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『なーに? 三高もサボってきたわけ?』
 風の強い屋上で。
 青い青い空のなか、長い髪を風になびかせ、彼女は笑った。
 あの笑顔は今も忘れられない。
 そんな余裕も無かったはずなのに。恐くてしょうがなかったくせに。彼女は、笑った。

『三高の目的は何? 都合のいい時だけ仲良くされてもこっちだって面白くないのよっ。あんたが…何も言わないからっ』
 震えながら悪態を吐いてる。
 ──彼女の胸中は、痛いほど分かっていた。

 本当のことを話した。
 彼女のこと、それから私のこと。
 彼女は理解してくれた───…受け入れてくれた。涙が出るほど嬉しかった。
『三高には夢がある? 私は小さい頃、音楽家になりたかった』
『死神に追われてるって言ったら、あんたは笑うかな』
 笑わない。あなたの心が追いつめられてるのは、知ってるから。
『冗談よ…やっぱ変だわ、三高って』
『聞いてほしいの。三高に。…テスト最終日の放課後、屋上に来て』
 いいの? 私で。
『あんたじゃなきゃ言えないわよっ!』
『あっ…いや、そーいうワケじゃなくてぇ…ほら、三高って妙な力あるしぃ…』
 そう。私には妙なちからがある。
 ─────だから自惚れてた。
 彼女を救えると思ってた。彼女の心が分かる私なら、それができると思ってた。
 傲慢で、馬鹿みたいに。

 彼女は死んだ。
 遠い夏の日。静かな霊園で。


 私は、約束の日約束の場所へ行かなかった。
 行けば、未来は、変わっていたんだろうか…。





1-1
 6月の半ば。
 アパートへ帰りつくと、ポストに一通の手紙。
 往復ハガキ。
 差出人を確認する前に、その通信内容を察することができた。
 5度目のハガキ。
 頭の隅が痛んだ。額に指を添えて、ハガキから顔を背けた。
 もう、そんな季節だった。





1-2
 2003年6月。

「アルバイト?」
 A.CO.所長・阿達史緒(22歳)は、怪訝な表情で顔を上げた。
 史緒が座る事務机の前には、気まずそうに照れている三高祥子(23歳)が立っていた。微妙に視線を逸らし、両手は落ち着きがなく握ったり組み直したり。
 史緒のリアクションは想像通りのものだ。かと言ってそれを喜ぶわけでなく、祥子はむきになって続けた。
「そうよっ、アルバイトするの。構わないでしょっ? 別に、史緒に断わる必要もないけど、一応、私の雇い主だから報告くらいはしておこうと思って」
 無意識に声が大きくなっているのは、自分の態度の不本意さの表われかもしれない。もしくは心境の変化を暴露している恥じらい。威勢はよいがどこか照れているから。
 史緒はそんな風に分析しながらも、やはり少々驚いた。
「…それは構わないけど…。どうしたの?」
「どうもしないわ。単に、A.CO.の収入だけじゃ将来に不安を感じただけよ」
 これは台詞(言い訳)を用意していたのだろう。祥子に建前であることを指摘するのは容易いが、簡単に本音を吐いてもらえるとは思ってない。
 史緒は笑った。けれどすぐ雇用主の顔に戻って、
「いいわよ。ただし、アルバイトの連絡先と全シフト表を提出すること。それから緊急の仕事はこちらを優先すること。条件はこの2つ」
 と、言った。祥子は待ってましたとばかりに机の上にメモを差し出した。
「採用はもう決まってるの。連絡先はこれ」
 それを受け取り一瞥する。
「……本屋のレジ? 客商売じゃない。大丈夫なの?」
「どういう意味?」
「まぁ、祥子がいいなら、いいけど」
「いいから決めたんでしょ。用件はそれだけ。じゃあ私は帰るから」
「了解。気を付けてね」
 事務所のドアがパタンと閉った。ふぅ、と史緒は溜め息をついた。
 ガチャリ、ともう一度ドアが開いた。
「なんだ、祥子来てたの?」
 入れ違いで木崎健太郎(22歳)が入ってきた。タイミング的にドアの向こうで祥子と対面したようだ。
 健太郎の服装はジーンズにTシャツ、鋲打ちレザーのリストバンドをしている。(ファッションに拘る彼にしては地味なほうだ)大きなバッグを背負っていた。
「ちゃんと大学へは行ってるみたいね」
「研究科への進級決めたらさっそく招集かかってさ。面白い実験やってるから最近はよく覗いてるんだ。あ、これ、この間の報告書。データはアップしといた」
「お疲れ様」
 十数枚ほどの報告書を受け取り、史緒はぺらぺらとめくってから机の端に置いた。後でじっくり読む為だ。実は史緒の添削により内容をつっこまれ再提出になるものも少なくはない。
「ねぇ、ケンは大学を出たらどうする気?」
「オレ? 昔はどこかの秘密結社に入ってこの技術を役立てるとか考えてたけど。今は、そーだなー、ここの仕事をやりながら、自作ソフトで印税を貰う、とか」
「意外と…ちゃんと考えてるわけじゃないのね」
「ほっとけ。何だよ、突然」
「ううん。別に」
(歩く嘘発見器も、ちゃんと自分のことを考え始めたってことかしら)
 そんな風に祥子のことを思った。


* * *


 事務所から駅までの通りを、祥子は足早に歩いていた。明るいうちに帰りたかった。
 と、言っても祥子のアパートはA.CO.の事務所から歩いて十五分である。高校卒業と同時に品川のマンションから、事務所の近くへ引っ越したのだ。母・和子はずっと入院していた病院から保養施設へと移り、別々に暮らしていることは二人とも割り切っている。「史緒さん家の近くなら安心だわ」と、引越しを促した母は言う。
(私のほうが年上なんだけどなぁ)
 信用されてないわけではないのだろうけど、母の気持ちは分かる。
 その史緒は「どうせなら一緒に住めば?」と言ったが「冗談じゃない」と反発したのは祥子と、史緒と共に暮らしている島田三佳だった。祥子は、史緒の性格と折り合うことは無いと分かっているし、三佳は祥子を拒んでいるわけではなく、史緒と祥子が一緒に暮らす環境に自分も身を委ねるという愚挙はできないと言った。その気持ちもよく分かる。(史緒も、そういう反応を予測して一緒に住めば? などと言ったのだ)
 だから十五分。付かず離れず、不即不離。そういう関係が、恐らく丁度良い。
「……」
 バイトのことについて、大丈夫なの? と史緒が言ったことを思い出していた。
 案じていることは分かる。
 祥子は自分が持つ能力のせいで、極力人との関わりを避けていた時があった。騙る相手が恐くて、本心とは裏腹の笑顔が悲しくて、気付いてない振りをする自分に嫌気がさして、それらにウンザリして、他人との付き合いをやめてしまったことがあった。
 切り捨てることができない自分の能力が何の役にも立たないことに、酷く傷ついたことがあった。
 そんな祥子が、突然バイトを始めると言い出したから、史緒は心配したのだろう。
 5年前から所属しているA.CO.では、そのメンバーは全員、祥子のちからを承知し、理解している。その中で、祥子の頑なな心も少しづつ変わってきたし、自分のちからを活かせることに喜びを感じたりもした。
(でも、今のままじゃダメ)
 そう思うようになった。
 A.CO.のメンバーは阿達史緒を筆頭に現在7人居る。昔と違って全員集まるということはあまりなく、非常勤がほとんどだ。大学生、国家試験を控えていたり、受験生だったり、某大会社の仕事と掛け持ちしていたり、と、それぞれ個人のことも忙しい様子。
 けど、祥子だけは高校を卒業してから、この仕事に専念していた。
 専念、というより他にすることがなかったからだ。
 したいこともなかった。
 皆は、それぞれ自分の目指しているものに努力している。
 では、私は?
 そう考えたとき、ものすごく不安になった。
 甘やかしてるんじゃないかって。
 このまま史緒の下で甘えてるんじゃなくて、何か、自分の道を見つけなきゃいけないんじゃないか。
 とりあえずアルバイトを始めてみるのは一刻も早く動きたかったからだ。
 社会生活を満足に送ってこなかった自分が、どこまで周囲と関われるのか。
 夕暮れ時の赤い空に、雲が流れてゆく。湿った暖かい風が髪の隙間を走って行った。ゆっくり歩きたいのに、その風は急かすように背中を押して、街行く人々を家路へと歩かせていた。
(…)
 ふと、どこか懐かしい匂いを感じた。
 それは単に夏の匂いだ。湿っていて、緑と土の匂いがする、夏の風の匂い。
 見渡せばそこにあるのはアスファルトと灰色の建物だけ。
 それでも、変わることのない風が頬を撫でていく。
 太陽はもう沈んでしまった。けれどその光は、空と雲と街とを赤く染めていた。

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