キ/GM/01-10/09
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そこは、名門私立大学の十本の指くらいには数えられる大学だった。
常緑樹で囲まれた敷地内には、いくつかの棟が立ち並んでいる。建物はどれも古く、それらは歴史がある、というよりは年季が入っているという言葉のほうがよく似合っていた。4万3千人が集うこの大学に置かれているのは、社会科学部、人間科学部、教育学部、文学部、政治経済学部、理工学部、法学部、商学部と、多岐にわたっている。節操がない、とも言うが、それなりに優秀な人材を輩出しているからこそ、名門大学と称されているのだ。
関谷篤志は、その構内を歩いていた。
何故と問われるなら、篤志がここの学生であるから、としか答えようがない。それが事実だ。もう少し言わせてもらえば、関谷篤志は理工学部経営システム工学科の3年生で、この大学に入学したのは阿達史緒率いるA.co.が設立される以前のことである。今は仕事が中心の生活であるけど、しっかり学生生活を送っていたこともある。
篤志が今日、久しぶりにここに来た目的は、事務局で手続きを済ませ、いくつかの書類を受け取ると達成されたはずだった。
しかし篤志は意味も無く構内を歩き回っていた。
すぐに帰ろうとした篤志の足を止めさせたのは、本人に自覚はないけれど、やっぱり、懐かしさ、なんだと思う。
(挨拶くらいしていったほうがいいか)
そんなふうに自分を納得させて、篤志は「挨拶すべきところ」に向かい始めた。
時間的に各教室では講義が行われていて、廊下には人気が少なかった。
それでも色々な音が漏れてくる。
抑揚のない声で蘊蓄をたれる教授の声。黒板を叩くチョークの音。生徒たちの討論、無駄話、情報交換。
人が沢山いるのに、ひっそりとした空気。
(・・・・・忘れてたな。こんな感覚)
学校、という場所から、いつのまにかこんなにも遠ざかっていた。
もしかしたら、自分は結構普通ではない人生を送っているのかもしれない。
今頃こんな風に思うのは、篤志の自覚がないせいでもある。
既に理工学部の行動範囲内にいた。人と通り過ぎる度にびくびくしている自分に気づくと、篤志は我に返って自問した。何を怖がっているんだ。
少し考えて、知った顔に会うのを恐れていることに気づく。
きっと、この大学の人のよい仲間たちは、久しぶりに会う篤志を歓迎するだろう。お祭り好きの彼らは、数時間以内に企画・実行して一席設けてしまうかもしれない。
何を怖がっているのかって?
興味ある学問を教わり、個性ある人々との付き合い。
けれどそれらは、篤志がこの大学に入学した理由にはならない。
この大学に入ったのは、自分の目的の為に大変都合が良かったからだ。
本当に、それだけだから。
自分を慕ってくれる彼らを裏切っているようで、少しの後ろめたさを感じる。
確固たる意志があるけど、目的とは別の場所にいる人とも完全に決別できない。
それはまぁ、当然のことだろう。
重要なのは、自分がどちらを選択したかということ。
普通の学生生活なのか。それとも阿達史緒に協力するか・・・。
選択を迫られたとき、こたえを出すまでの時間はほんの数秒だった。
今の生活は、篤志の目的により近いのだ。悩む必要などあるわけもない。
自分の判断は間違ってないと思っているし、今の生活にも満足してる。
なのに、そんな生活を、篤志の周りの人たちは必要以上に心配しているようだ。
それは篤志が自分の目的を、両親以外の誰にも話していないせいだろう。
目的。
両親には言ったことがある。一度だけ、幼い頃に。
あの時以来、話題にしたことはないのに、二人は覚えていて、そして好きにさせてくれている。
将来、自分の人生が特異なものに思われるのも自慢できるものになるのも全て、理解ある両親のおかげということになるのだろう。
彼らがいなければ、「関谷篤志」は存在しなかったから。
(ここか・・・・)
部屋の位置に記憶間違いは無いはずだ。
果たして何ヵ月ぶりになるのか。とにかく本当に久しぶりに訪れる某研究室の教室の前に立ち、一つ深呼吸をする。それは、少しの緊張と、ちょっとした懐かしい気持ちと、苦労を覚悟した意味が込められていた。
コンコン。
二回ほどノックして、篤志は教室のドアを。
開けた。
パーンっ。
クラッカーの破裂音。
「・・・・」
少しの沈黙。
細い紙屑が篤志の頭から落ちた。
篤志はうんざりした顔で、無言で教室内を見渡す。
室内にいた六人の学生は口々に叫んだ。
「留年決定、おめでとうっ」
「留年、おめでとおっ」
「ほんっとーに、久しぶりだなー。関谷クン」
「君を残して進級する我々を許してくれたまへ」
「おおっ、そんなに髪が伸びるまで学校サボって山篭もりを・・・っ」
「え? 道場破りじゃなかった?」
ちなみに篤志は入学したときから長髪である。
嬉しそうに涙に暮れる演技をする彼らに、篤志は怒りを抑えた溜め息で以って返答とする。
「おまえら・・・・」
この連中に懐かしさを感じないでもないが、今は込み上げる怒りのほうが優先だ。
見ると、流石というかやはりというか、狭い室内の机の上には缶ビールとお菓子が積んであった。耳が早いのか、行動が速いのか、一体どれを皮肉って誉めればよいのだろう。
「関谷、先輩にむかっておまえとは何だっ」
「まだ、同年だ」
「今のうちに先輩ヅラしておかないと、次にいつ来るかわからんだろ。おまえの場合」
「・・・そういう問題か?」
相変わらずノリわりィなーっ、と背中を叩かれる。篤志のほうが背が高いにも関わらず強引に肩を組まれたので、ほとんど頭を抱えられる体勢になった。
「ま。マジ、久しぶりだな」
耳元に改まった声で、そんな風に言われる。
素直じゃねえなぁ、と笑う。
相手の腕を掴み、体勢がプロレス技に変わる前に、篤志は器用に肩を外した。
「ああ。この部屋の位置を忘れるほどじゃないけどな」
「今日、時間あるならちょっと飲んでけよ。積もる話もあるってもんだ」
「どうせ留年ってのがネタなんだろ」
「御明察」
「先生は?」
「講義中。関谷を適当にいじめとけ、っていう御触れが出てる」
うんうん、と全員が頷いた。
そのあと、無理矢理椅子に座らされて、目の前には酒とつまみが並べられ、小宴会が始まった。
建前の名目は「関谷篤志、留年決定記念会」、だという。
* * *
「とうとう関谷も留年かー。入学した頃は教授たちの期待だったのにねぇ」
「でも普通、理工学部の3年で留年するほうがおかしいんだぜ」
やはりこういう話題になるのは避けられない。篤志はすぐに帰るつもりだったが、諦めて付き合うことにした。
「去年、ギリギリで進級したときから、四年で卒業するのは諦めてたよ」
周囲が意外に思うほど、篤志はあっけなく言う。
「卒業する気ないのか?」
一人が尋ねた。これは別に責めているわけではなく、篤志の意向を聞いたのだ。このあたりの価値観は似通っているので、篤志は相違なく受け取った。
「・・・・卒業しておきたい、とは思う」
「体面、気にするような奴だっけ? おまえ」
「体面張らなきゃならない相手がいるからな」
大変だねー、と誰かが言った。
(・・・・・)
認めさせておかなければならない相手がいる。それは仲間でも両親でもなく、・・・ただ一人の人間。
篤志は表情には出さずに笑って、そうでもない、と応えた。
机の上に空缶が転がり始めた。
この時点で既にできあがっている者一名、居眠りモードに入っている者一名。それらを横目で見て、篤志も缶に口をつけた。
(そーいや、こいつら弱かったな)
一年前の、研究室の新入りコンパでのことを思い出した。基本的に皆あまり強くない。でも騒ぐのが好きな連中で、飲み会は多くても2次会に突入したことはほとんどなかった。
今回、篤志がネタにされているが、その実単に騒ぎたかっただけでは? ・・・そう考えると複雑な心境だ。
「吸う?」
煙草を差し出される。
「いや、いいよ」
篤志が断る仕種をすると、相手は慣れた手付きで煙草を咥え、火をつけた。
「前、吸ってたよな。やめたの?」
「一緒にいるやつが嫌がるんでね」
「・・・・一緒にいるやつって、・・・・・・おおーっ!! まさか彼女かぁっ!?」
ぶはっ、と篤志は吹き出した。
「えっ? なになに? 関谷の彼女っ?」
「おまえー、大学サボって何やってんだよー」
こういう話が好きな連中だということも、篤志は今、思い出した。
「ちがうっ! 仕事仲間だっ」
室内が一瞬静まった。
「・・・しごとぉ〜?」
「おまえ、今、何してるんだよ」
留年とは別の方向に興味を抱いた数人が尋ねてきた。
「バイトか?」
「金、稼いでんの?」
勤労学生は沢山いるが、アルバイトに時間を取られ留年しては元も子もない。
篤志は自分の特異な生活を再認識して、少し迷いながら言う。
「この場合、何て言えばいいのかわからないけど、取りあえずバイトじゃない。普通に働いてる」
「どんな仕事?」
「分かりやすいく表現すると探偵、正確に言うと何でも屋ってところだ」
余計わからない気がする、と誰かが言った。
「仕事仲間ってどんな人間?」
「どんなって。別に普通」
「関谷が学校サボってまで一緒にいる連中が普通とは思えないけどな」
誰かが言った。
室内が一瞬静まって、その空気に驚いてから、篤志は笑った。
「確かに、そういう意味では普通じゃないな」
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