キ/GM/01-10/07
≪2/4≫
スーツに身を包むその女性の年齢は実は18歳。名は三高祥子。こんな格好をしていても正真正銘の現役女子高生だった。
「疲れたかい?」
「別に。・・・ただ、世の中汚いなーと思って」
「大丈夫。そう思ってる祥子も十分染まってるから」
「新居さんと話してると、ときどき大人になるのが恐くなるわ」
強ばった顔で、でも余裕を見せる為に祥子は笑った。そんな皮肉を当てられても、新居は微笑んでいた。どうやっても表情を崩せる相手ではないと、祥子も分かっているのだけど。
「・・・いいですけどね。新居さんは私があそこに入ってからの、お得意様だし」
ほとんど投げ遣りに吐かれた言葉は嘆息混じりで響いた。
あそこ、というのはもちろんA.co.のことだ。阿達史緒率いる合計7人のメンバーが興信所というか便利屋まがいの仕事をこなしている。その7人は一人を除いて全員未成年だった。
そして、今回のように新居誠志郎が三高祥子を雇うのも初めてではなかった。祥子がA.co.に入って初めての仕事の相手が新居だったのだ。数えてみれば1年近くの付き合いになる。
新居は祥子のちからを理解している。
仕事上の取り引きの場に立ち合わせ、信用に値する相手かを判断させているのだ。せこいしずるいとも思っているが、新居は仕事では利益を優先させていた。
それについて、祥子はいつも思っていることがあった。
「もし、私のちからが間違っていたらどうするんですか?」
信用できない相手をそうではないと判断してしまったら?
そのミスは取り返しがつかない。
虚偽をはたらくのは祥子の人格のせいにできるが、祥子のちからそのものが間違っていた場合、新居はいったいその原因を何に置くのか。
新居の返答は至って平静だった。
「どうもしない。人間、誰だって間違いはある」
「そうじゃなくてっ」
同じ台詞を取引相手には絶対に許さないくせに。
「・・・そうだな。払った金の半分を返してもらうくらいはしようかな」
経済界のお約束だよ、と笑って付け加えた。
祥子は真剣な疑問をうまく躱されたものと勘違いし、少しの憤りを感じたがそれを押さえ付けた。
「・・・・私のちからを信用してるの?」
「君のちから、じゃない。君を信じてるのさ。祥子が祥子のちからを信用している限り、私は君を雇うよ」
祥子は目を見開いた。
すぐには理解できない言葉を、とりあえず繰り返す。
「私が・・・私のちからを?」
「そう。だから祥子が自分の感覚を信じられなくなったらすぐに言ってくれ。“お得意”の名簿から外させてもらうから」
「・・・・」
祥子が祥子のちからを信じられなくなる。
(そんなことあるはずない)
祥子は断言する。
取って付けたような器官ではないのだ。目に映るもの、耳で聴く音、肌で触れる物。それらと同じ、当たり前のように存在する感覚。ヒトの感情の波動、空気を導体にして伝わってくる心。信用するしないの問題じゃない。このちからは、祥子そのものなのだから。
祥子を理解してくれている新居だが、この感覚だけはわからないだろう。わからせようとしても、言葉では無理な話だ。
「疑心暗鬼になって人を疑うのは、もう疲れたんだよ。相手を疑うのは心苦しい。同時に、裏切られるのも辛い。そういう経験は日常生活で十分だ。仕事のほうにあまり人情を割きたくない」
だから祥子を雇っている。暗にそう言っているのだ。はたしてこの意見は合理的というのだろうか。
ある意味正直とも言える新居の言葉に、祥子は苦笑した。
「つまり私は、仕事面のことであまり疲れないよう、利用されているわけね」
祥子は新居の言葉を気にしていなかった。かえって裏表のない関係にさっぱりする。
こんな風に、祥子のちからのことについて、少しの遠慮もなく話せる相手はそういない。ビジネスで成り立っている間柄であるが、そんな関係を、祥子は気に入っていた。
新居の取引相手を数多く見てきた祥子だが、その中には悪事を企む人間も少なくなかった。そんな人たちにはそれ相当の処置を行い、正当な取引相手とはお互いに利益を追求し合う。
ただ、その二つの場合のどちらも、はじめに会うとき、新居は等しく疑ってかかっているのだ。祥子を雇うということは、そういうことである。
「もし、取り引きの相手が新居さんの友達だったりしたら? それでも私を雇うの? それって失礼にあたるんじゃないですか?」
祥子はかまをかける意味でも、少々意地悪な質問をしてみた。しかし。
「言ったはずだ。仕事に情は挟まない」
即答だった。祥子にはそれが少々意外だった。
「意外と、冷たいんですね」
「仕事と友情は別だ。・・・まぁそれでも、友人の会社とはなるべく取り引きをしたくないと思うよ。金銭取引は利益が第一だ。友情に亀裂を生む場合もある。それに、付き合いの長い会社との取り引きに祥子を連れていったことは一度もないだろう? ある程度の信頼関係ができているからだ。初めて取り引きをするところが要注意なんだよ」
そこで息をつく。
新居は顔をあげ、祥子の目をみて問う。
「祥子は友達が何人いる?」
「──── 」
祥子は一瞬だけ息を止めた。新居は答えを強要しなかった。
「その友達が、十年後には何人になってると思う? 状況によって周りの人間は変わる。自然消滅や喧嘩別れ、歳を取るとこの世から去る友人もいた。だからこそ、この歳になっての友人は悪いところも良いところも、よく知っているやつばかりだ。死ぬまでの仲になる。お互い分かっている。だからこそ、少しでも裏切りの要因となるような駆け引きはしたくないものなんだ」
「降ろしてください」
必要以上にはっきりとした声が響いた。祥子のものだった。
「祥子?」
「とめてください」
運転手は新居のお抱えだったが、車はハザードランプを点滅させて道の左側に寄った。祥子の言うことをきいたわけではなく、迫力に押されたという感がある。
祥子はバッグとコートを抱えて、既に左手はドアのロックを開けたところだった。
「祥子?」
「ここで降ります」
「何か気に触ったかい?」
「ええ。でも個人的なことですから」
ドアを開け放ちアスファルトに降り立つ。その間、祥子は新居と顔を合わせようとはしなかった。
「祥子」
後に言葉が続く呼びかけだった。祥子は車内に戻りはしないものの、ドアにかける手を止めて、次の言葉を待った。
「今、信頼できる仲間がいるなら、大切にしなさい。そういうことだよ」
その声は厳しかった。その厳しさに、祥子は顔を曇らせた。
「さよなら」
バンッ!
激しい音をたててドアを締める。
祥子はその場から駆け出した。
≪2/4≫
キ/GM/01-10/07