キ/BR/YourSong
≪3/3≫
「え…?」
隣から彼に腕を掴まれた。ちょっと痛かったけど、私は軽く笑って見せた。
「今朝、電話したの」
「なんでっ?」
「ミィちゃんに知らせてないこと、君、後悔するってわかってたから」
今朝、悲鳴とともに、先ほど語られた実也子の夢も聞いたので、私は式場の人に彼女の楽器を用意しておいてくれないか頼んだ。急いでやってくるとしたら、あんな大きな楽器を運ぶのは骨だろうから。
その甲斐あって、今、彼女は式場から借りた楽器を手にして、調音を始めていた。コントラバスの低い音が響く。「やっぱ、Blue
Roseだよっ」という声がどこからか聞こえた。
「でも本当に来るとは思わなかった」
電話で知らせて、楽器を手筈してもらったときでさえも。彼女がここへ来るのは五分だろうと思ってた。
「2人のために、一曲やらせてもらいますっ」
コントラバス用の背の高い椅子に座り、彼女は最後に弓を整えた。
「イギリスの作曲家エルガーの、愛の挨拶=v
さっきまで今にも泣き出しそうだったのに、楽器を構えたその表情は落ち着いて、集中するのがわかった。
騒いでいた客も静かになった。
呼吸が聞こえたほど、静かだった。
のどかできれいな曲。彼女のクラシックを私は久しぶりに聴いた。
私は彼女のことを好きで、そして少しの嫉妬も持ってた。
音楽という表現手段が彼女にはあること、それで生活していること。うらやましかった。
あこがれてた。素直に泣けること。自分が感じたことを言わずにはいられない正直なところも。
ふと、隣を見ると、彼も彼女を見ている。
ああ、彼も同じなんだって気づいたとき、私は妙に納得した。
彼はこっち側の人間なんだと知ったとき、私は安心した。
演奏が終わり、私たちの席に歩み寄ってきた彼女は、彼を睨みつけ私には笑いかけ祝いの声をかけた。
「結婚おめでとう」
「実也…」
「言ったとおり、一生恨むから! 覚えときなさいよっ」
「ミィちゃん、久しぶり」
「久しぶりっ。言ったとおり、一生感謝するよん。ありがとう!」
「どういたしまして」
「実也、今日仕事だったんじゃ」
「これくらいで驚いてるよーじゃあ、張り合いないなぁ。皆も来てるんだけど」
「…は?」
雛壇の上に、今度はドラムやキーボードがセッティングされているのが見えた。
* * *
「はじめましてー。さっき演奏したミヤはトシの姉ちゃんだけど、俺らはミヤの職場の同僚でっす。よろしく!」
場慣れしているような挨拶でマイクを握る少年と、ドラム担当、キーボード担当、そして彼女が雛壇に上がった。
「うそぉ! Blue
Roseだよーっ! 本物の!」
「何でこんなトコロにいるんだぁ?」
「そうそう。Blue
Roseのコピーバンドもやってんの。だから、あんまり騒がないでやって。俺らは、新郎の、姉の、職場の、同僚。そこんとこよろしく」
後ろではコントラバスがキーボードに合わせて調音し直している。
「えーと、まずは主役の2人に。結婚おめでとう! 今朝、初めて聞いてビビったぜ。いや、トシに彼女がいるのはミヤから聞いてたけどさ。そうそう、今朝、ミヤが彼女から電話もらったみたいで。電話を切るなり『俊くんが結婚しちゃう〜』…なんだそりゃ、って」
「圭ちゃん! バラすなー」
「そのまま一人で行かせたら、逆方向の新幹線にも乗りかねなかったんで、俺らも付き添いでここまで来ちゃいました。来ちゃったついでに一曲演らせてもらおうって魂胆です」
客席中程の誰かが叫んだ。
「おーい! 職場の同僚、もう1人いるんじゃねーのっ」
「オレの勘からすると、中野ってヤツ!」
「おっ。お兄さん達、すげー鋭い勘。確かにもう1人いるんだけど、ちょっとノロマな奴だから。…あ、来た来た」
「誰がノロマだっ!」
「だってそーじゃん。楽器手配するのに時間くってたんだろ」
「相性にうるさいの、俺は」
「弘法、筆を択ばず」
「やかましっ」
コミックバンドか? と誰かが言って、会場中が笑いに包まれた。
そして。
自称「Blue
Roseのコピーバンド」の彼らの演奏が始まった。
普段はCDで聴く曲を、生演奏で聴いたのはこれが初めてだった。
ふぅ、と私は息を吐いた。それが聞こえたらしく、彼は顔を向ける。「どした?」
「ミィちゃんて…やっぱ、ただ者じゃないよね」
私は泣いていた。
「ほんと、尊敬しちゃう」
人前で泣くなんて何年ぶりだろう。
彼が白いハンカチを差し出した。化粧がぐちゃぐちゃになる!と心配しているあたり、私は確かにこちら側の人間だ。彼女とは違う。
でも、それも悪くない。
今、演奏している彼女がまぶしく見える。それも、悪くないな。
「好きだなぁ…」
「コラコラ、結婚するのは俺」「拗ねなくても」「拗ねるよ!」
その様子がおかしくて、私は口を開けて笑った。
泣きながら笑うなんて何年ぶりだろう。
それはとても幸せな気分だった。
了
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キ/BR/YourSong