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 その日は、別に悲しい日でもないし、悼む日でもない。
 誰にでもあるアニバーサリー。
 むしろ喜ばしい日。
 ただ、素直に喜ぶこともできない。

 そんな日だった。



 この年のその日の朝、A.Co.の事務所で、所長である阿達史緒はこんな呟きを漏らしていた。
「え・・・・・?」
 訝しげな表情。眉をしかめたのは気分を害したからではなく、目の前に立つ関谷篤志の言葉の意味が、すぐに理解できなかったせいだ。
「いや、・・・だから、そういうこと」
 篤志はバツが悪そうに、珍しく言葉を濁した。
 関谷篤志。現在21歳。180cmを超す長身の持ち主で、肩にかかる髪はきっちり結わえている。服装にはこだわらない性格で、深緑のジャンパーを無造作に羽織っていた。
 一方、彼と対峙する阿達史緒はストレートの髪を背中まで伸ばし、その間から覗く耳には赤い石のイヤリングが光っていた。タートルネックの白いワンピース。彼女の普段着は大抵こんな感じだった。
 史緒は遅まきながら篤志の言葉を理解すると、固まっていた自分の体を解放し、息をついた。
 力を抜いて、背もたれに体を預ける。
「・・・・・・高雄さんには?」
「今朝、電話した」
「何て?」
「大笑いされた」
 冗談ではなく、本当にそういう反応をする人物だということを、史緒も知っている。それでも少しだけ言葉を失ってから、もう一人の名を口にした。
「和代さんは?」
「"両立できないなら、大学なんて早く辞めなさい"、だってさ。うちの親の性格は知ってるだろ?」
 一人息子をネタに、どこか遊んでいるような・・・・と、言うと大袈裟かもしれないが、笑いの種ぐらいにはしている父親と、何でも好きなことをさせているようで、その中に程よい厳しさを含んでいる母親(厳しさの方向が普通とは異なるように思えるが)を持つ関谷篤志は肩をすくめて見せた。
「お二人にはしばらく会ってないけど、相変わらずみたいね」
「あの性格は変わらないよ」
 目を細めて苦笑する史緒に、篤志も笑って答えた。
「そういうわけで、これからちょっと行ってくる」
 軽く手を振って背を向ける。史緒は何か言いかけて、引き止めようとして、やめた。言葉が見つからなかった。けれど、篤志がドアノブに手を掛けた瞬間、史緒は言葉を声にしていた。
「篤志、あの・・・」
「謝るつもりなら、迷惑だ」
 厳しくならない程度に、篤志は言い切った。史緒は言葉を飲み込んで、うつむいた。
「・・・」
「何ども言ってるけど、これは俺が望んだ生活だから」
 だから、謝られるのは困る。迷惑だ。
 そんな捨て台詞で、篤志は扉の向こうに消えた。
「・・・・・・・・っ」
 史緒は一人部屋に残されて、唇を震わせていた。そして小さく呟いた。
「ばか・・・」
 謝罪が迷惑なら、礼を言う時間くらい与えてくれてもいいのに。
 いつもは気が回るくせに、こんな時ばかり突き放されてしまう。
(・・・・・・)
 深い深い深い溜め息をついて、史緒は机に伏した。



 阿達史緒は今日が何の日かを知っている。けど彼女の場合、特別何かをするということはない。
 たまに仕事の手を休めて、窓の外を眺めて、考え込む時間が増える。
 ただそれだけだった。

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