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 大学の最寄り駅付近はちょっとした広場になっていて、サークルの集い・勧誘、学内の団交、昼食、レポート書きなる光景が毎日のように見られる。繰り返すがここは学内ではなく、駅前である。それでもこの広場の人口は常に8割以上が大学生。多種多様な学部生徒が入り乱れることに関しては、近郊の喫茶店に勝るとも劣らない貴重な場所だった。
 篤志はその広場の一角にあるベンチに腰を下ろして景色を眺めていた。
 通り過ぎる何人かは顔見知りで、相手は珍しい人間がここにいることに驚いたりする。同じような会話を2、3人と交わして一息ついて、篤志はまた、目の前を行く人々に目を向けた。
 時間を潰すためのものは何も持ちあわせていなかったが、篤志は時間を潰す事に関してはある種の才能を持ちあわせていた。とくにこのような場所では。
 時計台の下でそわそわしている学生、地図を見ながら駅に滑り込む人、芝生の上の昼寝、メモを取りながらの談義。
 関谷篤志は人を見るのが好きだった。何をして、どこにいくのか、想像するのが既に趣味と化していた。
 非生産的である趣味を敢行していた矢先、目の前を小学生二人が、走って通り過ぎていった。
(・・・・・っ!!)
 それだけで、篤志ははっとして目を見張った。
 そして思い出した。
 今日の日付を。
(・・・・・・・・・そうか)
 篤志は空の一点を見つめたまま、右の拳を、強く、握り締めた。
(今日は、2月26日だ)
 それは当たり前というか、変えようの無い事実であるけれど。
 胸が痛んだ。
 この日付に特別な感情を持つ理由は、関谷篤志には無いはずなのに。
 しかし、その日付に気づけば、川口蘭が今日、篤志を探している理由もわからなくはない。
 2月26日。去年のこの日、篤志は蘭から理由のないプレゼントを受け取っている。一昨年も、さらにその前も。すでに毎年恒例になっていて、蘭の性格から今年も例外でないことは推測するに難くない。
(・・・)
 頭上では澄んだ青空が広がっていた。気温はまだまだ冷たいけれど、風がどこか暖かく感じた。
 そんな季節の日だった。
「篤志さん」
 突然、目の前が陰る。視線を前に戻すと、そこには予測通りの人物が立っていた。
「こんにちは。良いお天気ですね」
「蘭・・・・」
 制服姿で、おだんご頭の川口蘭が、いつもの明るい笑顔でそこに立っていた。その背後には、相も変わらずの人だかり。篤志はそのうちの一人。これだけの人の中から、蘭はどうやって篤志を見つけたのだろう。
「お隣り、座っても構いませんか?」
「ああ」
「あ、昼間からお酒飲みましたねっ」
 篤志自身は大して飲んでいないはずだが、匂いでわかったのだろう。
「敏いな」
「あと煙草っ! 史緒さんに怒られますよ」
「俺は吸ってないぞ」
「そんなこと、わかってます」
 同じ部屋に喫煙者がいれば、嫌でも匂いがつく。蘭に言われなくても、篤志は一度自分の部屋に戻り、着替えてから事務所に行こうとしていた。
 何といってもあの再従姉妹は、少しの煙草の匂いでも途端に機嫌が悪くなるから。それは蘭もよく知っていた。
 篤志はふと思い立って、蘭が学校をサボってまでここに来たことを諌めようとしたがやめた。制服を着ているということは、何コマかの授業は受けてきたということだろう。代わりに口に出たのは全く別の質問だった。
「・・・・・今日で何回目だっけ?」
 蘭は目を丸くした。
「覚えてたんですか? 毎年忘れてるのに」
「いい加減、覚えたよ」
「今回は私と篤志さんが出会ってから4年目なので、4回目ですね」
 はい、これ。そう言って蘭は持っていた袋を篤志の前に差し出した。
 篤志はそれが何か知っている。両手で軽く持てるくらいの、小さな鉢植え。縦長のビニール袋の中で、ささやかな緑の葉は、その手を折りたたんでいた。
 毎年、この日になると一つ増える篤志の部屋の観葉植物。
 それらは全て、川口蘭からのプレゼント。
「・・・・蘭。おまえ、俺の部屋を植物園にする気か?」
「それくらい長く付き合えたら、素敵だと思います」
 笑顔でそう言われると、さすがに篤志は何も言えなくなる。けど照れているのではなく、これは呆れているのだ。
 それに、素直に喜ぶこともできない。
 篤志は毎年恒例のこの日の蘭からの贈り物の意味を知らなかった。
「・・・毎年同じことを尋ねるようだけど、何故、今日、この日、俺に?」
 蘭もその問いを待ち構えていたかのように、間髪入れずに応える。
「毎年同じ答えで申し訳ありません。ご迷惑ならやめます。でも、もし、そうじゃないなら、受け取ってもらえませんか?」
「いや、俺は嬉しいけど」
「喜んでもらえて、あたしも嬉しいですぅーっ」
「だーからっ! 抱き着くなって」
 首にしがみ付く蘭を引き離して、篤志は襟元をただした。蘭は隣で小さく、けち、と呟いた。嫌味にならない程度の蘭のむくれ顔を横目で見て、嘆息。
 慎重になり過ぎない声音で。
「俺の誕生日は6月だぞ」
「知ってます。今年はおっきな花束にしようかな」
「・・・かなり恥ずかしい」
 蘭はくすくすと笑った。それにつられて、篤志も声を立てて苦笑した。
 一区切りつくと、蘭はベンチから立ち上がって篤志の真正面に立った。
「ねぇ、篤志さん」
 まっすぐに目を見て、蘭は口を開く。
「必ず在ると分かっているものを探すのって、気分的にすごく楽だと思いませんか?」
 珍しく彼女にしては抽象的なことを言う。表情はいつもと変わらず笑っているけど、でもわかる。これは真剣な話なのだ。
「・・・・何の話だ?」
「あたしは、あなたがこの世界のどこかに居るって、知ってました」
「・・・・・・」
『知っていた』。
 蘭はそんな言い方をした。自信があるとかないとか、そんな次元の話ではなく、確信? ・・・・本当に当たり前のことのように、蘭は言い切った。
「だから後は、探しに行くだけだったんです。世界中。一生かかっても、しわしわのお婆ちゃんになっても探す気でしたし、一目で分かる自信もありました」
「その自信の根拠は?」
「それはもちろん、あなたはあたしの、『運命の人』ですから」
 茶化さずに、真っ直ぐな瞳で、蘭は篤志と対峙した。
 ある意味、盲目的とも言えるその思い込み。それが個人のたわ言であるだけなら自滅的だが、その思い込みが真実ならば、これ以上に強いものはない。
 何故、今日、この日、俺に?
 その答えが、先ほどの蘭の自信の根拠と同じであることに、篤志は気づいた。蘭が遠回しに篤志の疑問に答えたことに、気づいた。
 川口蘭は周りが思うよりずっと大人なのだとわかった。ひとつの真実を、その身に仕舞い込める程。
 篤志は言葉を返せず、やっと視線を外せたのは5秒後だった。
「・・・負けたよ。おまえには」
 蘭が言いたいことは、篤志に伝わった。
 呆れて、そして何故か諦めに近い表情で篤志は苦笑する。
 この少女を侮ったことは一度もないが、ここまで手強いとは。
 篤志は勢いよくベンチから立ち上がった。蘭は篤志が怒ったのかと心配になって、弱気な表情で篤志を見上げた。
「あの、怒らないでくださいね。あたしは篤志さんの目的も理解しているつもりです」
「… っ」
 今度こそ、篤志は目をみはった。蘭の双眸を見つめる。
 今の篤志の心境は純粋な驚きで、ただ本当に、この少女の洞察力に敬服した。
「・・・・おまえ、あのじーさんの娘なだけあるな」
「光栄です」
 蘭は本当に嬉しそうに笑った。
「全面的に誉めたわけじゃないからな」
「なんですかー、それー」
 歩きはじめる篤志の背中を捕まえるように、蘭は手を伸ばす。一度追いつくと、篤志が歩幅を合わせてくれることを蘭は知っていた。
「毎年同じこと言うようだけど、昼メシまだなんだろ? どっか入るか」
「やったーっ、もちろん奢りですよねっ?」
「いくら何でも中学生にたかれないだろう」
「年の差は開きませーん」
「・・・・ま、蘭が成人した頃には返してもらうさ」
 苦笑する篤志の腕に蘭はしがみついて、二人は駅の方へと向かった。


 暖かい日。
 けど、桜が咲くのは、まだ、先のこと。


end

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