キ/GM/01-10/08
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例えば。
三高祥子が駅から事務所へ続くこの道を好きなこと。彼女の家からならバスでも通えるのに、わざわざ電車で来てこの通りを歩く。晴天の日、街路樹の下から空を仰ぐ癖があることを知っている。そして、何より阿達史緒を嫌いなことを、史緒は知っている。
木崎健太郎は、BGMの趣味が合うというので月曜館に通っている。マスターとも気が合っているらしい。バイクが好きで、お金が貯まったら買おうとしていることも知ってる。
川口蘭の好きなもの。花ではガーベラ。あと月曜館の紅茶も。
島田三佳は事務所の屋上から見る公園の風景が好きで、寒いのによく昇っている。滅多に披露しない司のバイオリンが好きなことも知っている。それから、夜、夢にうなされているのを知っている。
七瀬司も屋上が好きで、昔、理由を聞いたら、風の音がいい、と答えた。当初、彼は史緒と同居する予定だったが、それを拒否したのは他でもない司自身だった。なのに、司は自分の部屋に帰るのがあまり好きでないことを知ってる。この矛盾の理由も、史緒は知っている。
関谷篤志。初めて会った時から思っていたけど、彼は彼の家族をとても大事にしている。自分に厳しい彼が嫌いな食べ物は炭酸飲料だった。
だから例えば、自分の好きなものって何だろうと考えた。
それから、例にも挙げたけれど、それぞれが抱えるトラウマ。史緒はその立場上、ほとんどのメンバーのそれを知っている。けど史緒自身が、周囲にそれを見せることは、きっと無い。
一番弱いところを知られてしまったら、今の自分を支えているものが崩れてしまう気がするから。
そんな、気がするから。
それは多分、弱音を吐かない、ということとは違う。もっと別の、・・・・ずるいこと。
そんな気がする。
* * *
「健さーん、こんにちはっ」
事務所に程近い喫茶店「月曜館」。その窓際の席で専門雑誌を読んでいた木崎健太郎は顔を上げ、「よっ」と声を返した。入り口から跳ねるように近寄る川口蘭と、その後ろからいつもの歩調で蘭についてくる三高祥子に。
オーダーをカウンターで済ませていた二人は、健太郎の向かいに並んで腰掛けた。
「相変わらず早いですねっ」
「六限はたいてい実習だからな。サボりだよ。ここで雑誌を読んでいるほうが勉強になるだろ」
そう言って、蘭たちには何が書いてあるのかよくわからない雑誌を上げて見せる。それはコンピュータ関連の雑誌であることは間違いないのだが、難しくて蘭にはよくわからない。
「相変わらず、暇なのねぇ」
「・・・・人の話、聞いてんのか。おまえ」
勉強してるって言ってるだろーが。そう言われても祥子は素知らぬ顔だ。窓際の植物を眺めるふりをする。
「健さんのところって情報処理科なんですよね。どんな授業があるんですか?」
興味津々で蘭が尋ねる。
「どんなって、別に普通だよ。ただパソコンのソフトいじったり、プログラム言語の授業もあるってことぐらいで」
尋ねられるほど特殊な学科でもないと思った。それでも普通科の生徒から見れば異所になるのかもしれない。そんな風潮は校内でもないことはない。
蘭がもっと聞きたそうな表情を見せるので、健太郎は先を続けた。
「進学校ってわけでもないから、先生たちが教えることって趣味に走ってるんだ。世界史の先生は歴史の裏のウラの怪しい知識を授業で熱弁したり、商業法規では『法の掻い潜りかた』とかやって、テストにも出たぞ」
笑えるだろー、と笑う。
「呆れた・・・。何し学校へ行ってるのよ」
これは祥子だ。健太郎にむけて、少し突き放したような言い方をした。
しかし健太郎はけろりとして真顔で答える。
「そんなの、勉強に決まってるじゃん。学びたいことが無いのに高校なんて行くかよ」
「─────」
祥子が目を見開いたその先で、今度は蘭が口を開いた。
「健さんのところおもしろそーですね、後でいろいろ教えてくださいよー」
「おー、次のテストが終わったらいつでもいいぞ」
三人の所属するA.Co.が与する共同組合・TIAを震撼させたほどの健太郎の腕と知識を、他に広めるのもどうかと、祥子は一応、頭の片隅で思った。しかし、祥子が考えていたのはもっと別のことだった。
(この二人って、・・・どこか似てるかも)
そんなふうに、祥子が心の中で頭を抱えていた時、三人のボックスにマスターがやってきた。
「お待たせいたしました」
いつも通りのやさしい笑みを見せて、蘭の前にはミルクティを、祥子の前にはココアを置いた。蘭はわーいと言って、冷たい手のひらでカップを包んだ。
マスターはトレイを右手に抱えると、
「午前中には阿達さんと関谷さんがいらしてましたよ」
そんなことを言う。
「何か言ってた?」
「いえ、30分ほどでお帰りになられました」
一礼して去っていくマスターの背中を見送ってから。
「史緒と篤志かぁ・・・。あの二人もなんか結託してるようなところがあるのよね」
スコーンをかじりながら、祥子は言う。やはりどこか否定的な口調だった。どうやら祥子は史緒に対して何が何でも文句を言わなきゃ気が済まないらしい、と一瞬思った健太郎が反論する。
「そーかぁ? オレはあまり仲良くないようにも見えるけど。まぁ、気心が知れてるってのは分かるけどな」
「それは、篤志が史緒を甘やかさないからそう見えるのよ。その辺が、司とは違うところ」
言い切る祥子の言葉に健太郎は眉をしかめた。それは祥子の言葉にではなく、祥子に対してだった。
(なんだ。史緒のこと嫌ってても、結局、興味があるんだな。・・・わかるけど)
それとも嫌いゆえ、か。
思ったことは、怒られることが目にみえているので口に出さなかった。
ふと、健太郎は話好きである蘭が話題に参加していないことに気づいた。二人の会話を聞きながら、いつものように笑っているだけだった。
「蘭、おまえ、史緒と篤志のそーいう関係って、気に触らないのか」
甘やかさない関係、というのが良い意味であることぐらい、健太郎にも分かる。ちょっとしたひやかしのつもりで、意地悪く言ってみた。
「えー?」
蘭は突然話を振られて、少なからず驚いたようだった。
きょとん、と首を傾げると、
「だって、史緒さん好きな人いるし、それに・・・」
と、言いかけた。しかし、
バンッ
「なにぃ───── !!」
隣の祥子と目の前の健太郎が同時に立ち上がり、蘭の声は遮断されてしまった。
「え・・・っ? 何ですか?」
二人の声に驚いて蘭は椅子から立ち上がりかける。性格・・・、というより感性の違いというのは、こういう時に表れるものだ。蘭には、二人の叫びの意味は分からなかった。
「・・・・・?」
驚くようなことは、まだ言ってないのに。
奥の席で三人が大騒ぎしている。カウンターでグラスを磨いているマスターにも、それは聞こえていた。
「・・・・・」
もしここに阿達史緒がいたら、公衆の場で騒ぐな、と注意しただろうか。いや、それは関谷篤志の役回りかもしれない。それにしても、と溜め息をひとつ。あの事務所も賑やかになったものだ、と月曜館のマスターは思った。
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