キ/GM/01-10/05
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「久しぶりだな。史緒ちゃんと司くんは元気でやってるか?」
近くで発せられた声に反応して、篤志は顔をあげる。
呼び出されたのは、なんと区立図書館だった。閲覧室の中が静かなぶん、待ち合わせ場所のホールは人いきれとそのざわめきで満ちていていた。窓際のソファには、老人たちが座り雑談している。吹き抜けのホールにそびえる大きな柱、篤志はもたせていた背を起こし、呼び出した人物と向かいあった。
そこには四十代半ばと思われるやせ形の男が立っていた。白髪まじりの髪を後ろに撫で付け、背広をラフに着こなしている。ネクタイはしていない。初老にも見える外見のせいか、ある種の貫禄を持ち合わせていた。
その相手に篤志は笑顔を向ける。
「相変わらず、時間にぴったりですね」
留守電の伝言を聞いてから三日後、篤志は約束の時間五分前に、この場所に立っていた。一方、予想通りだった留守電の相手は、時間ちょうどにその場に現われた。
「時は金なりが信条。おまえもただ待ってるだけじゃなく、本くらい読まなきゃな」
そういう彼の手は、図書館で借りてきたばかりの本を抱えていた。教訓めいた箴言を聞いて、篤志は微笑みながらも表情を改める。
「お久しぶりです。お父さん」
「やぁ」
関谷高雄。サのつく職業だが、何故か本人は人に知られるのを嫌がる。あとカもつくが、サカナ屋さんなわけではない。
こんな風に、あまり親しくない人にはしらばっくれるのが常である。一風変わった人間だった。
「史緒と司は元気でやってます。心配ありません」
「まぁ、あの二人はしっかりしてるからな。安心しておまえを任せられるよ」
「・・・・どうも」
からかうような父親の言葉に、篤志は苦々しい雰囲気を隠そうとしなかった。そんな拗ねるような態度を見て、高雄はくすくすと笑いだす。
「母さんも会いたがってる。後で顔見せに来い。・・・三人でな」
無沙汰しているのを指摘されたようなものだ。少しだけ遅れて、篤志は言葉を返した。
「ええ」
二人は自然に並んで歩き始めた。
ホールを抜けて自動ドアを通り過ぎる。今日は晴天だ。白い雲が飛ぶ、蒼い空が広がっていた。
高雄の前を歩く息子は、自分よりはるかに背が高い。その背中を眩しそうに見上げ、高雄は口を開いた。
「髪、伸ばしてるんだな」
「ただの無精です」
篤志は声色を変えずに即答する。前を歩いている為、その表情は見えない。
高雄はそれ以上尋ねなかった。
冷たい風が吹き、街路樹の枝が鳴る。身を切るような風を、ロングコートで凌いで、高雄は本題を切り出した。今日、篤志を呼び出したのもこの為である。
「先週、阿達政徳が来たよ」
「!」
篤志が反応よく振り返る。まさか、とその唇が動いたが声にはならなかった。返答を待たないまま、高雄が言葉を付け加える。
「木曜日にね」
「あの人が直接? うちに? 一人で?」
「一条も一緒だったよ」
信じられない、という言いたいような篤志の態度に、高雄ははっきりと頷いた。
それもそのはず。阿達政徳といえば、大会社のトップ、つまりは社長だ。仕事を放り出して、私用で出掛けるような人間ではない。
「・・・あいつも昔はあーゆう人間じゃなかったんだけどなぁ。史緒ちゃんも苦労するね」
わざとらしくしみじみと溜め息をつく父の言葉は無視して、篤志は高雄に詰め寄った。
「それで? どういう用件だったんです?」
語調は強いが、取り乱したりもしてない。
「おまえらが家を出る時にも、話が出ただろう。どうやらあいつは、本気でおまえと史緒ちゃんに会社を継がせようとしているらしいな。それを言いに来たんだよ」
セリフの内容とは裏腹に、心なしか明るい声で言う。
高雄は篤志が慌てるのを期待した。篤志のほうは真剣に切実なのにもかかわらず、高雄は無関係を誇示するように軽快な足取りだ。
根本的に親バカなのかもしれないが、高雄は篤志の表情の変化を見るのが楽しい。今回、高雄自身が、篤志を悩ませることになるであろう情報を持ち込んだにもかかわらず、だ。
しかしそんな父の期待とは裏腹に、篤志は拳を口に押さえ付けて考え込んでいる。その態度は完全に落ち着きを取り戻していた。
(・・・つまらん)
胸の中で呟いたその言葉を口にしていたなら、もしかしたら篤志は怒ったかもしれない。それはそれでおもしろいと思ったが、これ以上ふざけるわけにもいかない話題であることは、高雄も心得ていた。
「利用できるものは血縁でも使う、その精神は見習うべきかな。なぁ、篤志」
「・・・この場合、利用価値があるのは血縁だからでしょう」
「確かに、俺はあいつの従兄弟だけどさ。でもそれだけだ」
付き合いは無いに等しい。お互いの名前くらいしか把握していないのだ。
「で? なんて答えたんです?」
「断ってあげてもよかったけど、おまえも20を過ぎた大人なんだしな。本人に聞いてくれと言っておいたから、そのうちこっちにも来るだろう」
息子の意見を尊重させたようにも思えるが、要は篤志に嫌な役を演じさせずにはいられなかった、ということである。近い将来、阿達政徳と篤志の話し合いに一席設けられるのは必至。高雄はそれを見たいとさえ、思っていた。
篤志は父親の性格からそれに感づき、苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
「・・・そうですか」
「史緒ちゃんが嫌がっているのは、あいつも知っている。史緒ちゃんと懇意である、篤志のほうから崩そうとしたのかもな。もしかしたら」
図書館の駐車場まで来ると、二人は立ち止まる。隣が公園になっているので、子供たちが遊ぶ声が聞こえてきた。その風景に二人は目を止めて、一度、会話は中断する。
近くのベンチに座り、会話を再開したのは高雄のほうだった。
「あまり気にすることはないと思う。本人たちの知らない所で画策していても、最終的には本人の意志だからな」
「それですめばいいんですけどね」
篤志はあまり明るくない声を返したが、深く悩んでいるという表情でもなかった。
阿達政徳が動き出している。
しかし高雄と同様、篤志はあまり気にしていない。何故なら、阿達政徳の思惑通りに事は進まないことを、篤志は知っているからだ。
そう思うだけの材料を、関谷篤志は持っていた。
自分の車の前まで来ると、高雄は振り返って言った。
「じゃあ、帰るよ。送っていこうか?」
「ありがとうございます。でもいいです。電車で帰ります」
篤志は丁重に断った。
「そうか。2人によろしくな。・・・おっと、そういえば、新しい仲間も増えてるんだったな」
高雄はふと、今、篤志と一緒にいるのは、あの2人だけではないことを思い出す。
話には聞いているが、高雄はまだ一人も会ったことがない。
「あの人嫌いだった史緒ちゃんがそばに置く仲間たちか・・・。興味あるな」
「後で紹介しますよ」
「そうしてくれると嬉しい。じゃあな、また、後で」
重い本を車に積込み、軽く手を振って、高雄は車に乗り込んだ。
エンジンがかかり、車が走りだす。篤志はそれが見えなくなるまで、見送っていた。
end
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