/GM/11-20/14
4/4≫

 それは島田三佳(10歳)が、阿達史緒と外出しているときのことだった。
 場所は秋葉原。平日だった為に混んではいない。ここには三佳行き付けの薬品店がある。そこはいわゆる医薬品などを取り扱う薬局ではなく、店に置いてあるほとんどは実験などに使われる試薬だった。三佳はときどきここでアルバイトもしている。年齢を無視させる三佳の知識を店の主人も認めていたし、三佳も実務に触れないと得られない知識を得ようとしていた。
 それはともかく、今日は史緒も一緒にやって来て、店の中を一通り見て回った。史緒はその手の分野の知識は全くなく、単に三佳に付き合っただけだ。
 その、帰路の途中でのことだった。
「あ」
 通り行く人波のなか、先に気付いたのは前から歩いてくる男のほうだった。背広姿の、サラリーマン。何に気付いたかというと、視線から判断してそれは史緒の顔だったと思う。
「あら」
 そして史緒も気付いた。少しだけ驚いた顔をして、次に笑顔で会釈した。
「あ。やっぱり。阿達さん、ですよね?」
 サラリーマンは近付いてきて、落ち着いた声で人当たりの良い表情を向けた。
「ええ。いつもお世話になっております」
「お世話になってるのはこっち、でしょう?」
 おどけた様子でサラリーマンは苦笑する。
 三佳はその男に見覚えが無かったので、史緒の隣で2人の挨拶を聞いていた。間近で男をよく見ると、サラリーマンらしくない印象を受けた。背広姿が着こなせていないようにぎこちないし、喋り方も洗練されてるとは言い難い。年齢は30歳前後。史緒が、お世話に…、と挨拶したということは仕事関係の知人だろうか。
 史緒は首を傾げて言った。
「とりあえず、はじめまして…ということになるのかしら」
「正真正銘、初対面だからね」
「私のことを知っているということは、…調べたんですね?」
「ええ。あなたが僕のことを調べたのと、同じ様にね」
 気の利いた切り替えし方に、史緒は相手に好感を覚えたようだった。害のある人物ではないということは事前に知っていたのかもしれない。
 ふと、三佳は史緒と目が合った。この男は誰? という三佳の視線を感じ取ったようだ。史緒は一瞬目を泳がせて、その後微かに唇の端を持ち上げた。───…何か企んだようだ。
「良さん、…とお呼びしていいですか」
「もちろん。光栄ですよ」
 良、と呼ばれた男のほうもにこやかに笑う。そして男───良は、三佳に目をやった。
「そしてあなたが島田三佳さんですね。はじめまして」
 三佳は少なからずびっくりした。三佳の名前を知っていたこともそうだが、何より、良は三佳を子供扱いしなかった。
 余談だが、三佳が人と関わるときの態度は、相手との第一印象で決まる。例えば、川口蘭は初対面のとき、一人前の大人と接するように三佳に挨拶をした。その結果、三佳は比較的、蘭に対する態度は友好的だ。逆に木崎健太郎のように、少しでも舐めて掛かる態度を取る人間は、以後、三佳の毒舌に嘆くはめになる。
 三佳は史緒に尋ねた。
「妙な会話だな。誰なんだ?」
 はじめましてと言いながら、史緒も良もお互いを知っていた。はじめましてと言うのは、今日初めて会ったからに他ならない。
「この人は、文部科学省直属の研究機関、CISTEP科学研究部門2課の副主任研究官よ」
 と、史緒は良の肩書きを説明した。良に確認する意図もあったかもしれない。
 しかしその説明では三佳は納得できない。けれども少なからずその肩書きに驚いて、追求する機会を逃してしまったのは事実だ。なるほど、背広を着こなせていないのは、研究者だからだ。
「単なる役所の下っ端というだけで、そんな大したもんじゃないですよ。今日も使い走りで、買い物です」
 砕けた口調になって、良が言った。
「科学研究部門…? 専門は?」
「ああ、化学ではないほうですよ。主にコンピュータです」
「だろうな。化学なら関わってくるのは厚生省だ」
 さすがですね、と良は笑った。三佳に対しての予備知識も持っていたということだろう。
 良は史緒に言った。
「あいつ、結構派手にやってるらしいじゃないですか」
「…聞いてるんですか?」
 声を潜めた史緒に、良は頭を左右に振った。
「まさか、自分で調べたんですよ。───心配しているのなら、はっきり言っておきますけど、あいつは仕事について口を漏らすようなことはしません。そういう点においても、しっかり教育してきましたからね」
「そうですか。それを聞いて安心しました」
「僕は自分の仕事を家には持ち込まないし、それはあいつも同じです。…まあ、この繋がりがそちらの組織にバレたら一悶着あるのでしょうけど。政府関係と癒着してるなんて、スキャンダルものでしょう?」
「やっかいなことになるのは確かです。気を付けます」
「阿達さんの心配はしてません。気を付けさせてください、あいつに」
「私の管轄下ですから、同じことです」
 史緒の発言に、良は驚いたように目を開き、次に安心したように笑う。
「あいつって、誰なんだ?」
 会話の隙間に三佳は質問を滑り込ませた。一連の会話の中から、「あいつ」というのが2人の共通する知人だということを察したのだ。
「え? …あ、そうか」
 三佳が事情を知らないことに良は今気付いたようで、すまなそうな顔を見せた。良は事情を話してくれそうだったが、史緒は視線でそれを制した。…黙っていたほうが面白いと思ったのかもしれない。
 良もその思惑に気付いたようで、せっかく出かけた言葉を飲み込んでしまった。
「分からないかな。…結構、似てるって言われるんだけど」
(誰と?)
 その後、史緒と良は二言三言交わして、別れた。
 史緒はしばらく見送っていたが、踵を返し、三佳を促してこちらも歩き始めた。駅の方向だ。
「───…史緒」
 刺々しい声で三佳が言うと、
「そのうち分かるわよ。少し考えてみたら? ヒントは沢山あったと思うけど…。でも似てないわよ。全然」
(だから誰と?)
 考え込んでしまうとやめられない性分で、その日はずっと、三佳は不機嫌だった。


 数日後。
「よぉ、三佳。良に会ったって?」
 忘れかけていた頃。その名を口にしたのは、木崎健太郎だった。三佳は驚いたがそれを表情に出すようなことはしなかった。
 彼については考え尽くしたので、三佳はあっさりと正解を求めた。
「何者なんだ。あの男」
「オレの兄貴だよ」
 同じくあっさりと、健太郎は言う。三佳は目を見開いた。一瞬、呼吸が止まったんじゃないかというくらい驚いた。
「は?」
 言葉の意味は理解できていた。でも聞き返してしまったのはその事実が信じ難かったからだ。
「木崎良。そう言わなかった?」
 振り向きざまに健太郎は言う。
「───…っ」
 ひくっ、と三佳の表情が歪んだ。
「全然似てないじゃないか」
 誰に向ければ良いのか分からない憤りを、三佳はその台詞に全て託し、吐き出した。
「と、伝えておけ」

end

4/4≫
/GM/11-20/14