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 東京足立のTグランドホテルといえば、一応名の知れた星付きホテルである。
 都内でも比較的高台にある為、最上階十八階スィートルームからは、たとえビルばかりの東京でも地上を一望できた。まぁ、一泊数十万円もするスィートを一日でも独占できる者はごく限られているけれど。
 その日、一階南側、ガラス張りのラウンジでホール係として働く高山は、正午過ぎに現れた三人組をひどく気にかけていた。
 まず最初の一人。上座に腰掛けたのは、老人と形容してもいいほどの年齢で、痩せた白髪の男性。背広に社員証らしいバッチを付けていることから、現役の会社人間だろうと推測される。あの年齢で現役ということは、実業家なのかもしれない。黒檀の杖を持っていたが、その足取りには少しも危うさがなかった。
 白髪の老人の向かいに座ったのは、少し腹の出た壮年の男性。こちらはいかにも中間管理職、もしくは中小企業の社長といった風貌で、自分がやり手だということを誇示しているような態度だった。しかし、老人に対しては大袈裟なほど腰が低くい。汗掻きな体質なのか、左手から白いハンカチが離れることはなかった。
 この時点で、二人の上下関係は一目瞭然だ。
 商談なのだろう。別に珍しくもない。
 高山はそう思った。
 しかし最後の一人。高山はその存在に頭をひねらせていた。
 三人目は唯一の女性。老人の隣に静かに腰を下ろす。グレーの落ち着いたスーツを着ている為、年齢は読みにくいが、かなり若いのではないだろうか。二十代前半・・・いや、もしくはそれ以下かもしれない。自然なウエーブの髪を清潔にまとめ、淡い赤色のリボンが、モノクロの洋装のなか、女性らしい華やかさをもっていた。なかなかの美人であるが、その表情に愛想は無く、逆にきつい印象を与える。
 老人の秘書だろうか。それとも付き添いの娘とか孫とか、その類だろうか。
 席についても、落ち着き払っている老人と早口の壮年男性との会話が進んでいくだけで、その女性は口を挟もうとしない。たまにメモを取る以外は、このラウンジ特製のミルクティーを口に運ぶだけ。あまり熱心には見えない表情で、二人の話を聞いているように見える。
 あの女性は一体、どんな役割を持つキャストなのだろう。
 高山は一度だけ、灰皿を取り替える為、そのテーブルに近づいた。
 まだ二十代の高山だか、ホテルの従業員として熟していなくてもプロはプロ。この三人が座るテーブルに興味を示していることを表情に出すことなど、決して無い。
 しかし。
「!」
 きっ、と睨まれた。・・・気がした。
 その、三人目の女性に。
(・・・・き、気のせい、だよな)
 もちろんこれも顔に出さずに、高山は器用にも冷汗を掻く。
 内心、「やばい・・・」と表情を歪ませながら(重ねて言うが、顔には出してない)、足早にならぬよう、取り替えた灰皿を調理場まで運んだ。
 一流ホテルの従業員に粗相があっては、一流の名に傷がつく。あの女性が何故、高山を睨んだのかは知らないが、どんな理由にせよそれを根に持つ性格でないことを、高山は祈るばかりであった。


*  *  *


 二時間後。
 三人はホテルのエントランスで別れ際の挨拶を交わしていた。
 勿論、壮年男性は次のようなことを付け加えることも忘れない。
「ところで、今回の契約はお受け下さるのでしょうか」
 老人はそれを聞くと、にっこりと落ち着いた笑みを見せる。その問いに答えるべくは老人ではない。
 老人の後ろに立つ女性のほうだった。
「一週間以内に正式書類を送付致します」
 高い声の返答を聞くと、壮年男性は少なからず驚いたようだった。老人に付き添ってはいたが、一言も言葉を発しなかった女性が、この重要なことを発言する立場にいるとは。 この女性が老人にとって何者なのか、彼には知らされていない。
「・・・いい返事を期待しています」
「もちろんです」
 普通、このような席では相手に対して笑顔を絶やさないものだが、とうとう女性は一度も笑わなかった。
 対照的に、老人はにこやかな笑みと共に、別れの言葉を口にする。
「では、失礼するよ」
 見計らっていたタイミングで、二人の背後に黒塗りの車が滑り込む。
 黒い制服の運転手が降りてきて、白い手袋をはめた右手で後部席のドアを開けた。当然のように老人はシートに身を沈める。ドアが再び閉められたことを見届けて、女性は車の向こう側へ回りこみ、自分でドアを開けて老人の隣に座った。
 窓の外では、壮年男性が何回も何回も頭を下げていた。
 老人は軽く手を振る。その隣の女性は見向きもしなかった。
 車が走りだす。壮年男性を置いて、車はぐるりとホテルのロータリーを半周して、東京の街並に消えていった。




 中堅機械メーカー社長という肩書きを持つ新居誠志郎は今年で63歳になる。
 この歳になっても、その役職を明け渡さないのは単に後任がいないからだ。いや、後継を企てる輩は両手では数えきれない人数に上がるのだが、その誰にも、新居は自分が築き上げた会社を渡したくはなかった。いずれは、その誰かに奪取されるのだろうけど。
 新居はこの仕事が好きだし、何より人間を見るのが趣味だった。隠居生活など考えたくもない。
 一見、絶えず笑顔で優しそうな老年だが、その柔らかい視線はまるで重箱の隅を楊子でほじくるように、相手の内面を厳しく見つめている。
 年寄りは侮るなかれ。
 長生きをしていれば他人の言動を見る目は自然養われる。下克上を成功させられる力量の持ち主に、新居はまだ出会ってない。一城ではあるが、自分の天下はまだまだ続きそうだった。
 例えば新居の隣に座っている女性は、若くして人を視る能力を兼ね備えている人物だが、その例外ではない。考え方や行動はまだまだ未熟だ。
 さきに述べたような能力を有していることもあり生意気なところもあるが、そんなところも踏まえて、新居は彼女を気に入っていた。

「どうだった? 今回の相手は」
 ホテルを後にして五分後。視線は前に向けたまま、新居は隣に座る人物に言う。
 外の景色を眺めていた女は、素直にその声に振り返った。
「結論から言うと、今回の取引はやめたほうがいいと思います」
「ではその結論を導いた過程を聞こうか」
 座り心地の良すぎるシートに座り直し、女は胸元から手帳を取り出した。ホテルの座談でメモをとっていたページを開くと、一通り目を通してから要点を口にした。
「まず、彼はこの取引を必要以上に急いでるわ。尋常じゃないくらい」
 何か裏がある、と言いたかった。新居には語弊無く伝わったようだった。
「何故、急ぐ必要がある?」
「さあ・・・。何か後ろめたいことでも、あるんじゃないですか?」
「こちらに不利なことで」
「でしょうね」
 テンポの良いやり取りが始まる。
 いつものことだが、いつのまにかディスカッションになるのは、取り引き相手の真意を導き出す為だ。言い合うことで、お互いの意見を追求していく。
「新居さんだって気づいてたでしょう? なかなか強情そうな狸だったじゃない」
「年をとれば誰だって強情になる。それに商売人は狸しか生き残れない」
「・・・・嫌な業界ですね」
 しれっときつい言葉を吐く新居に、失礼にならない程度の素直な意見を返した。さらなる言葉が発せられないうちに、それから、と付け加え、会話を進めた。
「収支は本当に調べたんですか? 新居さんが仕事の様子を尋ねた時、反応があったようだけど」
「過去一年半の経常利益に変動は見られない」
「経済のことは専門外です。私は感じたことを言っているだけです」
「わかったわかった」
 ふむ、と新居は考え込んだ。
 今回は向こうから焚き付けてきた取り引きである。これを断ってもこちらに損はない。まぁ益もないわけだが。
 取り引きを結んだとする。もし相手方が破綻を生んだ場合、こちらも影響を受けるのはごく当然のことだ。取引相手はまず第一に経営状態が信用できる相手でなければならない。
 利益を生み出さない取引はあり得ない。それが取引というもの。失態は以ての外だ。
「それから最近の人事異動も見ておいたほうがいいと思います。…あ、退職者とその理由も」
「・・・わかった。それらの件の調査は全て、A.co.に依頼する。正式書類は明日中に発送する。期限は一週間だ」
 新居の、一段落を表すその言葉で、場の緊張が少しだけほぐれた。
 女性は、ふぅと溜め息をついて、窓の外に視線を移した。
 東京タワーがすぐ近くに見えた。A.co.の事務所に向かっているのだ。
「・・・・・承りましたぁ」
 小さな声で形だけの返答をする。
「ご苦労さま。祥子」
 新居が静かに言った。

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