドアが開かれ、その向こう側からはスーツ姿の安納鼎が現れた。
「…全員、揃ってるな」
その表情は少しだけ疲労の色が表れており、本人も機嫌が悪そうに見える。こんな事態ではそれも当たり前だろう。安納が会議机についたので、メンバーはそれぞれ近くの椅子に腰を下ろした。
マスコミが『B.R.』について騒ぎ始めたのは昨日の深夜。スクープをトップに飾った雑誌が業界に出回ったのがきっかけだ。時を同じくして浩太もそのことを知らされる。その浩太から、安納に連絡がいった。
記事が出回る前に抑えるには時が遅すぎた。
幸い、『B.R.』の裏にnoa音楽企画がいることはバレていないので安納がマスコミに曝されることは免れている。しかしそれも時間の問題でしかない。
「外は大した騒ぎだな」
溜め息とともに安納は言う。浩太はそれを嫌みと受け取ったのか、申し訳ありません、と頭を下げた。
「いや、今回のことはこちらの手落ちでもある。正体不明を装うのも潮時だった、と思うよ」
本音かどうかは計り兼ねるが、浩太個人をどうこう言うつもりはないようだ。
そんなことよりも、今考えるべきことは。
「では、これからの事だ」
安納の言葉に空気が緊張した。
「まずは事務所側から君達への要求だ。全員、マスコミの前に出てもらう」
「社長っ?」
それぞれが驚きの声をあげた。もちろん、それには批判的な声が含まれている。
「それ、約束が違いますよね」
すかさず祐輔が厳しい声を返した。その反応の良さはもしかしたら安納の言葉を予測していたのかもしれない。
「祐輔の言う通りよっ。何があっても私たちの名前が出ることはないって、言ってたじゃないですか」
「ほとぼりが冷めるまで大人しくしていれば済むことでしょう?」
実也子、そして知己も反論を返した。
三人は初めから、自分たちの名前が出るのを嫌がっていた。だから浩太は、今回のことで三人が自分を責めないことを意外に思ったのだ。知己たちのなかで、その確執は消えたのかとも思った。しかしそれは思い違いでしかなかった。
「ここまで世間を騒がせておいて、姿を現さないというのは許してもらえない」
安納の言葉は、業界のことに疎い五人には大した理由には聞えなかった。
「でも…」
「逃がしてもらえない、というほうが正しいかな」
このまま大人しくしていて、うやむやのうちに騒ぎが収まっても、このネタを追い続ける少数派は必ず存在する。彼らに見張られている中では夏に集まることもできなくなってしまう。コソコソと嗅ぎ立てられ事実を歪曲した記事が出回るよりは、というのが安納の考えだろう。
「でも社長。マスコミの前に出たら、俺らどうなるわけ?
俺らはフツーの一般人なわけだし。その後の一騒動は仕方ないとしても、『B.R.』の活動だって、例年通りにはいかなくなるだろ?」
一同の中で、一番落ち着いているのは圭かもしれない。穿ったことを言う。
「小林くんの言う通り、君達が騒動に巻き込まれるのは避けようがないな。それぞれの地元のほうにも報道陣が押しかけるだろう」
「周囲の人にまで迷惑かけろって言うんですかっ?
冗談じゃないですよ」
「有名税ってやつですか?
そんなもの、払わなければならないのは、かなり不本意です」
祐輔と知己、二人は比較的落ち着いているように見えるが、不機嫌さを露にした物言いはいつもの彼らではなかった。
安納は指を組み、少しの間考える。
「……」
安納はあえて言わなかったのだが、彼ら五人は分かっていなかった。
自分たちのしてきたことの大きさを。
自分たちの音楽を、一体、何万人が聴いたのかなんて、彼らは知らないのだろう。レコード会社に数千を超える問い合わせがあったことも。シングル一枚に億単位の売り上げがあることも。
彼らは自分たちも『B.R.』のファンだと言って笑っているが、同じように『B.R.』を好きだという熱狂的なファンが日本中にいることを、考えたことがないのだろうか。
「…どうしてもというのなら、中野くん以外は代理人を用意してもいい」
打開策とも言える案を安納は提示した。
「どういう意味?」
「顔を知られてしまった中野くん以外のメンバー、対マスコミ用の『B.R.』のメンバーはこちらで別の人間を雇ってもいい、という意味だ。もちろん、これから先の音作りに関しては、変わらず君達にしてもらうつもりだが」
「駄目っ!」
頭ごなしに否定した声があった。
「実也子?」
周囲が驚いて彼女を振り返る。実也子自身、自分が叫んだことに驚いているようだった。
「あ…、ごめんなさい。…あの、でも、私は嫌ですっ!
他の人間に中野の仲間を名乗らせるのも。他の人間に『B.R.』を名乗らせるのもっ!」
勢いづいた言葉は止まらなかった。
「以前、社長は私たちのことを必要以上のプライドがない≠チて言ったけど、……でも、私は、これだけは譲りたくありませんっ」
なけなしの。つまらないことかもしれないけれど、譲れないプライド。
実也子は大声を出した反動で足の力が抜けたが、知己がその肩を支えた。
「話にならないな」
安納の厳しい声が響いた。
誰も返事を返せなかった。
「社長」
知己だ。
「なんだ?」
「今回の件は急過ぎて、俺達も意見がまとまっていません。少し考える時間をください。…多分、社長の言う通りにせざるを得ないでしょうが」
「……わかった。とりあえず明後日は世間を落ち着かせる為にも、私と中野くんで記者会見を行う。その二週間後に『B.R.』を発表させる。それが今ここにいる君達か、それとも別の人間かは君達の返答しだいだ」
ガタン、と派手な音をたてて立ち上がり、安納は部屋を立ち去ろうとする。その際、みゆきに視線を投げ、付いてくるように示した。
二人が退出した室内に沈黙が訪れた。
しばらく誰も、口を開こうとしなかった。
がたん、と椅子が鳴った。
「…ごめん、私もちょっと」
実也子は控えめな声を出すと、皆に顔を見せないように、逃げるようにドアから出ていった。
すると、浩太、圭、祐輔の視線が知己に集中する。無言の発言はとても分かりやすいもので、知己は、
「……わかったよ」
と言うと実也子の後を追った。
「浩太。顔が緩んでますよ」
「……っ」
意地悪い祐輔に、浩太は口元を手で隠して睨み返したが効果は薄かった。
しかし思いの外、祐輔は優しい笑顔を見せる。
「実也子さんの言葉、嬉しかったんでしょう?」
祐輔のその言葉は間違いなく図星であったけれども悔しくはなかった。祐輔も同じように感じたのだと気付くと嬉しくなった。
「……ああ。俺は今回、皆に迷惑かけて見捨てられるのが怖かったんだ。いや、迷惑はかけてるんだけどさ」
この部屋に入ってきたとき。皆のいつも通りの態度と、自分を心配して駆けつけてくれたこと。とても嬉しかった。
怒ってないのか?
そんな疑問も、いらなくなる程に。
圭は室内の給湯所を漁って、食料を物色している。「インスタントしかねーけど、日本茶でいいかー?」と声をかけてくる。それに手を振りながら。
「……祐輔」
「?」
「俺はやっぱり、こいつらと続けていきたいと思うんだけど。…迷惑?」
「何言ってるんですか」
本気で呆れられた声が返ってきた。
「そう思ってない人が、僕たちの中に居ると思ってるんですか?」
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