キ/BR/06
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十二月十日。東京都H区────。
U MUSIC
JAPANという会社がある。
オフィスは池袋ビジネス街の一画にあるビル、その6階の1フロアを間借りしていて、一二〇名からの社員は全員がこのオフィスに収容されていた。収容、と表現したのは、このフロアが既に面積的に手狭になりつつあるからだ。社員の間からは「引越ししよう!」という意見が出ているが、管理職を含む上層部からの回答はいつも同じだった。「金がない」。
さて、この会社の業務内容を説明しよう。
取引先は主に某業界のそれぞれの事務所で、たまに個人や法人、行政団体などもいる。
客先からデジタル処理をした音楽≠データで受け取り、指定された媒体に焼き付け、それを指定された数に増産する。装丁を整え商品を作り上げるのが仕事だ。その後地方への発送を手掛けることもあるがそれはオプションである。
一般にレコード会社と呼ばれている。
各アーティストや事務所が持ち込む編集済みの音楽≠何百万枚ものCDに焼く。CDケースを手配する。指定された通りのジャケットを作る。つまりただのデータを、店頭に並べる商品にするまでの工程を請け負っていた。しかしU
MUSIC
JAPANでは、CD増産やジャケット印刷などは下請けの会社に任せているので、実際の仕事は依頼主との交渉と下請け会社への指示、それからこれも重要だが、それら商品の宣伝全般を行う。
地味な仕事と思われるかもしれないが、セールスワークを全て担っているのだからアーティスト側にすれば必要不可欠にして重要な存在だ。
U
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JAPANは国内シェア五位。それでもこの業界では中堅企業と言える。
そして、今噂になっている『B.R.』のCDの発売元でもあった。CDだけでなく、店頭ポスターやテレビCM、その他関連商品もこの会社から配給されている。
メンバーから事務所スタッフまで全てにおいて秘密とされている『B.R.』の発売元。それは世間から見た場合、『B.R.』に関わっている制作スタッフのうち、唯一身元が明らかになっている企業だということだ。(スタッフの一人、Kanonという名も世間には知れているが、どこの誰とも分からないのでは何の意味もない)そんなわけで、『B.R.』の人気に火がついた当初からこの会社にマスコミが押し寄せていた。が、会社は守秘義務をこれ以上無いくらいの巧みさで貫き通し、何一つ情報が漏れることはなかった。以前、新聞記者の日辻篠歩がこのレコード会社の振込み口座から『B.R.』の事務所を割り出そうとしたことがあるが、調べたその先には偽造名義しか見えなかったという。
朝九時五十分。U
MUSIC
JAPANのオフィス入り口に現われた人影があった。
「はよーっす」
無精髭を伸ばし(単に時間がなかったのだ)、脹らんだ腹が目立つ五十歳の男性。ポロシャツとスラックス、コートを背中に引っかけている。
名は大塚スグルといった。
ちなみにこの会社の始業は八時半である。
「あ。おはようございます。今日はお早いんですね」
指定の制服を着て髪をきっちり結わえている女性がにこやかに言った。若さゆえか、かなり直球な嫌味である。それを聞いても態度を崩さず、
「十時から『B.R.』の記者会見やるだろ。それ見ようと思ってな」
と、大塚は言った。この豪傑さは年の功だろう。
パソコンが置かれた机が並ぶ間の狭い通路を早足で自分の席へと歩く。体型の割には身軽な男だ、と後に続く女性は心の内だけで皮肉った。
「それなら───」
口を挟む。
「それなら皆、テレビの前に集まってますよ。あと五分で始まるそうです」
「あん?」
見ると、両脇に並ぶ机に人影は少なく、パソコンは電源が入ったまま放置されている状態だった。大塚はふつと視線を泳がせると、オフィス奥にある応接コーナーに数十人が集まっていた。主に若い連中、二十代の社員がテレビの前に詰め掛けていた。勿論今は業務時間内だ。
「…何やってんだ、あいつら」
大塚は呟く。
「見た通り、大塚さんと同じ目的の方々です。部長が特別に許可してました」
許可、というのはこの場合、『B.R.』の記者会見を見る為の一時的業務の放棄だ。
「いい会社だなぁ」
「そうですね。毎日遅刻してきても何も言われない会社ですしね。あ、それから速達、届いてました」
「おお、さんきゅー」
もしかしたらこの相手は嫌味が効かないのではなく人の話を聞いてないだけなのかもしれない、と踵を返した女性は思った。
ほぼ毎日郵便物を受け取っている大塚は、A4封筒を渡されていつもと同じようにそれを器用に開けながら、倒れこむように自分の席へと座った。差出人を確認しないのは癖ではなく性格だ。中には十枚程度の書類が入っていた。大塚はそれに目を走らせた。
「…………」
一方、テレビの前に集まっている社員の間には異様な熱気が漂っていた。
勿論、社員たちは全員、『B.R.』のCDの発売元が自分たちの会社だということは知っている。しかし不思議なことに誰もその仕事に関わったことがない。同じ会社に居ながら、皆、そのプロジェクトを見たことがないという。そんな病的なまでの秘密主義を貫いていた『B.R.』が現われるというのだ。例え仕事中といえども気にせずにはいられないだろう。
この、大塚スグルと同じように。
「木村ァッ!」
心臓を貫く馬鹿でかい声が響いた。近くにいた部下の女性は勿論、オフィスにいたほぼ全員が何事かと振り返る。
「ハイーっ!」
テレビの前に座っていた一人が飛び上がった。若い、ひょろりとした体型の男が人垣を越えて大塚の元へ駆け寄る。息を弾ませているのは走ったからではなく、大塚の声に驚いたせいだ。
オフィス中からの非難の視線を全く気にせず、大塚は部下である木村康孝に命じた。
「一週間後に今井ンとこのプレス、予約取っとけ」
「は?
無茶言わないでくださいよ。この新譜ラッシュの時期に割り込めるはずないでしょう」
プレスとは業界用語で、この場合CDの増産作業のこと。クリスマス前には大抵CD新譜が大量にリリースされる為、この時期に一週間後などという確約が取れるわけがない。小規模なプレス工場の今井産業では無理に決まっている。
「他の仕事全部蹴ってでもやれって言え」
大塚の表情はマジだった。木村は若年ながら大塚のもとで三年以上片腕として働いている(こき使われている)。その傲慢な性格もよく知っているので反論することは諦めた。
「…一応、言うことは言ってみますけどね」
難しいと思いますよ、と続けようとした。
「その価値はあるとも伝えろ」
「!」
木村は大塚の表情にピンとくるものを感じて目を見張った。「あ…」と言いかけるが声にならない。もう一度、息を吸う。
「…えっ、嘘。大塚さんがそんなマジになるって、その仕事って…!」
誰かが記者会見が始まったことを伝えた。大塚もテレビの前へと歩き始めた。
「ねぇ、大塚さん!」
その背中を止めようと手をのばす。しかし手は届かず、振りかえらないままの大塚の背中は不吉なことを告げた。
「あ。…そうそう、おまえが出したクリスマスの休暇届け。あれ却下な。仕事入ったから」
「そんな……っ!」
彼女と約束があるのに、と木村は叫んだが、既に大塚はテレビの前の人垣を掻き分け特等席を陣取ったところだった。
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