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 都内某所。八月一日、午前九時五一分─────。

 高い声がロビーに響き渡った。
「だーかーらーっ! 呼び出されたのはこっちなんだよっ!」
 それは山田祐輔が受付の女性にメモを差し出そうとした瞬間のことだった。
 キーンと響いたその声は気持ち良ささえ覚える響き方だった。
「…」
 だがいくら気持ち良く響いたとしても、驚いたことには変わりない。祐輔はメモを落とし、受付嬢も来客対応中にも関わらずその声の源へ目をやった。
 丁度、正面玄関の横。この会社の警備員と思われる男がずいぶん小柄な人影を取り押さえているところだった。
「君、まだ小学生だろうっ。こんな所でなにしてるんだっ」
「こんな所≠ナ働いてメシ食ってんのは、あんたのほうだろっ? それに、俺は中学生だっ!」
 祐輔はその会話を聞いていて、思わず笑ってしまった。なんて口の減らない中学生だ。
 微笑ましい、とは言えないがそれに近い感情を抱いてしまう。
 そして。
(…男っ!?)
 かなり遅れて祐輔は驚いた。ショックも大きかった。
 高い…女声と思っていたのは勘違いで、声の主は少年。
 変声期前の、ボーイソプラノ。それに。
(……すごい声量。よく通ってる…)
 感心を通り越して感動してしまう。
「ほら、これっ。俺は今日、呼び出されたんだっ」
(…っ!)
 遠目ではあるが、少年は警備員に何やら紙を見せているようだった。その紙に何が書かれているか、祐輔には推理することができた。
「………」
 ふむ、と祐輔は三秒程考え込んだ。
 本来、人助けなんてものは祐輔のガラではない。
 にも関わらず思わず足が動いてしまうのは、少年のその声と、どこから来るのか自信の在り方と、気性に興味があったからと言い訳しておこう。
「あの」
 強い口調で警備員を呼び止める。
「何だっ」
「本当ですよ。そのメモを持っている人間は、今日、呼び出されています」
 自分自身が不審人物と思われないように、祐輔は愛想笑い向けた。





「助かった。さんきゅー、……えーと名前、なんつーの?」
「あぁ、山田祐輔と言います」
 件の小学生……ではなく中学生と隣に並んで仲良く歩いているのは当然の成り行きだろう。目的地が同じなのだから。
「俺、小林圭」
 そう名乗る表情も自身に満ちていて快活だ。人を引き付ける力がある。
「祐輔、変わってるって言われない? 俺みたいなガキ相手にも敬語遣ってさ」
 何気に呼び付けにされた。少し複雑ではあるが、相手が圭だと悪い印象はない。
「これは癖なんです。誰に対しても」
 ついでに「変わり者」扱いされているのも本当だが、声に出しては肯定しなかった。
 二人はエレベーターに乗り込み、三階へ向かう。気持ちは分かるが、圭はエレベーターの壁のカウントアップしていく数字を目で追っていた。しかし途中で飽きたのか首が痛くなったのか、祐輔に向かい直して口を開いた。
「にしてもさぁ。誰の曲か尋ねただけでここまでつれてこられるとはね」
「同感です。…僕は帰省中だったんですけど、結局戻って来てしまいました」
 朝、ここに来るかどうか三十分ほど悩んだが、結局祐輔はここにいる。折角、ここまで来たのだから、せめて知りたい情報はしっかり押さえなければならない。
「え? 祐輔ってどこの人?」
 東京人と思われていたのだろうか。圭は意外そうに尋ねた。
「横浜です」
「なんだ、すぐ近くじゃん。俺なんか名古屋だぜ?」
「名古屋から来たんですかっ?」
 これには祐輔も本気で驚いた。
「いや、今はじーちゃん家に泊まってるんだけど。それに……、あっ、そうそう。同じ経緯でここに来たなら、楽器を持ってこいって言われなかった? 見たところ手ぶらのようだけど」
 確かに、PREDAWNの店長にはそう言われた。しかし祐輔はその場で「無理です」と答えた。
「…さすがにピアノは持ち歩きたくないです」
 苦笑しながら言う。
「なるほどなっ」
 圭もにかっと笑ってみせた。祐輔が視線で問うと、圭はすぐに察して含み笑いをした。
「俺はちゃんと楽器、持ってきてるよ」
「…? 手ぶらに見えますけど」
「楽器は俺自身だよ」
 演出を狙って圭はわざとそこで息をついた。
「俺の喉が、楽器なんだ」





 都内某所。八月一日、午前九時五九分─────。

(遅刻だなー、これは)
 中野浩太は早足でその建物に駆け込んだ。
 受付を見つけ、PREDAWNの店長からもらったメモを見せたらすぐに通してくれた。浩太がエレベーターへ向かおうとするのと入れ違いに、オレンジ色のスーツを着た女性とすれ違う。ものすごい形相で駆け足で、そのまま受付カウンターに激突しそうな勢いでまくしたてた。その迫力に浩太は思わず目で追ってしまった。
「ねえっ! どうしよう、社長、怒ってるよ〜。みゆきさんが来たら、直接三四会議室に行くように伝えて」
 受付の女性は気心が知れているようで、落ち着かせるように笑った。
「はーい。珍しいね、彼女が遅刻って」
「だよねー、希玖さんはもう来てるんだけどさー。じゃ、よろしくね」
 どうやら駆け寄った女性もここの社員らしい。 会話が筒抜けである。
 そんな風景を後にして、浩太はエレベーターに乗り込み三階で降りた。難なく三四会議室を見つけて、その前に立つ。
 この時、浩太が全く気付いてなかった真実があった。
 PREDAWNで耳にした曲。妙に気になって店長に誰の曲か尋ねた。そうしたら今日ここへ来るように言われた。面倒臭くてやめようとも思った。それでも。
 浩太は、あの曲をもう一度聴きたくて、今、このドアの前にいる。







 出会えたのは、決して運命などではなく、本当にささやかな偶然。
 少なくとも数百人は耳にした曲の、さらにその先を知ろうとしたのは彼らだけだった。
 彼らは。


 Kanon≠フ下に集った。


end

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