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 本来ならば、この後三人で桐生院のところに赴かなければならないのだが、史緒は仕事の為、ここで引き上げる。本当なら休日なのだが、どうしても都合のつかない依頼があったのだ。
 二人の了承はあらかじめもらっていた。
 腕時計に目をやる。史緒はざっと帰り道の所要時間を計算して、腰をあげた。
「じゃあ悪いけど、私、先に帰るね」
「桐生院に出す書類はこれだけでいいのか?」
「ええ、よろしく」
 今日は私の番だったよね、と史緒はレシートを持って立ち上がる。ショルダーバッグを片手に、手を振ってレジへと向かっていった。
 残された二人は、史緒が窓の外の歩道を歩くのを見送って一息つく。
「それじゃ、僕たちも行く?」
 もちろん桐生院由眞のところへだ。そろそろ約束の時間だった。
 しかし文隆は立ち上がろうとせず、少し考えてから真琴のほうを向く。
「・・・煙草、吸っていっていいか」
「どうぞ。僕の前では遠慮なく」
 文隆は胸ポケットから煙草の箱を出す。慣れた手つきで一本取り出し、ライターで火をつけた。それを深く吸い、大きく吐き出す。
 白い煙が空を舞った。
 真琴は急がせないよう、のんびりとそれを待つ。静かな時が流れた。
 阿達史緒の前では煙草は禁物なのだ。
 この二人を含め、A.co.のメンバーら全員、それを心得ていた。
 どういう理由からは公にされていないが、史緒は極端に煙草の匂いを嫌う。目の前で吸っていたりしたら、すぐその場から立ち去ってしまうだろう。それはわがままとも言えるが、史緒との信頼関係を継続させる為に、喫煙を遠慮するのは必要なことだった。
 しかし愛煙家の文隆もそれを苦に思うことはない。要は彼女の前で吸わなければいいのだから。
「実際のところ、どうなると思う? 史緒の実家のこと」
 短くなった煙草を片手に、真琴に話をふる。真琴は軽く視線を向け、少し間をあけて口を開いた。
「何とも言えないけど・・・このままの状態が長く続くことはないだろうね。いつか来るよ、本当に」
「大変だな。篤史も・・・司もか」
 これは同情とは違う。傍観を決めこむ意図が含まれているが、二人は現状が維持されることを望んでいた。史緒たちが家のこととは無関係でいてくれることを。
 それでも結局は、本人たちが解決しなければならいことだと、誰もがわかっていた。
 最後の煙を吐き、煙草をもみ消す。銀色の灰皿に少しの焦げめを残して、ジュッと音をたてた。それを合図に二人は立ち上がり、店を後にした。


*  *  *


 待ち合わせは乗り換え駅の、跨線橋沿いにある雑貨屋。午後1時半。
 三高祥子は久しぶりに学校に行った後、ここで川口蘭と合流する約束だった。
 この雑貨屋は2人とも気に入っていて、事務所に迎う途中の乗換駅にあることもあって、待ち合わせの時によく利用している。アクセサリー類やちょっとした小物など、ゆっくり見られる数少ない機会なのでつい見入ってしまう。
 祥子がここに着いて、十五分が経過した。
 キャラクター物のティカップを手にとって見ていた時、ふと、祥子は顔をあげた。
(・・・蘭?)
 近づく気配がする。
 これが祥子の特異なちからのせいなのか、それとも遠く蘭の声が聞こえたのかは判断できない。昔ならひどく気にしたかもしれないが、今ではどちらも自分の「感覚」だと、祥子は開き直っている。
 落とさないよう、丁寧にカップを什器に戻し、店の外に出た。
「あ、祥子さん」
 人波をかいくぐって見慣れたおだんご頭の少女が近づいてくる。いつもの明るい笑顔の蘭を見て、祥子も笑って手を振る。が、蘭の隣にもう一人、見知った人物を目にすると、その笑いはおさまった。
「なんであんたもいるのよ、健太郎」
 蘭の隣にいたのは、同じA.co.のメンバー、木崎健太郎だった。グレーのロングコートに白いイヤーマッフル。派手な服装は好まないが、なかなか今時の高校生をやっている。
「そこで蘭に会ったんだ。行き先は同じなんだから一緒に行こうと思って」
「でも奇遇ですねー。健さんもこの駅で乗り換えなんて」
「いや、今日は例外。買い物に行ってた」
「なーんだ、安心」
「祥子、おまえなー」
 健太郎と祥子のじゃれあいに蘭はからからと笑っている。
 三人は少しだけ目立ちながら(無論、自覚はないが)、乗り換えのホームに向かっていった。


「蘭、何か落ちたよ」
 途中、階段を降りている時、蘭のポケットから何やら落ちるのを見て、祥子は数歩戻った。もう少しでサラリーマンに踏まれるところだったのを、急いでかがんでそれを拾う。
 蘭の趣味にしてはおとなしめの焦茶色のパスケース。
「定期入れ?」
「え? あ、ああぁーっ!!」
 すっとんきょうな大声をあげて蘭が振り返る。その声には当の蘭だけでなく、まわりを通り過ぎる人々もかなりの割合で振り返っていた。とにかく駅の構内に響きわたるほどの声量だった。
 当然一番近くにいた健太郎にとっては、耳をふさぐほどのものだった。
「・・・なんつー声出すんだ、おまえはっ!」
「だってだって・・・、ありがとうございます祥子さん。それ、すっごい大切な写真が入ってるんですっ」
「写真? ・・・まさか篤史じゃないでしょうねぇ」
 祥子は持っているパスケースに複雑な視線を向け、体から遠ざける。一応礼儀は心得ているので、勝手に見たりはしない。
「あははー。見てもいいですよ」
「どれどれ?」
 健太郎は祥子の隣に並び、パスケースを覗き込んだ。突然背後に立たれて祥子は、あんまり近付かないでよ、と立ち位置をずらす。健太郎は慣れてきたのか、祥子の邪険な態度をあまり気にせず、パスケースを開くよう、視線で促した。
 祥子は軽くあしらわれたことに、一瞬だけむっとした。しかし写真への興味が上回り、健太郎の希望通りにする。
 その写真はすぐ目に飛び込んできた。
 健太郎も目を近付けてそれを見る。
「・・・誰? これ」
 二人は同時に呟いた。
 写真には四人の子供が写っている。女の子二人の後ろに少年が二人。
 少年二人は小学生か中学生かきわどい年齢で、これは双子だ。そう言い切れるほど、二人は似ている。しかしその区別は明白だった。一人は前に立つ少女二人の肩に手をかけ、微笑んでいる。もう一人はつまらなそうに、無表情でそっぽを向いていた。前者の少年のほうが、良い印象を与えているのは当然だろう。
 右側の女の子は小学校低学年くらい、おかっぱで、かしこまっている。それより二、三歳年下かと思われる笑顔全開の少女・・・。
「わかった。これが蘭だろ?」
「・・・ほんとだ。変わってない」
 左側の少女を指差して健太郎が言う。祥子もすんなり納得した。
「あたりでっす」
 祥子からパスケースを受け取り、蘭は写真の中と同じ笑顔を見せる。
「これが、そんなに大切な写真なの?」
「ええ。この三人がそろっている写真はこれ一枚しかないんです」
 愛しそうに写真を眺める蘭の表情の素直さに健太郎は肩をすくめる。だけど蘭のその表情は、少しだけ彼女らしくない気がした。
 三人は電車乗り換えのためにコンクリートの階段を昇る。今日が土曜日だということを忘れていたわけではないが、少し気を抜くと、駅構内の人の多さにはぐれそうになった。
 駅の中の店舗では競って冬物バーゲンをしていて、そこでは中年の女性が群がっているし、中古ゲーム屋にも若者がたむろしている。それは健太郎の分野でもあったが、中古に食指は動かない。立ち止まることはしなかった。
(それにしても・・・)
 改めて、健太郎は東京の人の多さに嘆息する。これは健太郎が地方出身者であるせいもあるが、あまり遊び場とは言えないこの駅でこれだけの人がいるということは、遊び場と言える駅ではどうなっているのだろう。
「あ、健さん」
「・・・その呼び方やめろって」
 蘭の呼び掛けにうんざりしながら振り返る。が、そこにいるはずの祥子の姿が見えない。
「祥子は?」
「あそこです」
 蘭が指差す方向を見やり、健太郎は何が起こったかを悟った。そして息をつく。
「あーあ、気の毒に」
 歩いてきた経路の少し後ろでは、祥子がストリート系の若者二人に絡まれていた。絡む、と言うよりあれは純粋なナンパだ。本人たちは愛想がいいと思い込んでいるらしい趣味の悪い笑顔で、祥子に詰め寄っている。
 三高祥子と外を歩いていると、大抵1回はこういうことが起こる。ナンパされやすい顔、と言ったら本人は激怒するだろうが、美人という部類に入る容姿だということは、健太郎も評価していた。しかし真面目とまで言わなくても、祥子は今どきの遊んでいる若者のようには見えない。男たちはひっかけられるとでも思っているのだろうか。相手を見て声をかけろと注意したい気持ちだった。
 健太郎が気の毒に思ったのは祥子ではない。相手の男たちのほうだ。
「相変わらず、モテモテですねぇ。祥子さん」
「知らないっていうのは自滅的だな。オレはあの性格でお釣りがくると思うぞ」
 あの程度の相手なら、手助けしなくて大丈夫。それがわかっているので、二人はあえて傍観を決め込んでいた。
 しばらくすると、祥子は男たちに何やら厳しい声を浴びせ、手を振り払い、ずんずんと勇ましい足取りでこちらに向かってきた。
「何、見てるのよっ」
「べーつにー」
「健太郎っ、そーいえばあんただって、あいつらと同じ人種じゃない。よりによって史緒をナンパしたんでしょうっ?」
 強引な展開で八つ当たりされて、健太郎は「うっ・・・」と言葉につまった。
「すごい度胸ですよねー。それは」
「蘭、おまえも変なところで同調するなっ」
 この二人にタッグを組まれてはどうしようもない。もっとも、この二人が意見分かれすることなど、お目にかかったことはないが。
 蘭と祥子が顔を合わせ声をたてて笑うのを、健太郎は息をついて見ていた。

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