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 1987年・香港。
 そこは社会主義の国に返還されても、資本主義でいられることを約束された地だった。
 1842年、アヘン戦争後の南京条約以来、東洋にありながら英国の植民地。しかし現在ではアジア経済の中心として、世界に名を馳せる商業都市。十年後に返還を控えている。
 金融不安も何のその、そんな社会を支えるいくつかの企業が、その土地にそびえ立つ。
 そしてそのうちの一つ。
 蓮家。
 その活躍は国内にとどまっているが、香港に住む者なら、一度は名前を聞いたことがあるだろう。この夢の国を支える数少ない財閥のうちの一つである。
 所有の会社は少ないが、将来性のある個人、又は団体をリストアップして、自ら投資・後援を行なったそれらは、今では一流企業となっている。
 蓮家のトップに立つ蓮瑛林は六十歳の初老だった。人を見る確かな目と、人を愛する豊かな心が、この成功を収めたのだ。・・・と、彼は言う。
 だからというわけでもないが、彼には正妻と七人の愛人から生まれた十三人の子供がいた。
 蓮瑛林の特異なところは、それらの子供を全員認知し、全員を同じ屋敷内で生活させているところにある。その母達も同様。当然のように同じ家の中を闊歩していた。勿論、少しの妬みなどは存在していたが。
 蓮瑛林の十三人目の子供の名前は、蓮蘭々、といった。


 蘭々が初めて“運命の人”(と、彼女は主張する)に会ったのは4歳の時。返還前の香港、自宅の客間だった。




「さあ、入りなさい」
 背の高い父に軽く背中を押され、部屋の敷居をまたいだ。
 明るい日差しが当たる。まだ高く位置する太陽の光が眩しすぎないのは、レースのカーテンがフィルターの役割をしているからだ。
 調度品は明らかに他の部屋と違う。空調も常時整えられている。要人を招く部屋、応接室なのだ。
 日頃、入室を許されないその部屋に、蓮蘭々は立っていた。
 部屋の重厚さに圧倒されながらも、蘭々は足を踏み出す。
(・・・わ)
 足がとまる。その特別な部屋の、絨毯の感触を珍しがって、何度も踏みしめる。靴を通しても伝わる、とても柔らかい。
 その仕草に誰かが笑ったようだった。
 蘭々が顔をあげると、部屋の中には3人の客がソファに座っていた。
 一人は見覚えのある日本人男性。以前、父のともだちだと紹介された覚えがある。年は蘭々の父である蓮瑛林よりずっと若く、三十代くらいだろうか。背広を着ている。
 そして。
「・・・・・」
(おなじかお・・・?)
 男の隣りに端座している少年が2人。よく見ると確かに違う、けど2人はそっくりだった。
 同じ顔が並ぶというのは、よく考えなくても奇妙な光景だ。しかしこの時、蘭々は変とか恐いとか思ったわけではない。
 同じ顔でも表情が違う。違う人間でも、同じ顔がいるのだと知った。
「政徳には一度会ったことがあるだろう? 私の友人の息子だよ。今日はその彼の息子達が遊びに来たんだ」
 蓮瑛林は顔をほころばせて、嬉しそうに笑った。月日の流れを楽しんでいるようだった。たとえ友人が自分をおいてこの世を去っても、その子供の子供、彼の子孫たちが歴史を歩いていることに。
 マサノリ、と呼ばれた男が、二人の息子を立たせその肩に手を回す。
「櫻と、そして亨。二人とも十一歳だよ」
「はじめまして、蘭々」
「・・・・」
 そっくりな二人の区別の付け方はこの一瞬でわかった。
 無邪気な笑みで握手を求めたほうが亨、そして無表情で蘭々を観察しているほうが櫻。
「・・・・はじめまして」
 ぎこちない日本語で蘭々は手を差し出す。
 亨の暖かい手と、握手を交わした。
「ぼく達には、君と同じ年くらいの妹がいるんだ。今度日本に来たときにでも紹介するよ」
 亨は少女と目の高さを合わせる為に腰を落とし、蘭々の頭を優しく撫でた。
「────」
 うまく言えない、暖かい感情が込み上げる。

 阿達亨。─────・・・ 一目惚れ、だったかもしれない。




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