キ/BR/お題326
≪1/2≫
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あの時、私は、どんな言い訳で自分を走らせたんだろう。
「彼ら」と離れていい理由なんか、なにひとつ無いのに。
「なんのためにいるのかなーって、考えちゃうのよね」
「なんのため、って。お仕事のためでしょ?」
率直なのか単純なのか。彼女の明快な物言いに苦笑い。
「う〜ん、…それはそうなんだけど」
あの時。
また仕事したいと言ったとき、夫は反対しなかった。
奨励もしなかった。
いつもそうであるように、悩んでいる私の判断を辛抱強く待っていてくれて、私の意思を尊重してくれた。
そう。自分の意志でここまで来たはずなのに。
「うまくいかないときだけ、家に帰る理由を捜しちゃうの。帰ってもいい理由。逃げてもいい理由。言い訳ばっかりで、今は自己嫌悪中」
「あ。それは解る」
「そう?」
「うん。あたしもね、今は久しぶりに帰ってきてるけど、普段は仕事で、ここにはたまにしかいないの」
ちょっと驚いた。彼女の外見は若いけど幼いとは言えない。それでも働いてるようには見えなかったので。
「よく怒られるの。甘えただし。泣き虫だし。失敗もするし。ぜんぶヤになって、ここに帰りたくなる。───だって、ここは優しいもの」
「……」
「ぜったい、あたしを肯定してくれるって、判っちゃってるのが、問題」
彼女は初めて憂いのある表情を見せた。
言葉の意味はよくわかった。
「…そう、ね。おんなじだね」
「ね」
彼女の言うとおり。
私も、自分を裏切らないと判っている場所を逃げ場にしている。
「彼ら」がいる場所をそんな風にしたくないのに。
もっと掛け替えの無い価値が、そこにはあるのに。
「おーい」
道の向こうからうちのスタッフが歩いてきた。そういえば、言伝もなくひとりで出てきてしまったので、もしかしたら捜させてしまったかもしれない。
「サカモトもこっちに来たってさー」
「はーい」
草の上から腰を上げ、裾を払う。行くの? と見上げてくる彼女の視線に笑って返した。
「あなたも来ない? お茶くらいなら出せるわ。おみやげにお菓子もあるかも」
「いいのっ!? わーい。いくいくー」
飛び上がるように彼女は立ち上がり、あたしの手を引いて乾いた土の道を歩き出す。道の向こうでスタッフが手を振っていた。
坂本くんは半月前から帰省で留守にしていた仕事仲間(スタッフ)の一人。私たちが旅行に出ていることを知らなかったらしい。
コテージに戻ると、坂本くんは玄関口で大きな荷物をおろしていた。
「もー、なんでみんないきなり旅行とかしてるんすか。仕事場に行ったら、デニスが一人でいるんだもん。怖かったよー」
と、くたびれた様子でぼやく。
「おっかえりー」
「みやげは?」
「ありますよー」
「食べ物?」
「萩の月(仙台)買ってこいって言ってたでしょ。俺、東京なのに」
「どうせ空港で買えるんだろ?」
「お茶いれるね」
「カップ出してくる」
「すげぇ荷物だな」
「アパートにも戻ってないんすよ。空港から直接スタジオ行って、また空港にとんぼ返りですよ? デニスがおっかない顔でここに行けって言うから〜」
「そのおかげで、俺たちは土産が食えるわけだし」
「感謝、感謝」
「あれ、この子は?」
「近所の子。私が連れてきたの」
「うわ、すげ。誘拐?」
「そう」
「あれ。これって誘拐だったんだ?」
「そうよ? 身代金をどうするか一緒に考えましょうか」
「じゃあじゃあ、マーサのバースディケーキ一緒に作ってくれなきゃ帰さないぞーって言って! そのせいで喧嘩したの」
「わかったわ。それでいきましょう」
悪ノリもたまにはしてみるものだ。
とりあえず、彼女の家に電話をしようと電話番号を訊ねると、
「え。あ、んっと。…わかんないや」
という。けれどスタッフの一人が「ああ、あそこの大きな家でしょ」と、電話帳からすぐに調べられた。
彼女とスタッフたちがお喋りをしているあいだに電話を掛ける。
すぐにコールはやみ、落ち着きのある男性の声が名乗った。少し掠れて聞こえる。初老の紳士という感じ。年季のいった丁寧な対応にこちらまでかしこまってしまう。彼女の名前を出すと「お待ちください」と言われ、やけにクラシカルなメロディの後、若い男性の声に変わった。彼女と知り合って家に招いていることを伝える。それから、一応本題であるはずの、彼女からのかわいらしい要求も。すると、電話の向こうは黙ってしまった。
(あれ。…う〜ん、ジョークの通じない人だったのかな)
「ごめんなさい、夕方までには送りますので心配なさらないでください」
と付け加えると、大きな溜息の後、
「今から迎えにいきます」
と疲れたような声が続いた。
「もうひとつおみやげなんすけど」
と、坂本くんが言った。
「なぁに?」
差し出されたのは音楽CD。
ぱっと見た限りではジャンルを推測しづらい。アルバムの名前は英語、アーティスト名はアルファベット2文字。ジャケットは人物ではなく風景写真だ。
「今、向こうで話題のバンドなんすけど、なかなかイイですよ。聴いてみませんか」
「わぁ、聴きたい。流して流して」
リビングにはオーディオデッキとスピーカがある。坂本くんはそこにCDをセットし、音量を調整した。
そして曲が流れ始める。
アップテンポの元気の良いオケ。ドラム、ベース、ギター、シンセ。
そしてボーカルが重なった。よく通る澄んだ声。聖歌隊にいてもおかしくなさそう。でもつい笑ってしまうくらい元気がよくて、楽しそうで、教会より街にいそうな親しみやすさがあった。
「───……え」
なにかが、頭の中を通り過ぎていった。
反射的に体中の筋肉が飛び跳ねて。
「…これっ」
「わお」
「たっかい声!」
「てか、これ、何語?」
「若い子かな、なんとなく」
「だとしたら、なっまいきな歌いかただなー」
「技術はまだまだ」
「でも楽しそう! 聴いていて気持ちいいよ」
スピーカからの歌声にスタッフたちの批評が重なる。
「なんか…似てる?」
私の目の前で彼女が呟いた。なにに、とは問えなかった。
息を止めて愕然とする。私は、怖かった。
怖かった。
(来た)
調子が悪いなんて嘆いてる場合じゃない。行きずりの女の子に愚痴ってる暇なんて無かった。
(知ってたはずなのに)
忘れてたわけじゃない。この子がいること。いずれこの世界に来ることも。
でもまだ幼い子供だと思っていた。最後に会ったときと同じ、友達と遊び回って、泥だらけになって帰ってくるような。
私は、油断していたのだ。───恥ずかしい。
(もう、来た)
足音がする。それは近づいてくる。振り返らなくても判る。それが、誰であるかなんて。
簡単に追いつかれるわけにはいかない。みっともない背中を見せるわけにはいかない。
なんのために、私がここまで来たか?
あの子がかつての私と同じ仕事をしたいと言った。
幼い子供だったけど、真剣に、まっすぐに。
いつまでも私の隣りにいてくれるわけじゃない。隣りで唄っててくれるわけじゃない。
いつかは背を向けて、離れていってしまうんだ。
そんなのやだ!
(私は、あの子の目標で居続けたいの!)
そのために、私は。
足を止めてる時間なんて無い。
置いてきたものが、なにもしてないわけじゃない。
どうして。
離れている大切な人が、別れたときのままでいると思いこんでいたんだろう。
「……」
自然と口元が緩む。
最高のライバルが出てきた。その高揚感に。
「坂本くん!」
「はい」
「このCD、もらえないかしら」
「いいですよ。どうせこっちでも買えるし」
「ありがとう。宝物にするね」
「そんな大げさな」
戸惑う坂本くんをよそに、デッキに駆け寄り、停止ボタンとイジェクトボタン。スピーカから流れていた歌は曲半ばで消えた。
「あー!もっと聞きたいのに」
後ろからの抗議も無視してCDを自分のポータブルに格納。ささやかな独占欲が満たされて心なし気持ちが落ち着いてきた。
次になにをすべきかは解っていた。
柱の横にある電話を取り、暗記しているナンバーを押す。
「デニス? 私よ、───ええ、すぐ帰るから待ってて!」
がちゃぎり。
荷物をまとめなきゃいけない。その前に彼女を家まで送って行って、お礼を言って。飛行機の手配と、あぁ、そう、ポータブルのバッテリは充電しとかなきゃ。
「えっ、帰んの?」
「あと数日はのんびりしてこーよー」
「先に帰るわ。みんなはゆっくりしてきて。本当に、勝手でごめんなさい」
そのままバッテリを取りに2階へ行こうとしたら、何故かスタッフも立ち上がる。
「あーあ」
「うちの姫さんが行くったら、行くしかないでしょ」
「ここにいても、どうせすぐ魔王から呼び出しかかるだろうし」
嫌みのない諦め。文句を言いながらもみんな動き始める。
「せっかくお友達になれたのにごめんなさい、行かなくちゃいけないの」
彼女は新たな発見をしたかのように嬉しそうに笑った。
「よかった、元気になった?」
「ええ!」
彼女につられて笑う。おそらく数日ぶりに、心から。
「おーい。お嬢さんの迎えが来たよー」
「はーい。あ! ちゃんと、要求飲むか訊いて! あたしは誘拐されたんだから!」
「はははっ、“やだよ”だってさ!」
「むか〜! もぉ! 来週にはこっちに来るんだよ! いーかげん観念しなさい!」
彼女は玄関に向かって走り出す。
私も、行かなきゃ。
「ねぇ! お互いがんばろうね!」
「うん! 負けないよっ!」
私だって負けられない。
なによりも、背後から追ってくるあの子に。
END
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