キ/GM/11-20/15
≪2/8≫
午前3時25分。
灯りが消えることが無い街。
それは駅東口の繁華街だけでなく、西口のビジネス街も同様である。
高層ビルが立ち並ぶ景色は光を失うことは無い。桝目状に並ぶ窓には、毎晩、点々とあかりが灯っている。大抵、その中では一人二人がデスクに座り黙々とパソコンに向かっているものだが、今夜、それらの一つでは、数十人の人影が見えるフロアがあった。
TIA(Tokyo Infomation Association)本部───。
「被害状況を報告しろっ!」
「何が起こってるんだっ」
深夜であるにも関わらず、今、ここにいる人間たちはいつも以上に活動的だった。年を考えずに走っている者もいる。ほとんどは周囲の人間といくつかの言葉を交わし、不安気な表情で挙動不審だ。青い顔になってなにやら叫んでいる中年の男は、いつもきっちりスーツを着ているのに、今日はボタンもかけないでしかもそれさえも気にして入られない様子だった。この光景を見て、何かトラブルがあったのだと思わない人間のほうがおかしい。
本日1月8日の午前0時15分。本部で残業中だったネットワーク管理者が、コンピュータの作業記録に異変があることに気が付いた。そしてそれを入念に調べていくと、不正アクセスの事実が明らかになったのだ。本部のコンピュータに、外部からの侵入が行われていた。
事態を重く見た管理者は午前1時、本部役員に連絡、本部役員は他の代表たちを叩き起こした。データベースの重要性をよく理解している代表たちは全員ここへ集結していた。
信用が第一のこの組織で、ハッカーに侵入されました、なんて冗談にもならない。
本部のコンピュータにアクセスする正規の方法は一つしかない。
登録されているIDとパスワードさえあれば、いつでもアクセスできる。IDとパスワードを登録する手順は、組合員が組合に加入していることを照明するパスカードと必要書類を提示するだけで良い。ネットワーク管理者よりは制限がつくが、多数のデータを引き出すことができる。
しかしネットワークの危険性はここにある。
IDとパスワードさえあれば、例え、本人でなくともアクセスすることが可能なのだ。実はネットワークから外部の人間にコンピュータに侵入される犯罪では、パスワードを盗用される例が一番多い。パスワードさえ手に入れば、正規にアクセスしているのと同じことで、安全かつ比較的簡単だからである。
ネットワークはその危険と常に表裏一体だということを忘れてはいけない。故に、パスワードの機密性を各々が自覚し、理解している必要がある。
TIAでは、各自のパスワードを週一回変更することを義務づけられていた。使用規約はそれなりに厳しいし、事前教育も徹底している。それらは全て、このようなことを起こさない為であったのに。
この様だ。
けれど、今回の場合はパスワードが盗用されたわけではないことは分かっている。犯行時間に、どのIDからのログインも無かったことが記録されているからだ。もっとハードに近い、システムから入られたことを意味する。
37代表が集まっているといっても、こう騒然としていては、一体何が起こったのか把握していない者もいるだろう。説明する者もいない───説明できる者がいない。いたずらにほんの少しの情報が口頭で伝わり、それは広がるにつれ真実性を薄れさせていく。本部役員に至っては責任問題に発展するだろうし、元々コンピュータの知識を持たない年配層は管理者を責めるしかない。
上層部は管理者を問い詰めているし、他の者は上へ下への大騒ぎである。こんな状態は組合結成から初めてのことだし、このような事件も、初めてのことだった。
忙しく動く人々の中、壁の隅に立つ4人の男女の姿があった。
「いい大人がみっともないなぁ」
深夜に騒然としている部屋を見回し、そう言ったのは御園真琴(20歳)だった。彼にしては少しキツい台詞ではあるが、彼もまた夜中にたたき起こされたクチなのだ。不機嫌になるのもわからなくはない。
彼の隣に淑やかに佇んでいる女性がいる。年端は20代後半くらい、ショートヘアに黒いスーツ姿は幼くは決して見せなかったし、目鼻立ちが整った顔は石膏のように白く、そして軽く目を伏せて微動だにしなかった。立ち振る舞いも優雅で、彼女は完璧と評されていた。
史緒と的場文隆(21歳)は彼女の年齢も本名も知らない。ただ、彼女の雇用主である真琴には「まりえ」と呼ばれていた。まりえは御園調査事務所の情報処理技術者だった。
史緒はまりえに尋ねた。
「そういえば、まりえさんのところは大丈夫だったの? 本部のLANに繋がってたわよね」
「定時過ぎは回線を切っています。被害はありません」
「おさすが」
文隆は肩を竦めて賞賛した。まりえは微かに笑ってから顔を上げた。
「本来、ネットワークにつながっているマシンに重要な情報を入れておくのはご法度ですよ。盗んでくれと言っているようなものです。本部の危機感の欠落は問題ありますよ。いつかこんなことになると思ってました」
しかし、まりえのこの台詞の前半は理想論である。
組織柄、本部のデータベースを複数のグループが参照するシステムである。外部のグループがアクセスする為には、データベースはネットワークに置かれていなければならないからだ。それが必須というならば、問題は皺寄せされて、それはセキュリティに重きが置かれる。
しかしTIAの場合、それは心配無いはずだった。
「何とか言ったらどうだ、桟宮っ!」
部屋の中心にできている人垣の中から、ひときわ大きな声が響いた。
その人垣の中心にいる人物は分かっている。
桟宮肇(さんぐうはじめ)、36歳。TIA本部のネットワークセキュリティ総括者だ。
桟宮は電算室から運び込んだパソコンを前にして、何やら考え込んでいた。ペンの先を噛り、膝と腕を組んで椅子にもたれている。あの様子だと周囲の怒鳴り声など耳に入っていないかもしれない。
今、彼が責められているのは当然の成り行きだ。セキュリティはコンピュータを守るのが仕事で、今回の事件ではそのコンピュータに泥棒が入ったのだから。彼の管理能力が問われることになる。
しかし桟宮肇は、元・某大手企業のプログラム開発研究課長という経歴の持ち主で、その団体気質が肌に合わず自主退職するまで一線で働いていた技術者だ。勿論、今でもその知識と腕前は誰もが認めているし、まりえも大人しくその力を認めた人物である。このような事が起こるとは夢にも思わなかった。
まりえは真琴に言った。
「御園所長、桟宮さんと話をさせていただけませんか」
「いいよ」
あっさりと真琴が頷く。
すると、真琴は一歩前に出て、軽く息を吸った。
「いい加減にしていただけませんか!」
凛と通る声が響いた。真琴の声に室内の騒動が一気に収束した。
「セキュリティを問題視するより先に議論すべきことがあるでしょう。現状の把握、そして解析、善後策とその実行。折角、深夜にも関わらず全員揃っているのだから、会議を行うのが最善と思われますが」
20の若者にそんな風に仕切られては面目立たない者もいるだろう。所々に苦々しい表情を隠さない人間も見られたが、大概の人たちは真琴の台詞に頷いていた。
史緒と文隆は目を見合わせてやれやれという表情をする。
3人の中で、一番、何をやらかすか分からない突飛さを持っているのは真琴だ。外側に見せる表情をくるくると変えるので、その本質は未だ分かっていない。
「では、37代表は10分後に会議室へ集合。他の者はここで待機だ」
本部役員がそう言うと、室内の緊張は取れ、空気が動き出した。室内にいたほとんどは隣の会議室へと移動することになる。
「じゃあ、まりえ。僕らはあっちに行くから」
「はい、ありがとうございます」
何事も無かったかのように言葉を交わす真琴とまりえ、所長と所員という以外の2人の関係を、史緒たちは知らない。
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