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 いつも事務所に居てあまり外出しない阿達史緒は、月一の会合に出掛けている。関谷篤志は用があるとかで、朝からここには来ていない。三高祥子は学校帰りに、川口蘭と木崎健太郎は昼すぎに顔を見せると言っていた。
 いくら休日とは言え、いつ桐生院由眞からの緊急の連絡が来るかわからない。事務所を空にするわけにはいかなかった。勿論、そんなところに抜け目ある阿達史緒ではないが。
 事務所の中央にあるテーブルを挟むようにして、二人はソファに体を沈めていた。
「E6はクラブのキング・・・とA8、ハートのキング。当たり。それから、C1がダイヤの3、D7がスペードの3。当たり。F3ダイヤの9、E4・・・あっ!」
 E4の位置にあるカードをめくって、島田三佳は顔をしかめた。
「E4はクラブの7・・・・・・だろ?」
 七瀬司は得意気に三佳の台詞を代行してみせた。組んだ手を組んだ足の上にのせて、いつも通りその表情は崩れない。対照的に三佳は悔しさを顔に出して、最後にめくった2枚のカードを裏返しにもとに戻す。テーブルの上に並ぶカードは残り12枚。勝負は決まったようなものだった。
「じゃあ僕の番。さっきのF3、ダイヤの9・・・とB9がスペードの9」
 まぶたを閉じたまま司はすらすらすらと、その目に見えないはずのテーブルの上のカードを正確に言っていく。司の言う位置のカードを三佳がめくる。2枚のカードは彼の言葉通りのものだった。
「当たり」
「次。A5が  ・・・・・・・・・」
 三佳はすでに相づちを打つ気力さえない。言われた通りのカードをめくり、それは次々と司の前に重ねられていった。
 めくった二枚のカードの数字が同じならば、そのカードはテーブルの上から降ろされる。七瀬司は、一度めくられたカード、すでにそこに無いカード、残っているカード、それら全てを把握しているのだ。
「・・・A3クラブの8・・・で、最後かな」
「お見事。・・・通算3勝21敗。相変わらず驚異の記憶力だな」
「三佳もなかなかのものだよ」
 苦い声で称賛されても司は涼しい顔である。はぁ、と三佳は聞こえよがしに溜め息をついて、テーブルの上のカードを揃えている。
 二人がやっているのはトランプゲームの定番、神経衰弱である。司と三佳の二人で神経衰弱をやる場合、一定のルールが定められていた。
 ジョーカー2枚を含めた54枚のカードを、縦9枚、横6枚に並べる。縦は1から9、横はAからFの番地を付ける。司はカードを見分けられる視力が無いので、口頭で言ったカードを、代わりに三佳がめくる、というシステムだった。ここで高度なのは、2枚のカードの数字を合わせるだけでなく、マークも名言しなければならないところにある。これは司の、記憶の齟齬を無くす為でもある。
「って言っても、この数字の差は・・・」
 3勝したと言っても、偶然のことだったような気もする。三佳は慣れた手付きでトランプを切り始めた。小さな手の中でカードが踊る。
(もしこれが史緒やケン、篤志とかだったら、勝てる自信はあるのに)
 司は窓を背に笑う。
「まぁ、こういうのは記憶力だけじゃないからね」
「記憶力だけじゃない?」
「そう。その使い方が必要。・・・つまり経験かな。その点では負ける気はしないよ」
 穏やかで平静、そしてどこか自信家。だけどそれは本当のことだ。司は自分の感覚に対して絶対の自信を持っていた。
 それがどんな過去から来ているものか、三佳は知らない。
「経験ねぇ・・・」
 ふう、と上目遣いで息を吐く。とっさに尋ねようとした言葉を、三佳は飲み込んだ。プライベートに干渉するのはどうかと思うし、聞かれたくないことだったら余計な気を使わせてしまうだろう。
 しばらく悩んでから、遠慮がちに三佳は言った。
「答えたくなかったら答えなくてにいいけど・・・司ってどこでどういう生活してたんだ?」
「あれ、三佳にも言ってなかったっけ?」
 意外そうに言葉を発して上体を起こす。特に動揺も見えない。別に言いにくいことでもないらしい。
「三佳は、史緒の実家に行ったこと、あったよね?」
「一度だけ」
 本当に一度だけ。三佳は自信をもって頷いた。
「僕は十二歳の時、阿達家に引き取られたんだ」
「────」
 三佳は息を飲む。司はいつもと変わらぬ表情で続ける。
「はじめの二年間は、目の療養の為に違う場所で暮らしていたけど、それ以後はあの家で生活してたよ」
 七瀬司の過去を初めて聞かされた。まばたきを忘れて、三佳はそれを聞いた。
「・・・・・・」
 阿達史緒、関谷篤史、そして七瀬司。彼らが古くからの知り合いであることは、三佳も知っていた。それでもA.co.設立以前のずっと昔から、史緒と司は一緒に暮らしていたのだという。はっきり言って、この二人の幼少時代の姿など想像できるものではない。
「・・・じゃあ、篤史は? 史緒の従兄弟っていうのはわかったけど」
「正確には再従兄弟。あの二人は6親等離れているからね。父親同士が従兄弟らしいよ。交流がなかったらしく、史緒も篤史の存在を知らなくて・・・。初めて会ったのは僕が帰ってきてからで・・・同じ時だったっていうし」
 A.co.のメンバーの中、初めの出会いは史緒と司。(もう一つの出会いも三佳は知っているが、それとどちらが時期的に早かったかはわからない)。次に史緒と司の二人と、篤志。どうやらそういう順番になるらしい。
「学校に行ってた時期もあったけど、得るものは少なそうだからやめた。おじさんもすぐ了承してくれた。
・・・自分のちからをわきまえている“他人”には寛大なんだ、あの人は」
「・・・おじさん、って?」
「史緒の父親。三佳も会っただろ?」
「うん・・・」
 ここで会話は中断することになった。ふと、司はドアのほうへ顔を向けた。三佳は司のその動作だけで、目で見えないところで何が起こっているのかを悟った。
「誰が、帰ってきた?」
 司は遠くの足音を聞き、それが身内であることを感知していたのだ。到底三佳にはできない芸当だが、司の反応を見て、三佳は読み取ることができるようになっていた。阿達史緒に比べれば付き合いの年月は少ないかもしれないが、一緒にいる時間は誰より長い間柄だった。
「誰が・・・っていうのは難しいんだけどね」
 と、司は遠回しな言い方をする。その台詞には笑みが含まれていた。
「?」
 ばたん、とけっこう派手な音をたてて、ドアが外側から開かれた。
「こんにちはーっ」
 蘭を筆頭に、ぞくぞくと大した人数が部屋に入ってくる。蘭、篤志、祥子、健太郎・・・・・・つまり史緒を除いた全員が、この部屋に揃ったことになる。
 一気ににぎやかになった。今日は休日であるにもかかわらず。
 篤志はともかく、理由を尋ねたら、皆何と答えるだろう。祥子は、学校が終わった後の中途半端な時間を潰しに、とでも言うかもしれない。蘭は篤志が目的だろうし、健太郎は正直におもしろいから、と答えるだろう。
「おっ、トランプやってんのか? ポーカーでもする?」
「やめとけ、おまえじゃ相手にならない」
 容赦ない三佳の言葉の後、健太郎は何やら憤慨していたが三佳は耳をかしていない。そのちょっとした騒ぎに、司は、篤志や祥子の溜め息や、蘭の笑い声が聞こえてきそうだった。
「じゃあ、いつもの賭けも加えて皆でやりましょう。それなら三佳さんも異存ないでしょ?」
「のった」
「同じく」
 結局、全員が参加することになる。テーブルを囲んで、メモとペンをひっぱりだす。掛け金と倍率の計算が始まる。健太郎は手慣れた手つきでカードを切り、全員の前に配り始めた。同時にそれぞれのカードが開かれ、それぞれ別の意味の表情を浮かばせる。とくに健太郎は右手でこぶしをつくり、よっしゃ、と呟いた。
 目の前で展開されるトランプ大会。司はいささか複雑な心境で、その雰囲気に身を任せていた。
 ・・・ほんの数年まえ、自分がこの仲間たちといることを想像できただろうか。
 司はそんなことを考える。
 しかしその発想をこれ以上発展させないよう自制する。今、考えるべきことでもないはずだ。
(・・・それに)
 多分、ドアの向こうにいる人物も、同じことを思っているだろうから。











 事務所に入るドアの外側に背をもたせ、阿達史緒は立っていた。
 文隆たちと別れた後、仕事── 依頼主への調査報告──  を終え、帰ってきてみると、事務所の中では
他の仲間たちが和気靄々している。その雰囲気を邪魔してしまいそうでノックするのにためらいを感じ、史緒は中に入れないでいた。たとえ入室したとしても、あの輪の中に史緒が入ることはない。だから史緒は、ドアの外側で耳を澄ましていた。
 しばらく中の会話を聞いていた。健太郎は場の盛り上げ役、祥子も史緒がいなければこういうことには参加する。篤志は無意識に場の雰囲気を考える性格だし、三佳は冷静に見えて実は負けず嫌い。
 そして司は・・・。
(そうか)
 ふと、史緒は視線を落とした。
 史緒がここで立ち聞きしていることを、きっと司は気づいている。それに感づくだけのちからを、彼は持っている。そして多分、それをみんなに言わない。史緒に気を使っている。
 中の騒動を耳にして、史緒の表情が緩んだ。本当にたわいもない日常の会話だったが、史緒には大切に思えたのだ。
 少しの幸福感から、静かに微笑んだ。
 祥子あたりには絶対に見せない表情だった。
「・・・・・・」
 史緒はもう少しだけ、中の会話を聞いて、上の階の自分の部屋に戻ろうと思った。
 室内にいる司は、史緒がここにいることに気づいているだろうし、急用があれば呼びにくるだろう。トランプ大会が一段落ついたころ、登場するのもいいかもしれない。
 少しだけ、誰かと話たくなった。
 史緒は國枝藤子の携帯電話のナンバーを思い出しながら、自分の部屋に続く階段を昇り始めた。

end

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