キ/BR/実也子
≪2/16≫
Blue
Roseという突然現われたバンドに、世間は大騒ぎになっていた。
四年前の夏、デビュー直後に爆発的ヒットを果たした正体不明のロックバンド『B.R.』。その正体が明らかにされたのが昨年末だった。彼らは全員普通の一般人で、年に一度だけ東京へ集まり、レコーディングをしていたというのだ。クリスマスに行われた記者会見では、「全員それぞれの生活がありますから」と理由付けをして、世間に惜しまれながらも『B.R.』は解散した。
それから四ヶ月後。Blue
Roseというバンドがデビューした。何とメンバーは全員、元『B.R.』。ボーカルが変声期を迎えたため声は変わっているが、それ以外は『B.R.』そのものだった。
『B.R.』の復帰を待ち望んでいたファンは大喜びで、この復活劇にマスコミも飛びついた。さらに今までのロック調だけでなく、ギター・ソロや弦楽器を用いるなどして幅を広げている。これからの活躍が期待された。
ファースト・シングルを発表し、数々の雑誌や新聞、テレビ番組などの取材をこなして、ようやく落ち着けたのが一ヶ月経った頃だった。
というわけで五月。
東京での住居が定まらず、五人が社長の指示があるまでホテル暮らしを余儀なくされてから一月が経過した。初めのうちは不便を感じていたが、慣れてしまえば快適そのもの。何と言ってもマスコミが入ってこないのが良い。
五人はホテルのラウンジでお茶するのが日課になっていた。
午前中にそれぞれの日課(ほとんどは楽器の練習)を済ませ、午後には誰も何も言わないのに自然と集まる時間。全員が集まっているのに本を読んでいたり、それぞれが勝手なことをやっていたり、何も喋らなかったりする時もあるけど、不思議と和む時間だった。
そしてそんな風にいつも通り集まっているけれど、最近、様子がおかしい人が、約一名。
「ミヤっ!」
「わっ」
がくん、とテーブルについていた肘が落ちた。片桐実也子は驚いて声を上げた。
「……あ、…え、なに?」
眠っていたわけでもないのに目が覚めきっていないような表情でまばたきをする。
隣から小林圭がカップを手渡そうとしていた。
「さっきから、何回呼んだと思ってんだ? ほら、コーヒー」
ガラス張りの日当たりの良いラウンジ。テーブルに付いているのは実也子を含めて現在五人。
「ありがとーっ。ごめーん、ぼけてたみたい」
あはは、と手を振る実也子に、隣から山田祐輔がつっこみを入れた。
「かれこれ三十分は、その雑誌、頁が止まってましたよ」
「やだぁ、つまんないもの見てないでよ、祐輔」
三十分というのは勿論冗談だろうが、かなり本格的に実也子は上の空だったらしい。
「目ぇ開けて寝てるとか?」
中野浩太が半分真剣、半分冗談で言う。
「顔色悪いぞ」
と、声をかけたのは目の前に座る長壁知己。実也子はハッとして、
「うっそ、ファンデの塗り甘かったぁっ?」
と、オーバーな仕種で窓ガラスに自分の顔を映した。
「違うって…」
知己は呆れた。「真面目に言ってるんだ」と言いかけると、実也子は立ちあがり、
「と、ゆーわけで、ちょっとしつれーい。鏡見てくるっ」
言うが早いが実也子は祐輔の後ろを擦りぬけて席を離れた。やれやれ、と知己は嘆息する。
しかしその実也子を呼び止める声があった。
「実也子さん!」
丁度、叶みゆきがこちらへ近づいてきたところだった。
彼女は他の五人のようにこのホテルに常駐しているわけではない。noa音楽企画との連絡係やマネージャー的役目を果たしていた。本職はBlue
Roseのプロデューサーで、既に次の企画を始めているという彼女は、今、一番忙しい身かもしれない。
「…かのんちゃん? どうかした?」
みゆきの呼びかけで立ち止まった実也子は、振り返り足を戻した。みゆきは手の平の中のメモ用紙に一度目を落として言った。
「フロントにお客様です。実也子さんに」
「!」
実也子は過敏に反応し、何かに刺されたようにその表情が歪んだ。誰にも見られなかったのは幸いだった。
それでも次に発したいつもより低い声は、全員が気が付いただろう。
「…誰?」
据えた、重い声に、誰かが振り返るより先にみゆきが続きを言った。
「ご家族の方? 片桐俊哉、ですって」
「えっ!」
表情が一変、パッ、と実也子の顔がほころんだ。嬉しさを隠し切れない表情で、すぐさまその場から駆け出した。
「実也子?」
「皆も来て、紹介するよっ」
広いラウンジに響き渡るほどの大声を出して、実也子はフロントへ向かう。途中、人にぶつかりながらも身軽な動きでラウンジを出て行った。
≪2/16≫
キ/BR/実也子