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 希玖はぽんと手を叩いた。
「そうそう。ところでみゆきちゃんは今日はどんな用事?」
「あ」
 自分でも忘れていたのか、みゆきははっとして顔を上げた。
 手間取りながら持っていた封筒を希玖に差し出す。
「これ……。あ」
 はっとみゆきは浩太に気まずい視線を送る。
 受け取りかけていた希玖の手から、封筒を半ば奪い取るようにして自分の背中へと隠した。とても分かりやすすぎる反応だった。
「みゆきちゃん?」
 手持ち無沙汰で希玖が声をかける。
「えーと……、あの」
 浩太に向けられる視線の意味は馬鹿馬鹿しいほどわかった。
 こんなときでさえ何も言えないみゆきの性格は、浩太もよくわかっている。
 途端に気が抜けて、気付かれない程度の溜め息を落とす。
(…あほらし)
「俺、帰るよ」
 そう言うと浩太は上着を羽織り帰り支度を始める。
「え? 何、もう?」
 浩太との会話をごまかそうとした希玖がぬけぬけと言う。でも浩太を引き止めようとする言葉は本音のもので、彼の性格の複雑さが伺えた。いや、単に天然に意地が悪いだけかもしれない。
 また追求する機会はあるだろうし、『B.R.』が集まったときにみゆきを尋問するのもいいだろう。
 希玖が何を隠し何を企んでいるのか知らないが、どちらにしろこれからも付き合うことになると思った。これは予感だろうか。
「浩太っ」
 名前を呼ばれた。浩太は振り返る。
「今日はごめんな。あと、ありがとう」
 真顔でそう言う希玖には、やはり勝てない。これからも振り回され続けるかもしれない、と半ば諦めの笑みを浮かべた。
「ああ。またな」
 そうして、浩太は希玖とみゆきに別れを告げた。



「あれ、中野くん。今、帰り?」
 正面玄関で関と会った。
「あ、はい」
「叶さん来てただろ? あの二人も仲良いよね」
「あいつ、よく来るんですか?」
「彼女は希玖が通院してたときからの付き添い人だよ。従姉弟なんだってね。最近はFDや書類をやりとりしてるし…。一体何を始めたのかなあ」
 関は楽しそうに笑った。
「…?」
 ふと、関が胸に持つノートの表紙の文字が浩太の目に飛び込んできた。
 何の取り止めもない、大学ノートだ。
 でもすぐに、浩太は何故自分がそれに気を留めたのか理解した。
 見知った文字がそこに書いてあった。
 でも何故、関のノートにそんな文字が?
「先生、…それ、何のノートですか?」
 きっと偶然の一致なのだろうが、気になったので訊いてみた。
「──ああ、これ? これは個人的な希玖の診断書だよ」
「は?」
 浩太はすっとんきょうな声をあげた。
「ほら、希玖、今日倒れただろ? 毎回記録してるわけさ」
 それはわかる。それはわかるが、何故、安納希玖の診断書(正確には関の個人的なノートだが)に、その文字が書かれているのだ。
(──アノウ、キク)
 胸の中でその名前を発音して、浩太は目を見開いた。
 そして関のノートの文字を凝視する。一文字一文字を追いかけながら、自分の読み間違いでないことを確認する。
 体が震えた。
「中野くん? どうかした?」
 関の声も耳には入らない。

 関のノートの表紙には、簡潔にイニシャルだけが書かれていた。
 「K.anou」───と。
 約二十秒、浩太はそのノートを眺めていた。
「……なんだ、そりゃ」
 呟いた。

end

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