キ/GM/01-10/03
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「祥子は実直、史緒は必要以上に秘密主義。史緒には自分のことを言いたくない理由も執着もないのに」
事務所がある建物の最上階よりさらに昇って屋上、祥子と史緒の今日の言い合いを見ていた三佳は言う。
少し低めの手摺りに腰をかけている。冬場はかなり寒いが、三佳はこの場所が好きだった。高い建物に囲まれて、景色はあまりよくない。それでも、都会の中に消えてゆく夕日ははっきりと望めた。
「でも、弱みを見せたくないのは史緒の性格だよ。特に祥子にはね」
その少し離れた所から司は答えた。
「まあな」
「あの二人はこれからもあのままだと思うよ、僕は」
「それには同意見だ。でも女同士の喧嘩なんて、見ていて楽しくもないが」
「史緒はいつも、どうせ本気じゃないんだろう」
司は苦笑する。
手摺りの上で、三佳は風上のほうへ顔を向け、冷たい風を肌で感じた。沈黙が生まれる。しかし気まずくはならない。二人の間では、沈黙さえも自然な空気だった。
司が手を差し伸べて言う。
「体が冷えるよ。そろそろ中に戻ろう」
すると、三佳は手摺りから下りて、司の隣に並んだ。司のコートの裾を掴む。
「三佳?」
歩き出さない三佳を訝り、司は三佳の名を呼ぶ。
すると、三佳は掴んだ手のひらに力を入れて、小さく呟いた。
「司たち三人のことは、私もよくはわからない。・・・けど、このままでいいのか? 今の状況が、史緒の望んだことだったんだろうか」
「・・・・」
三佳が自分たちの現在・未来について考えていることを知った。司は何も答えない。三佳の頭をぽんぽんと叩いて、そのまま歩き始めた。
「・・・さあ、どうだろうね」
時間は午後十時。
事務所の机の上には、A4の茶封筒と書類が溢れんばかりに席巻していた。その前には阿達史緒が座っていて、印鑑とペンを走らせるのに手はよどみがない。
明日の月一の会合の為、提出書類を揃えておかなければならないのだ。
隣のパソコンとつないであるプリンタからは、休みなく印刷用紙が吐き出されていた。
そんな時、机の端の電話が鳴った。
「はい、A.co.・・・・・・・」
事務的に口にした言葉は、受話器から聞こえてきた声に反応して、そこで途切れた。
この時、部屋の中には阿達史緒、一人しかいなかった。史緒は部屋を見回し、本当に他に誰もいないことを確認する。そして冷たい声を返した。
「・・・何の用?」
史緒はペンを持つ手を止めた。この人物相手では、集中しないと口で負けるからだ。
『ただ様子をうかがいに電話をしただけですよ。最近顔を見せなかったようですから』
三十近いはずだが、妙に馴々しい男の声が返る。
「別に心配もしてないんでしょ、あの人は」
『まさか。離れて暮らしている娘の安否をしない親はいないでしょう』
「どうだか。篤志のことが気掛かりなだけじゃないの?」
『それもありますね。社長は会社の為にも早く帰ってくることを望んでいます』
「伝えておいて。生憎、私も篤志も司も、元気でやってます、ってね」
『それはよかった』
感情の読めない寒々しい会話はここまでだった。史緒は少しためらって、受話器の向こうに声をかける。
「・・・一条さん」
『何ですか?』
「あなたも、私が家に帰ればいいって、そう思ってるの?」
疑問と解答の間に時間はなかった。
『それが社長のご意向ですから』
がちゃん、と史緒は受話器を切った。挨拶も何もなかった。
受話器を押さえ付ける手が微かに震える。・・・苛立たしい。
訳はあるのだろうが、理由のわからない焦燥感が史緒を襲った。
今の生活は自分が望んだものだ。けど完全に手に入ったものではない。
解決しなければならない問題は、まだ残っているのだから。
end
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