キ/GM/01-10/06
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十分ほどさかのぼる同駅。たとえばこんな日もある。
「あれ、篤史」
関谷篤史は背後から自分の名を聞いた。
「珍しいな、こんなところにいるなんて」
券売機の前、路線表を見ていた篤史が振り返ると、そこには見知った人影が二つ立っていた。。少しの驚きとともに顔を見合わせる。
篤史に言葉を投げたのは、的場文隆と御園真琴だった。この二人のほうこそ、こんなところにいるのは珍妙なことだ。
それを指摘しようとしたが、今日が会合の日だったことを思い出し、それを口にするのはやめる。
この二人は史緒がA.co.の所長であるのと同様、それぞれ事務所を構える人物であり、篤志もそのへんの事情は把握していた。
「お久しぶりです。俺はちょっと実家のほうへ行ってたんです」
「篤志の実家って横浜だっけ?」
御園真琴の記憶力に舌を巻く思いで、篤志はそうですと答えた。
文隆と篤志は同じ年齢である。真琴はそれより一つ年下だが、篤志は二人に対して同じように丁寧語を使う。それは篤志の上に立つ史緒と、この二人が同じ地位にいることの敬意を表しているからであって、決して他人行儀というわけではない。
「史緒はどうしました?」
一緒にいたはずだが、その姿が見えない。篤志は二人に尋ねた。
「急ぎの仕事が入ってるらしくて、先に帰ったよ。僕たちが代わりに桐生院に書類を出しに行って、今はその帰り道」
「なるほど」
そういえばそんなことを言っていたような気がする。
文隆と真琴は篤志が切符を買うのを待っていた。降りる駅はそれぞれ違うが、乗り換えのホームは同じなので揃って歩き始める。
しかし端から見ればこの三人組は異様に映ったかもしれない。同年代ではあるが、二人がスーツで篤志はGパンにジャンパーという格好だったから。
そういうことには全く気にしない真琴が、ふと思い立って篤志を振り返った。
「少し前に組合のほうで噂になってた・・・木崎くん、だっけ? 史緒に聞きそびれたけど、結局A.co.に入ったんだろ?」
結構騒がれた事件だったので、今もよく覚えている。篤志は笑った。
「そう。これで御園さんのところに、あまり頼らなくてもいいようにしたいんですけど」
もう一月以上前のことだが、TIA本部のデータバンクに侵入者がが入った。しかしこの事件の実害は一件も報告されていない。
実にハッカーは「入った」だけだったのだ。
犯人を割り出すところまで成功したものの、その処置に本部は困惑していた。被害は無かったのだから放っておく意見もあったが、大半の委員はその人間を見過ごすわけにはいかないと思っていた。次に侵入した時に何もしないという保証はないのだから。
それを鶴の一声で、犯人をメンバーに入れるという大胆な行動に出たのが、阿達史緒だった。
「うちにしてみれば、商売がたき登場ってとこか。どんな奴なんだ?」
「後で挨拶に行かせますよ。まりえさんにもよろしく」
まりえ、というのは御園真琴の事務所の情報処理担当者の名前だ。健太郎が来る前、A.co.は真琴のところから情報を買っていた。しかし木崎健太郎が入ったことにより、難解な情報仕入れもA.co.でできるようになり、その外注もなくなるだろう。
構内階段を昇ったところで、篤志は番線指示のある電光掲示板を横目で確認する。
「・・・っ!」
が、それを確認するだけではすまされなかった。
これだけの人の多さだ。そこいらで若者が騒いでいても、大して目立たないだろう。現に、掲示板のすぐ下で三人の男女が何やら言い合っていても、振り返る人間はごくわずかだった。
しかし、それは赤の他人の場合である。
篤志は見知った人間が、天下の公道(?)で騒いでいるのを見て、軽いめまいをおぼえた。
「どうかしたのか? 篤志」
文隆の声で我に返る。あまりこの二人に見せたくない風景だが、避けては通れないだろう。
「すごい偶然なんですが、どうやらあそこでたむろしている三人・・・うちのメンバーです」
「おまえら、公然の場で何やってんだよ」
声をかけると、蘭の表情がぱっと明るくなり篤志のほうに顔を向けた。他の二人も蘭とは明らかに別の意味の表情で振り返る。
「篤志さんっ」
「あれー、篤志」
「何やってんのよ。こんなところで」
三人三様。六個の視線を受けて篤志は肩を落とす。文隆や真琴にみっともないところを見られたことからもあるが、手間のかかる弟妹の面倒を押しつけられたような気持ちになるのはどういうことだろう。確か自分は一人っ子だったはずだが、と篤志は嘆息した。
後ろからくすくすと笑い声が聞こえた。身内ではないほうの二人の意図を感じ取り篤志は苦笑するしかない。
しかしその苦笑も次の瞬間には真顔に戻った。
篤志は振り返ると同時に、牽制するように、その名前を呼んだ。
「祥子っ」
しかしもう遅い。祥子は彼女が阿達史緒に送るものと同等の視線を、篤志の後ろに立つ両名のうちの一人、御園真琴に送っていた。受ける側が決して気持ちの良くないそれを、祥子は隠そうともしない。
「お久しぶり、祥子さん」
一方、真琴のほうは、祥子からの悪意ある視線をあまり気にしていない様子で挨拶をする。下手に返答しても、火に油を注ぐようなものだ。
「・・・こんにちは」
「こら、祥子」
低く刺々しい声で、形だけの挨拶を返す。篤志の諌言は役にはたたなかった。
その様子を端で見ていた健太郎は、訳が分からず隣にいる蘭に耳打ちする。
「誰なんだ? あれ」
「祥子さんに睨まれているほうが御園真琴さん、もう一人は的場文隆さんです。・・・えーと」
説明の仕方に迷っていると、当の的場文隆が一歩前に出て、蘭の言葉を継いだ。
「君のところの史緒と同じ立場にいる者だ。つまり同業者だよ」
「・・・・・・? いてっ」
訝しげな目を返していたら、篤志に頭を小突かれた。何すんだよっ、と振り返ると、逆に睨まれてしまった。
「ちゃんと挨拶しろ、これから世話になるんだから」
「わかったよ! ・・・・・・どーも、木崎健太郎です」
半ば自棄になって、健太郎は短い自己紹介を終わらせた。
・・・しかし。
(世話になる・・・?)
関係を把握していない健太郎の表情を読みとり、文隆はさらに続けた。
「名前はさっき蘭ちゃんが言ったな。つまり、俺とそこにいる真琴、史緒の三人は仕事上で同じ人物の下に着いている。そういう意味では身内ということになるんじゃないかな。それぞれ仕事の個性があるから、お互い協力し合っている部分もあるんだ」
儀礼的にならない程度の文隆の説明に、健太郎は下手に遠慮せず、質問を続けた。
「つまり、仕事をくれる出所は同じってことか?」
「そういうこと。組織体系はそう複雑じゃない」
ここにいる全員、頭となる人物は同じだということだ。
好奇心が旺盛ではないと言ったら完璧な嘘になる健太郎は、その人物の名前を尋ねたかった。しかし健太郎が初めてA.co.に来た時もそうだったが、こういう話になっても、その人物のことを詳しく教えられたことはなかった。秘密にしていることなのかは知らないが、ここで軽く尋ねて場の雰囲気を崩すこともないだろう。
健太郎は別の疑問を口にした。
「で? 祥子がその人を良く思ってない理由は何?」
「この人のせいで、私は史緒につかまったのよ」
不機嫌さはそのままに、少しの皮肉を込めて祥子は言った。この人、というのは、健太郎に説明してくれた人物ではないほう、御園真琴のことだ。
「健太郎は知らないかもしれないけど、あんたが来る前、史緒はこの人のところから情報を買ってたの。私がどこの誰で、学校名や家族構成、それらデータを史緒に渡したのがこの人。その情報の売買がなければ、私はただの街中で通り過ぎた他人で、史緒と関わることもなかったのに!」
全ての諸悪の根源はあんたよっ、とはさすがに口にしないが、代わりに目がそう語っているのを健太郎は見てとった。
「まぁまぁ祥子さん。もし祥子さんがA.co.に入っていなかったら、私は祥子さんと出会えなかったんですよー」
私は祥子さんと会えて嬉しく思ってるんですから。
蘭は真顔でそう付け足した。
その言葉に祥子の勢いは収まり、ばつが悪そうにうつむく。かなり小さな声で呟いた。
「・・・。後から蘭が入ってきてくれて、私もよかったと思ってるけど・・・」
祥子の言い分を聞いた健太郎は、次に真琴のほうにくるりと向き直った。
「じゃあ、オレは礼を言わなきゃならないかな。どーせオレの情報も、史緒はあんたのところから買ったんだろう?」
「当たり」
健太郎は自信ある笑みを、その顔に浮かべた。
「オレは祥子と違って、こいつら妙な連中と出会えてよかったと思ってるからな」
親指を篤志たちメンバーに向けて、健太郎は堂々と言った。
「・・・・・・」
その言葉がそこにいる全員を黙らせたことに、健太郎本人は気づいていない。
これが、TIA本部を騒がせた人物、木崎健太郎だ。的場文隆と御園真琴は当人を前にして、少なからず驚いていた。本部のデータバンクハック事件は悪意のあるものではなかったのだ、と理解する。
この存在が、阿達史緒にとってどんな影響をもたらすのか、想像は難しい。
「ちょっと! 妙な、ってどういうことよ」
健太郎の台詞の気になる修飾を、祥子は指摘する。
「見たまんまだろ。見てて飽きないし」
「一緒にしないでよっ」
ギャーギャーと、真琴と文隆の前で見苦しい言い争いが再開されても、篤志は今度は止めなかった。その気力がなかった、というほうが正しい。
文隆と真琴はその様子を笑って見守っていた。篤志に一言、囁いたのは文隆のほうだった。
「にぎやかになってよかったな、篤志」
「正直にうるさいって言って下さい・・・」
自虐的な返事とともに、篤志は今日幾度目かの溜め息を、大きくついた。
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