キ/BR/05
≪11/13≫
「落ち着いて、中野くん。大丈夫だから」
希玖の主治医である関久弥はほとんどパニックに陥っている浩太をどうにか落ち着かせようとした。
関は三六歳で、七年前から希玖についているという。
結局、浩太の呼びかけに駆け付けた関が、希玖を病室まで運んだのだ。その後の処置はと言うと、関は希玖に外傷がないことを確認し、顔に耳を近づけて呼吸を聞いただけだった。
人一人倒れたというのに、それだけ看ただけで何が分かるというのだろう。だから浩太はパニックから抜け出せないでいるのだ。
希玖はベッドの上で、静かに眠っていた。
「でも、こいつ、急に倒れたんですよっ?」
大丈夫だから、と言われても、それだけで理解できるはずもない。
「そういう病気なんだ」
「そういう…って、それじゃわかんないですよ───……?」
浩太は関の言葉の意味を理解しようとした。何か今、妙なことを言われたような。
「……え?」
浩太はさらに混乱した。今、関は"そういう病気"だと言わなかったか?
関は浩太を安心させるように笑ってみせた。
「希玖を見てごらん。顔色もいいし、呼吸も正常だ。今回のように突然倒れるのは確かに彼の病気の発作だが、これは寝てるだけだよ」
「は?」
ベッドの中の希玖に目をやる。
確かに、こうして見るとただ眠っているようにしか見えない。穏やかな寝息を立てていた。
そして、関は希玖の病名を告げた。
「希玖は過眠症なんだ」
睡眠障害の一つ、ナルコレプシー。
不眠症は五人に一人といわれるほど代表的な睡眠障害だが、その逆に過眠症というものもある。ナルコレプシーもそれにあたり、現在日本には二万五千人いるといわれている。
文字通り、健康な人よりも眠り過ぎてしまう病気で、周囲に理解されないことが多い。昼間でも睡魔が発作的に襲い、感情が昂ぶると足の力が急に脱力して倒れてしまうこともある。
過度の眠気、レム睡眠異常および情動脱力発作を特徴とする睡眠障害。
薬剤である程度抑えられるものの完全な治療法は見つかっていない。先天性であると言われているものの、一卵性双生児の不完全一致も報告されている。
「健常者の何倍もの疲労負荷、睡眠時と活動時の脳波異常。それが希玖の病気だ。──簡単に言うと、すごく疲れやすい体質で、長い時間起きていることができない。突然糸が切れたように眠っちゃうこともある、それこそ普通に歩いているときでもね」
つまり今回のように、目の前で倒れることもよくある、ということだ。
「希玖が昏倒するのは心配しなくてもいい。ただ寝ているだけだからね。どちらかというと、倒れたときに頭をぶつけるほうが心配だな」
関は苦笑した。
「………」
浩太は何も言わなかった。そんな病気があるということさえ、今日初めて知ったのだ。どう受け止めて良いのか、まだ分からなかった。
さらに関は続ける。
「この病気の症例者の中でも、希玖はかなり重度なほうでね。一日に三十錠の薬を飲むことで、今の状態がようやく保てるほどなんだ。それでも、希玖の一日の活動時間は八時間を切ってる」
「でもそれじゃあ…」
普通の生活など、できるわけないじゃないか。
声には、出せなかった。
一日の活動時間は八時間。それは通常の人の半分だ。
何ができるんだろう。何がしたいんだろう。意識がない間に、時間は過ぎて行く。
例えば浩太が授業を聞かないでぼーっとしているような、そんな時間さえ彼には許されない。
限られた時間のなかで、彼はどんな気持ちで、どんな覚悟で、毎日を生きているのだろう。
関はもう一言、浩太に付け加えた。
「心配も同情もいらないよ。教えてはくれないけど、希玖は自分のやりたいことを実行しているようだし、それに周りの人間に恵まれてるんだ、彼は」
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