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そして同様に、その日は社会的にも内輪的にも平日だったので、都内にある私立京理学園中等部では、当然、普通のカリキュラムを行っていた。
この学園は開校が明治で、歴史と伝統と風格というものがあった。女子校である。お定まりのように全寮制だった。
名門の名と伝統を重んじる一方、帰国子女や外国人留学生を多く受け入れることでも有名で、そのあたりの、理事長の柔軟な考え方も評価されていた。
俗に言う「お嬢様学校」だが、現代において、そんな単語はすでに死語と化している。矛盾した表現かもしれないが、「少しだけ国際的で、少しだけ閉鎖的」な部分を除けば、どこにでもあるようなごく普通の学校だった。
その3年1組に、川口蘭は在籍していた。
「きゃーっ、・・・・・・蘭っ、何してるのよっ!」
午前10時。一限目が終わった休み時間、3年1組の教室に悲鳴があがった。
その悲鳴で教室にいた全員が、窓の外へ視線を集中させた。
なんと女生徒の一人が、教室の窓から外の樹木に飛び移ったのだ。ここは2階である。
女生徒はそのまま太い枝に掴まり、木の窪みにうまく足をかけ、反動をつけると、ぴょんぴょんと中継地点2個所で地面に着地した。重力を感じさせない軽快な動作だった。
その間、たった3秒。
2階の窓から飛び降りた女生徒は、ぽんぽんと制服の裾を払っている。背中の鞄をしょい直すと、おだんご頭の少女は頭上の窓に向かって手を合わせた。
「ごめーん、委員長。今日は帰らせて」
申し分けなさそうに頭を下げるが、委員長にとっては、あまり意味がなかった。
「それはいいからっ、ちゃんと玄関から帰りなさいっ。危ないでしょっ」
「今日は急いでるのー。本当に、ごめんね」
2人のやり取りを面白そうに聞いていたクラスメイトが、窓の下の蘭に声をかけた。
「らんー。次の日曜日、あいてない? たまには遊ぼうよ」
「お誘いは嬉しいんだけど、休みの日はだめなの」
「答えは分かってた。いじわる言ってごめん」
「こっちこそ。理解ある友達でうれしいよっ。ほんとに、ありがとう」
そう言うと、川口蘭は踵を返し、校門に向かって走り出す。背後からは、まだ、委員長の声が聞こえていた。それをたしなめるクラスメイトの声も。
1時限目が終わったら帰る予定なのに、1時限目をきっちり出席しているところが川口蘭の性格なのだ。
彼女のそういうところと、彼女のずば抜けた運動神経は、クラスの誰もが知っていた。
* * *
「はい、A.Co.」
電話に出たのは、島田三佳だった。
史緒が出るとばかり思っていた篤志は、少しだけ驚いて、自分の名前を告げる。
そうしたら、三佳の容赦のない、呆れたような馬鹿にしたような(もしくは両方かもしれない)声が返ってきた。
「篤志? 一体、何なんだ、おまえらは」
「ガキにおまえ呼ばわりされる言われは無いっていつも言ってるだろう」
「用件を言え」
篤志の言葉を当然のように無視する。言い返すのも馬鹿らしくなって、今から帰る旨を篤志は伝えた。三佳は篤志の用件がそれだけであることを確認してから発言を続けた。それには無視したはずであったガキ呼ばわりされたことへの報復が、当然のようにさり気なく、しかも意図的に、言葉に表れていた。
「今さっき蘭から電話があった。おまえの居場所を尋ねられたから、篤志なら留年が決定して、ほんっっとうに珍しく大学のほうへ行ってる、と答えておいた。多分、そっちに向かってるんじゃないか?」
留年、そして決定という二個所にアクセントがついていた。
川口蘭から事務所に電話があり、関谷篤志の居所を尋ねられた。そしてその当人からタッチの差で連絡が入る。三佳としては馬鹿馬鹿しいと思うのは無理も無い。
それを察してはいるが、篤志は苦々しくなる声色を抑えることはできなかった。
「・・・何で知ってるんだよ」
「一応、言っておくが、史緒からは何も聞いてない。ただ、今年こそ留年するかどうか賭けてたもんだから。・・・この時期に大学に呼び出されると言ったら、それしかないだろう」
「いくら稼いだのか聞いておきたいんだが。ついでに何人参加したのかも」
「やめたほうがいい。人間不審になりたくはないだろ」
「・・・司っ、そこにいるんだろっ。頼むからこいつを黙らせてくれ」
半分、泣き付く勢いで、篤志は声を強めた。
あいかわらずの饒舌な毒舌は歳不相応。この少女が史緒に連れられてA.Coに来たとき、当時のメンバーは所長である阿達史緒と七瀬司、そして関谷篤志の3人だった。あの時は大人しい奴だと思っていたけど、一皮むけた本性がこれだ。
(やはりあの2人はあまり良くない意味で影響しあってるな・・・)
顔をしかめて、篤志はそう考える。その気持ちの8割は被害妄想だとわかっているけれど。
三佳、その辺でやめときなよ。三佳の声のさらに後方から、"もう一人"のそんな言葉が小さく聞こえた。よく考えると、この当人も賭けに加わっていた一人なのだ。きっと。いや、必ず。
「もしもし? 僕だけど」
受話器の向こうの声が、若い男のものに変わる。七瀬司だ。
その用件を聞く前に、篤志は逆に問い掛けた。
「司。おまえは賭けに勝ったのか、負けたのか、どっちなんだ」
「勝ったよ。もちろん」
悪びれもせず言う。
と、いうことは、篤志が留年するほうに賭けたのだ。当然、三佳も同様だろう。意外と怒りは覚えなかった。ただ、どっと疲れを感じた。
篤志、と改まった声がした。
「蘭のことだけど、本当にそっちに向かってると思うから、ちょっと待っててあげてよ」
「・・・・・・」
前髪をかきあげて、少しの間考え込む。
「あいつ・・・、今日、普通に学校ある日だよな? 何か言ってた?」
「別に、篤志の居場所を聞いただけだったよ」
今日の夕方には、事務所に行くことを彼女は知っているはずだ。
腕時計の指す時刻は12時23分。昼真っ只中。
(特に約束はなかったはずだし)
うーん、と、もう一度考え直してから、
「わかった。こっちの駅で少し待ってる」
そう言って、電話を切った。
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