キ/GM/11-20/15
≪3/8≫
代表たちが会議室へと移動すると、残されたのはわずか数名だった。その中にはまりえと桟宮もいる。
役員たちに取り囲まれていた時と変わらず、まだ思案中の桟宮に、まりえは近寄った。
「桟宮さん」
呼びかけを耳にすると、桟宮はぷすーと息を吐いた。
「…まりえさんか」
姿勢を変えずに、桟宮は呟いた。
「やられたよ。まさか俺のシステムに入れる奴がいるとは思わなかったなぁ」
桟宮は肩を竦めて笑ってみせた。口惜しがっている心境も読み取れるが、深刻そうでもなく、面白がっているようだった。
「珍しいですね。あなたが素直に他人を誉めるなんて」
「だって、俺が構築したシステムだよ? まりえさんも構築仕様は知ってるだろう? 言語リストは勿体無くて見せてないけど」
「ええ。私の知る限りでも指折りのセキュリティでした。…いつかアタックしてやろうと思っておりましたのに、先を越されてしまいました」
本当に残念そうに言ったら問題発言だっただろうが、まりえはいつも通り表情を崩さなかった。…でも、本心かもしれない。桟宮は冷や汗をかく。
「…そうわけで、俺の自信作を下見も無しに1日で崩しやがったから、誉めてやって然るべきなわけだ」
「あなたらしいです」
今度はまりえも素直に認めた。
利害は関係無く、いち技術者として見た場合、これはもう拍手ものだ。
桟宮はお手上げのゼスチャをして、降参を表したポーズでしばらく手を振っていた。
「ピンポイントで狙われたのかしら?」
「いや、適当にサーチしていたみたいだ。…最初から狙われていたわけではなく、偶然標的にされたんだろう。…こんな組織とは知らずにな」
「パスワードが盗用されたわけでもないのですね」
「ああ。…そうだよなー。昔は旧ソ連あたりから、BFA(パスワード総当たり攻撃)されたことは何回もあったけど、今時、それじゃ通用しないし」
「IPAには連絡しましたの?」
IPAとは、情報処理振興事業協会のことで、ネットワーク上で起こった犯罪を記録し、対策案を考え、公表している財団法人である。通常、ネットワークでの異変があった場合はここに連絡される。
「俺はどっちでもいいんだけどな。…すると思うか? ここの連中が。お偉方は組合の面子も大事だが、自分たちのプライドはもっと大事なのさ」
その台詞には、まりえは全くの同意を示した。
まりえは身を乗り出して、桟宮の前に置かれているパソコンのディスプレイを覗き込んだ。桟宮は椅子を滑らし、場を譲る。
ディスプレイにはいくつかのリストが表示されていて、まりえはマウスを操作しそれらを流した。数字とアルファベットの羅列はデータベースの操作記録を表している。まりえは数十秒目で追っただけで、もういいとばかりに目を逸らし、嘆息した。それだけで、状況を察したようだった。
「ログは?」
「飛ぶ鳥跡を濁さず」
「…あら、でも、ここ」
「そ。ファイルの削除された記録は残ってんの。そのファイルが何なのかは、不明」
「つまり、傷つけられたということですね」
データベースに穴が空けられた、ということになる。これは問題だ。
「どうするおつもり」
まりえが尋ねると、桟宮は吹き出し、大笑いし始めた。
珍しくそれはすぐに収まって、桟宮はまりえに向き直って本当に楽しそうに言った。
「俺は単なるセキュリティだから、それを破られたら責任を取らされるだけだ。…犯人を追うのは別の人間で、本部役員が勝手に決めるだろう。もしかしたらまりえさん、あんたにお鉢が回るやもしれんぜ?」
ネットワークの世界には2種類の人間がいる。「守る者」と「攻める者」だ。桟宮は前者であり、まりえは後者、そして今回の事件を起こした犯人も、当然、後者ということになる。
他人任せのように聞こえる桟宮の台詞に、まりえは皮肉を込めて言った。
「意外と、薄っぺらいプライドなのですね」
「プライド高いに決まってんだろ!?」
怒鳴られた。
「犯人がシベリアに住んでても俺の前に連れて来てもらいたいくらいだぜっ」
吐き捨てるように言う。
「…暗に、私に犯人を捕まえろと、おっしゃりたいのでしょう」
「まだ、言ってないぜ?」
「では、口にしないでいただけます?」
「なぜ?」
「それは本部の役員に言わせましょう。私、常々、あの方達に頭を下げさせてみたいなぁって思っておりましたの。もちろん、報酬もいただきます」
「……」
桟宮が絶句する目の前で、まりえはうっとりするほど綺麗に微笑んだ。
「まりえ、ちょっとおいで。桟宮さんも、お願いします」
「はい」
「ああ」
真琴が呼びにきたので、2人は後を付いて行く。まりえと桟宮は自然に目を合わせた。
きっと、代表たちの間で何らかの対策が練られたということなのだろう。その対策が、適切に的確であることを、まりえは願ってやまない。
真琴、桟宮、まりえの順で会議室へ入ると、37代表の視線が一斉にこちらを向いた。しかし桟宮はそんなことを気にする性格ではないし、まりえもそれくらいで怯む胆ではなかった。
代表たちの中には、史緒と文隆もいる。史緒と目が合うと、まりえは視線だけ会釈をした。そして、真琴も自分の席についた。
まりえと桟宮に、組合役員の一人は言った。
「2人の意見が聞きたい」
この台詞に、まりえは少なからずむっとしたが顔には出さなかった。
本来、まりえはどんな仕事でも御薗真琴の命令しか聞かないのだ。先程の台詞のように、簡単に使われるなんて冗談ではない。
表情には出さなかったはずなのに、遠くに座っている史緒と文隆に苦笑されてしまった。あの2人はまりえの性質を少しばかり理解しているので分かってしまったのだろう。こんなに簡単に心内を読まれてしまったことを反省しなければならない。真琴はこちらを向いてはくれなかった。
「各グループの仕事を止めるわけにはいかないので、8時から21時までは前日までのバックアップをネットワークに置く。それ以外の時間で、侵入されたデータベースはバックアップとの照合を行う」
まりえと桟宮は目を合わせた。桟宮は顎の動きで、まりえに発言権を譲ることを示した。それを受けて、まりえは前に向き直って高い声を響かせた。
「呆れました」
「なんだと?」
「業務時間にバックアップをネットワークに晒しておいて、今度はバックアップに侵入されたらどうなさるのですか? TIAに信頼できるデータが無くなってしまいます」
「では、各グループに専用端末を設け、そのパソコンの個体ナンバーにだけアクセス許可を出すというのはどうだ。セキュリティは強まるだろう」
これはつまりIDとパスワードを無効にし、各社のパソコンのみから権限を発行するということである。通常業務では外部からもアクセスしている為、かなり不便になる。が。
「───それでは、グループのパソコンにアタックされたら、本部のデータベースもやられます」
半ば呆れたようにまりえが答えるので、本部役員は真っ赤になっていた。まりえは知識をひけらかすつもりはないが、無知な人間の考えることはどんな状況でも滑稽なものだ。
ハッカー(クラッカー)がまた来るとは限らない。来ないとも限らない。この判断は非常に難しかった。
真琴が口を出した。
「まりえ。何か案を出してあげてよ」
言うが早いが、真琴の声を聞いて、まりえは即答した。
「一番、退化的な方法を取りましょう。ネットワークは一週間完全に停止させます」
その発言は早すぎて、各々方の思考回路に辿り着くまでにかなり時間が必要だった。早すぎて、というより、真琴の口出しによるまりえの態度の急変に驚いた者がほとんどだろう。
それでも逸早くまりえの言葉を理解した代表のうち一人が言い返した。
「それでは仕事にならない!」
「皆さん、都内に事務所を構えておられるのだから、データベースの情報くらい、直接、取りに来られれば良いでしょう。それくらいの労力は使ってもらいます。…3日でバックアップとの照合を取ります。残り4日で、犯人の推察と、犯人の処分をどうするか決議しましょう」
それが一番、安全かつ効率の良い方法です。と、まりえは付け足して、対策案の発言を終了させた。
「桟宮っ」
役員の一人が、無言で立っている桟宮に意見を求める。桟宮は面倒くさそうに視線を上げ、
「まりえさんに、異論ない」
と、答えた。
組合きっての技術者2人が言うのだから、誰も反論しようがなかった。
───かくして、まりえはかつてからの望み通り、本部役員に頭を下げさせることに成功した。犯人追跡を一任されたのだ。(報酬の交渉は真琴に任せた。ただ、真琴は無報酬でまりえを使わせる程、親切ではない)
期限は3日。のんびりしている暇は無かった。まりえと桟宮はすぐにこれからのスケジュールを組み、会議が解散して2時間後には行動を開始していた。
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