キ/GM/11-20/12
≪1/14≫
2−1
本日は土曜日なのでA.CO.は休業。
午前中、月曜館にてメンバーとの打ち合わせを終えた後、阿達史緒は私用で外出していた。
久しぶりに買い物へ出かけ、両手…とまではいかないが、片手いっぱいの荷物を抱えて、A.CO.の事務所へと向かう駅からの道を歩いていた。
共に暮らす島田三佳は、受験に備えての補習に参加している。帰りは遅いだろうから、必然的に夕食当番は史緒ということになる。食材も買い込んできて抜かりは無いけど、史緒は料理が得意ではない為、三佳が帰ってきたら小言を言われるのは目に見えていた。それもまあ仕方のないことだ。
夕食のレシピを頭に思い浮かべながら、事務所のドアの鍵を取り出しつつ階段を昇った。
(…?)
事務所のドアの前に人が座り込んでいた。はた迷惑な。でもそれが誰なのか、史緒にはすぐ分かった。
折った膝に顔を埋めて、両手はその膝を抱え、小さくしている影。特に怪我をしている様子でもないので、史緒はそのままのリズムで足を進め、その姿の直前で止まり、声をかけた。
「何やってるの?」
「落ち込んでるのよっ、見て分からんないのっ!?」
顔を上げないままの、三高祥子の千切れそうな叫び声が返ってきた。近付く足音が史緒のものだと気付いていたようだ。
八つ当たりにしか聞こえない台詞に、史緒は溜め息をついて答えた。
「分からないわよ。…祥子じゃないんだから」
とは言っても、まるきり分からないわけでも、ない。
落ち込んでいる、という言葉を使った祥子の語彙の貧困さを声に出して指摘しないあたり、史緒なりに気を遣っていると言える。
祥子との付き合いは短くない。こういう時に心配すると、余計に強がらせてしまい、祥子に更なる負担をかけることを知っている。史緒はわざと突き放した言い方をした。
「それにあなたの感情表現は歪んでるから」
「史緒に言われたくないっ」
祥子は顔を上げた。
泣いているかと思ったがそうではなかった。ただ、顔が青かった。
史緒は短く嘆息して、祥子を立たせる為に手を差し出した。
「そんなことより、…早く中へ入って。何か冷たいものでも飲みましょう」
意外にも祥子は素直に史緒の手を取った。これはかなり重症だ。史緒は事務所へ入り、とりあえず祥子をソファに座らせると作り置きの緑茶を出した。それから荷物を3階に置きに行った。戻ってきた時、祥子のグラスはまだ手が付けられていなかった。
「は? 泊まる?」
事務所のテーブルに腰を下ろし、自分のグラスを取った史緒は怪訝そうな声をあげた。
その向かいに座る祥子は視線を外して言いにくそうに言葉を濁した。
「家に帰りたくないの。毛布一枚貸してくれれば後は迷惑かけないわ」
「それはかまわないけど…。何かあった?」
「関係ないでしょ」
「簡単に答えてくれるとは思ってないわ」
「じゃあ、訊かないでよ」
いつもの険悪なムードになってしまう二人。史緒は苦笑いした。
「本当に祥子って友達いないのね。私の所なんて、来たくもないでしょうに」
ただ家に帰りたくないだけなら、何も史緒の所でなくてもいい。他に頼る友人が、彼女にはいないのだろうか。
祥子は図星を指されて尻込みした。
「…だって。蘭は寮住まいで今は試験中だし。お母さんの病院は看護宿泊するには事前の手続きが必要だし…」
「祥子、今日デートだったのよね? 痴話喧嘩だったら関わりたくないわ、さっさと仲直りしなさいよ」
「違うッ」
ばんっ、と祥子はテーブルを叩いた。史緒は眉一つ動かさずに、次の言葉を待った。
祥子の手は震えていた。その震えは声にも伝わって、
「…そんなんじゃ、ない」
と、小さく呟いた。
苛めてしまったかもしれない。
「祥子」
「うるさいっ!」
その様子をじっと見ていた史緒は空々しい溜め息をついた。
「まあいいわ。3階に客間があるから、そこを使って。それから───」
*
夕食の支度、手伝って欲しいの。と、史緒は笑顔で言った。
「あーっ史緒っ、お鍋吹いてるっ。弱火にしてっ」
「こっちは?」
「しばらく水に浸けてっ、あっ、ちょっと待って! あんた料理したことないの?」
…祥子は史緒の家事能力レベルを知らなかった。
キッチンは戦闘状態。手伝って欲しいと言ったはずの史緒は、はっきり言って使い物にならなかった。
さすがに、米を洗剤で洗うような真似はしなかったが、灰汁抜きや煮物の調味料など基本的なデータが入ってない。(どういう食生活してたのかしら)。それは意外な気がした。何でも難なくこなすと思っていた阿達史緒にこんな弱点があったとは。
「人間一つは苦手なことがあるわよ」
抜け抜けと言う。しかも微塵にも気にしていない様子で。
「いつもは三佳が作ってるの」
「三佳が結婚でもしたらどうする気?」
「そうね。その時は司もここに住んでもらおうかしら」
(───…)
史緒の台詞に、祥子は包丁を動かす手を止めた。隣で、鍋の様子を見ている史緒の横顔を盗み見る。いつも通りのポーカーフェイス。けれど。
分かってしまった。
「淋しいなら、そう言えば?」
突き放すような祥子の台詞に、史緒は笑ったようだった。
「今のは、完全に読まれたわね」
淋しいのはいつか三佳が離れていくことではなく、今ここに七瀬司がいないことだ。
祥子の台詞に思いやりが含まれているのは分かった。───こんな風に、祥子のような能力を持たない人間でも、他人の言葉の裏にある心情を読み取れることも、ある。
「三佳には言わないでね」
「分かってる」
そんなことを確認し合う。
七瀬司は事情があって今ここにはいない。誰よりも淋しいと感じているのは、三佳のはずだから。不用意に司の話題を持ち出すのはお互いの為にならない。
「祥子も相手ができたことだし、いつ結婚するか分からないじゃない? 今のうちに色々教わっておこうかな」
「日阪さんはそういう相手じゃないってばっ!」
「日阪さんだなんて言ってないけど」
「…」
使い古された手に引っ掛かるとは、史緒も思ってなかった。くすくすと笑い出す。
「史緒っ! あんんたねぇっ」
祥子は真っ赤になって、史緒を睨みつけた。
───そんな風に騒ぐ二人を、背後のドアから白い目で見つめる視線があった。
「……何ともまぁ、異様な光景だな」
何とも言えない複雑な心境を表した声がかかった。
セーラー服姿にバッグをしょって、島田三佳が立っていた。
「お帰りなさい」
振り返った史緒に、ただいま、と返す。そう答えておいても、三佳はまだ自分の目が信じられなかった。
あの二人が───史緒と祥子が並んでキッチンに立っているなど、一生にあるかないかの珍事だ。きっとこれが見納めになるに違いない。
*
≪1/14≫
キ/GM/11-20/12