キ/GM/11-20/15
≪1/8≫
1999年1月8日。午前2時32分。
阿達史緒(17歳)は暗闇の中で目を覚ました。
3秒程の放心状態があった後、史緒は、まず、現在の居場所が自分の部屋だということを確認した。暗くて何も見えない中でも、空気の匂いでそれが分かった。
次に空間の明暗。例えこの季節でも、この暗さは朝ではないはずだ。何故、自分は目が覚めたのだろう? 深く考えなくても、理由はすぐに分かった。
(電話…?)
枕元に置いてあるはずなのに、それは遠くで鳴っているように聞こえる。単調に、しかし頭にくるほどのしつこさは誰もが知っている、音。
意識がはっきりしてきた頃合いで、史緒が最初に手を伸ばしたのは、電話ではなく時計だった。サイドテーブルに置いてある置き時計を空振り無しで右手で掴み取り、顔に近づける。暗くてよく見えない。とりあえず時計は枕の上に置いて、今度はもう少し手を伸ばして、電気スタンドのスイッチを押した。
照明の明るさに目が眩む。少ししてからそっと目を開き、時計の針を読んだ。
それは「朝」と呼ぶにはほど遠い時間だった。
確か、床に入ったのは1時半だったような気がする…。
「……」
その表情が少しだけ歪んだ。
深夜の電話。もしかしたらあまり良くない知らせの場合もある。そう思い返したけれど、やはり8割は、電話の相手に対する怒りが内心を占めていた。
一度深呼吸をして、史緒は受話器を上げた。
「もしもし」
寝起きだと悟られないように声を出すのは、結構得意だ。最も、この時間に電話をかけてきておいて、寝起きだと思わない輩はいないだろうけど。
史緒は髪をかきあげた。誰にも見られる心配はないので、史緒は遠慮無く、不機嫌そうな表情を素直に出した。
「!」
受話器の向こう側から名乗られた名前に、史緒は眉をしかめた。
想像していた中の誰でもない人物。その意外さで、史緒は眠気が剥がれるのを感じた。同時に、この電話が最悪の知らせでないことも悟った。
「ええ、阿達です、こんばんわ。一体どうしたんですか、こんな遅くに」
少々の皮肉を込めて言う。
電話の相手は何を焦っているのか、うまく要点の掴めない喋りかたで史緒に何か伝えようとする。
何があったんですか? と、こちらから促してやろうとも思ったが、とりあえず最後まで聞くことにした。史緒は明りひとつの部屋の中で、ベッドに座り、喧しく騒ぎ立てている受話器に耳を傾ける。
そして。
ようやく話の内容が形のあるものになってきたころ。
「何ですって!?」
史緒は勢いよく立ち上がり、眉をつり上げた。
思わず叫んでしまった声は思いのほか響いて、となりの部屋にいる同居人をも、眠りから覚まさせてしまっていた。
「…ええ。承知してます、2時間以内にはそちらに」
史緒は乱暴に受話器を置いて、すぐに立ち上がった。出かける準備をしなければならない。
こんな夜中に呼び出されるのは初めてのことだった。
午前3時4分。
「出かけるのか?」
史緒が自室を出ると同時に、隣の部屋のドアが開きパジャマ姿の島田三佳(10歳)が顔を覗かせた。
その声はしっかりとしていて、寝ぼけているのではなく、どうやら完璧に起こしてしまったらしい。電話を切ってからは物音を立てないよう注意していたのだが、無意味だったようだ。史緒は申し訳なさそうに謝った。
「ごめん。起こしちゃった?」
「何があった」
暗い廊下に必要以上に声が響くので、2人は自然と声が小さくなる。
「帰ってから話すわ、緊急なの。…あ、心配いらないから。連絡取りたい場合は、組合本部にいると思うから電話して」
「ああ」
「戸締まりはしっかりしていくけど、不安だったら篤志を呼んでね。…司の部屋へ行くのはだめ、近所とはいえ深夜なんだから」
とは言っても、三佳は絶対、篤志は呼ばないだろうし、深夜に司を起こすようなマネはしないだろうけど。
「じゃあ、行ってくる。まだ遅いし、三佳はまだ寝てて。風邪ひかないでね」
「そんなにヤワじゃない」
「どうかしら。医者の不養生とも言うし」
三佳との軽口も早めに切り上げて、史緒は踵を返した。
2階まで降りると、非常灯だけが暗闇の中で光っていた。史緒は躊躇なく進み、事務所の前を通り過ぎる。また階段を降り、1階へ。
史緒が外へ出ると、呼び出しておいたタクシーが既に待っていた。
切れるような寒さに一度だけ震えて、史緒はタクシーに乗り込んだ。
「新宿まで、急ぎでお願いします」
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