キ/BR/05
≪12/13≫
(短い人生のなかで後悔したくないから)
(好きなことさせてもらってる)
放っておけば百は生きる体だと言った。
それでも、短い人生だと。
希玖は、笑った。
「……こういう意味だったのかよ」
希玖が眠るベッドの傍らに腰かけて、浩太は呟いた。
不思議な気持ちだった。希玖の病気を知らされたショックと、知らされていなかった憤りと、これまでどんな風に生きてきたのかとか考えてしまう。
きっと支えてくれている人がいる、ということは容易に想像できた。家族でも恋人でも、希玖にはそういう人がいるのだ。多分。
一人であんな風に強くはなれないだろう。
(………あれ?)
浩太はそこで思考を停止させる。
また、何か思い出しかけた。
(なんだ…?)
記憶を辿ることに集中し始めた浩太。
しかしそれを邪魔する声があった。
「あれー、浩太、まだ居たの?」
ベッドから希玖がのそのそと這い出してくるところだった。
「今、何時? あ、まだ七時前なんだ」
ふわああああ、と緊張感のない欠伸をする。
(……)
途端に、浩太は希玖を殴りたくなった。さっきまでシリアスに考えてきたことが馬鹿馬鹿しくも思えた。
「あのなぁ…」
バンッ!
浩太の言葉を遮るように、物凄い勢いでドアが開かれた。
「希玖っ、倒れたって本当?
大丈夫なの?」
と、同時に同じくかなり勢いづいた少女が転がり込んできた。そのまま希玖のベッドまで駆け寄る。息が上がっている。病院内だというのに、ここまで走ってきたのだろう。長い髪が乱れてボサボサになっていた。眼鏡の奥の両眼は心配を隠せない色で、希玖をじっと見つめている。
驚いたことに、浩太はその少女の名前を知っていた。
「あ、みゆきちゃん。いらっしゃい」
希玖は予定していなかった客を笑顔で迎えた。
「…………──かのん?」
浩太は半信半疑で口を開く。
「え?」
少女はそこで、はじめて浩太を目に止めた。目を見開いて、もう少しで悲鳴をあげそうになったのではないだろうか。でもそれを飲み込んで、
「………浩太さんっ?」
叶みゆきは器用にも小声で叫んだ。その後も意味不明の声を発して、希玖と浩太の顔を交互に見回した。どうしてここに?と言いたいのだろう。勿論、浩太もみゆきほどうろたえてはいないものの、驚いていることには変わりない。
ただ一人、落ち着き払っている希玖がみゆきに向かって言った。
「へー。みゆきちゃん、かのんって呼ばれてるんだ。かわいいね」
「希玖っ」
みゆきが希玖を軽く睨みつけた。
「……」
意外な組み合わせだった。『B.R.』の仲間である叶みゆきと、偶然知り合った安納希玖がこうして同じ空間にいるのだから。
「何でおまえがかのんと知り合いなんだよっ」
浩太は希玖に詰寄った。決して浩太の迫力がなかったわけではないが、希玖は平然とその言葉を受け止めた。
「えー?
どっちかってゆーとそれはみゆきちゃんの台詞なんじゃない?」
「どっちでもいいから説明しろーっ」
「だって、みゆきちゃんは僕の従姉だもん」
ね?
とみゆきに同意を求める。予測していなかった血縁関係は浩太の頭の中ではすぐに結びつかなかった。
「…は?」
「みゆきちゃんのお母さん、僕のお父さんのお姉さんなんだよ」
「ということは社長の…」
「姪、だね」
安納社長と希玖は親子で、希玖とみゆきは従姉弟同志。
(何か、できすぎてる気がする…)
希玖は『B.R.』を好きだと言ったことがある。その正体を見てみたいとも言った。
希玖の父親は『B.R.』の所属事務所の社長で、希玖の従姉は『B.R.』の作詞曲担当。
そして、その希玖の従姉。
叶みゆき。
「───…なんで浩太さんがここにいるの?」
と、浩太ではなく希玖に訊いたのはみゆきだ。問われた通り希玖が答えた。
「半月くらい前かなぁ。誰かのお見舞いに来てた浩太と偶然会ったのって。それ以来懐かれちゃって」
「懐いてんのはそっちだろうっ」
浩太に怒鳴られて希玖はくすくすと笑う。
「あ。僕も聞かなきゃならないのかな。みゆきちゃんと浩太はどういう関係?」
その台詞に、浩太はじとっと希玖を見据えた。
「しらじらしーぞ、希玖」
わざと低い声で言う。希玖は首をひねった。
「なに?」
「おまえ、俺が『B.R.』だって知らなかったって言ったよな」
「言った」
「あれ、嘘だろ」
みゆきが入ってきたとき、希玖が「あ、かち合った」と小さく呟いたのを浩太は聞き逃さなかった。
希玖は浩太とみゆきが知り合いであることを分かっていた。そして自分が、浩太とみゆき、共通の知人であることをそれぞれに隠していたのだ。それに。
「かのんが嘘つき続けるなんて、できるわけないし」
これは自信を持って言えた。
『B.R.』を好きだという従弟に対して、自分を『B.R.』関係者だと隠し通せる性格ではない。
「ど、どーいう意味ですかっ」
自分の性格を挙げられてさすがにみゆきは反論する。
「へー。浩太、みゆきちゃんのことよく分かってるなー」
希玖は感心して声を弾ませた。冷やかしも含まれた言い方だったが、浩太もみゆきも気付かなかった。どことなく似ている二人を目の前にして、希玖は表情を改めた。
「───…あたり。浩太の言う通りだよ」
「希玖」
「嘘ついてもしょうがないし。ごめん、悪気は無かったよ。ほんと」
みゆきを制して希玖は続ける。
「僕はお父さんやみゆきちゃんが『B.R.』に関わってることは知ってたし、浩太が『B.R.』のメンバーだってことも、実は初めから知ってたんだ」
みゆきがうつむいた。
「…俺が『B.R.』のメンバーだから、声かけたのか?」
半月前、この病院の廊下で声をかけられた。単なる偶然と思っていたことが、仕組まれたことだとわかった。
希玖は否定しなかった。
「それもあるけど…」
「他に何かあるのかよ」
「ほら、前に言っただろ?
夏場に街中で助けてもらったことがあるって。浩太は覚えてないみたいだけど」
「…ああ」
確かに、それは以前聞かされたことだ。
浩太はさっぱり記憶にないのだが、今年の夏、浩太は希玖と会っていたらしい。街中の歩道で、具合が悪くなりうずくまっていた希玖に声をかけたのが浩太だというのだが…。
未だ思い出せない浩太を前にして、希玖は微笑んでみせた。
「あの時のお礼をちゃんと言いたかったんだ。実は発作起こしかけてて、正直ヤバかったから」
発作、という言葉を聞いて浩太の表情が曇った。先程、希玖の主治医に聞いたことを思い出したのだ。みゆきへと目をやる。希玖の病気のことは、もちろん彼女も知っているのだろう。
浩太は首を振った。
夏の一件のことを除いても、うまく逸らかされた気がしたから。
「俺が『B.R.』関係者だって知ってたなら、どうして隠してたんだ?]
「じゃあ、どうして浩太はお父さんと僕の関係を訊けなかった?」
質問を予測していたらしく、希玖は満足気に笑みを浮かべた。
「わかってる。浩太は『B.R.』関係者だって、知られちゃいけなかったからね。それと同じで、僕もお父さんに『B.R.』については口止めされてたんだ」
「……で?」
「で、ってそれだけ。口止めされてたから、言わなかった」
希玖は浩太の目を見ているものの、口の中では込み上げる笑いを噛み殺している。
みゆきは、うつむいたままだった。
「あのなー」
理由になっていない希玖の回答に釈然としない浩太は声を荒げる。巧く…いや、下手にごまかされた気がするのは決して気のせいではない。
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