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 1998年1月7日水曜日。
 学校の玄関を出ると日はまだ高く、青い空が眩しかった。
「三高さん、ばいばいっ」
 何気なく声をかけていくクラスメイトはまだいる。
 良心に触るのでさすがに無視はできない。
 こんな時、祥子は軽く頭を下げるだけだ。
 もうわかっているけど、気づくといつも人から避けることに気をつかっている。

 一人でいるのは楽なことだけど、一人でいられるほど強いわけじゃない。
 そんな簡単なことがとても難しい。
 昔、平気で孤立を保って居られたのは、何も知らなかったからだ。
 無知だったから。

 今はそんな無様な無邪気さが、少しだけ、うらやましいと思う。

 年が明けて2月。
 御園真琴は報告書代わりのMOを持ち、直接A.Co.の事務所を訪れた。
 応接用のテーブルを挟んで史緒が向かいに座ると、真琴はそれをテーブルの上に置いた。
「遅れてごめん。とりあえず3千人まで絞ってある」
 口調はいつも通りだが、改まった表情で言った。懇意の2人でも、仕事のことになると関係も変わってくる。緊張した空気が漂う事務所の端で、篤志と司と三佳はその光景を見守っていた。
「ありがとう」
「ひとつ言っておくけど」
 史緒がMOを受け取ると真琴は厳しい口調で口を挟む。
「この中に君が捜している人物がいるとは限らない。それは承知して欲しい」
「…」
「君が言った条件では該当する人間が一万は超すだろう。この仕事を受けるにあたって、ウチとしても絞り込む数を定めなければならなかった。期間や集められるだけの情報、史緒が流し見ることを考慮した人数…それらを考えて3千人と決めて、実際3千人にまで絞った」
 絞ると言っても、その絞るための情報がそもそも少なすぎた。この報告書の確実性は保証しきれるものではない。
「僕としても不本意だけど、君が捜す人物はもしかしたら漏れた中にいるかもしれない、いや、そもそも1万の中にさえリスティングされてなかったかもしれない。───そういう内情を理解して欲しい。それくらい、今回の君の依頼は無謀すぎたんだ」
 真琴はこの依頼が内輪なもので良かったと思っている。こんな失態を、自分らの上にいる組合には絶対に知られたくない。彼の片腕であるまりえだって同じ思いだ。史緒がその一人を捜し出せる可能性は1%を下るだろう、と。
 史緒はそんな真琴の内心を知ってか知らずか、MOをてのひらの中で弄びながら、何を考えているか判らない表情でそれに目を落としていた。
「ありがとう真琴くん。それからごめんなさい。まりえさんにも、そう伝えておいて」
「史緒?」
「真琴くんに責任を押しつけるわけじゃないけど、でもやっぱり私はコレに頼るしかないから。…それに、探しものはあると思って探さないと、見つからないものだしね」
 大丈夫よ、気長にやるつもりなの。史緒はそう付け足した。

 深夜3時。
 ベッドのなかで目が覚めてしまった三佳は、寒いのを我慢して布団から這い出た。
 喉が渇いていた。
 パジャマの上からカーディガンを着こんで、部屋を出る。
 三佳の部屋のドアを背にして、右側が史緒の部屋。左側がダイニングだ。音をたてないようにダイニングへと向かう。いくら史緒でも、この時間は寝ているはずだった。
 スリッパの音が響く夜中。そんな闇に恐怖を覚えるわけもなく、三佳はミネラルウォーターを一杯飲んだ。
 目と頭が冴えてくるのがわかる。また眠るための努力をしなくてはならないが、それは仕方ないだろう。
 ペットボトルを冷蔵庫へ戻し、流しでコップを手早く洗う。手を拭いて、さて戻るか、と部屋へ足を運ぼうとしたとき、ふと、三佳の頭を過ぎったものがあった。
(まさか…)



「やっぱり…」
 階段を降り事務所を覗くと明かりがまだついていた。容赦なくドアを開けると予想通り、阿達史緒がパソコンの前で、机に伏して寝ていた。三佳は苦々しい声を出した。
 部屋の中へ足を踏み入れると、机の上には数十枚のメモ。4桁のナンバーと○×、数行のコメントが書かれている。
 三佳はパソコンのディスプレイをのぞき込むと、女子高生の写真が映し出されていた。パソコンの前で眠る史緒を起こさないようにマウスを操作すると、映し出される顔が次々と変わる。なるほど、本当に3千人の写真が用意されているというわけか。あるところに売れば高く売れそうなものだ。
 史緒は微かな寝息をたてて、自分の腕を枕にして寝ている。何考えてるんだ、と言いたくなってしまう。
 一度すれ違っただけの人間。
 史緒は何故、こんなにも躍起になって探すのだろう。探してどうするのだろう。
 ただあの瞬間の言動に妙な点を見ただけで。
 何故、ここまで拘るのか。
(…わかってる)
 本当は知ってる。司や篤志も気づいているはずだ。
 見ていればわかる。とても単純なこと。
 三佳自身、この場にいられるのは阿達史緒に気に入られたからだ。
 自覚はある。
「───…」
 三佳は次の行動に悩まなかった。
 右手でこぶしをつくり、それを史緒の頭へ振り下ろした。ごつん。
「っ! …なに?」
 史緒は飛び起きて、痛覚が悲鳴をあげる頭を押さえた。
「あれ…三佳?」
「あれじゃないっ。上で着替えて自分の部屋で寝ろっ」

 ─── 関谷篤志と一条和成がある意味安心して史緒を自活させているのは、島田三佳という同居人がいるからこそなのだ。


*  *  *


 御園真琴がA.Co.の事務所を訪れてから10日目のこと。
 今日も史緒はパソコンにかじりつきだ。三佳のしつけの賜か、夜はちゃんと自分の部屋で寝ているようだが、本当、呆れるものがある。
「いい加減、あきらめればいいのに」
 事務所のソファで三佳はそんなことを口走った。史緒はすぐそこにいるが、聞こえてないのは判っている。
「期間は2週間…。あと4日か」
 司はおもしろそうに笑う。実際、4日後に史緒の黒星が見られるのも一興かもしれない。しかし勝手に2週間という期間を設けたのはこちらで、史緒は気長にやると言うのだから彼女はすぐには自分の負けを認めないだろう。
「篤志はどう思う?」
 史緒の業務の片腕を担う篤志は自前のノートパソコンを持ち込んで雑務をこなしていた。事務所のパソコンは史緒が人捜しのために占有しているからだ。
「俺は、今のところはまだノーコメント」
 キーボードから視線を離さずに一言、呟く。カタカタとキー音が絶えない。
 無表情で言ったので、その真意はうかがえなかった。
 いい加減、あきらめればいいのに。三佳のその台詞は篤志にも向けたい。
 ふぅ、と息をつくと三佳は立ち上がった。
「コーヒー淹れてくる。司と篤志は?」
「いる」
「僕も」
「三佳、私も…─── あっ!」
 耳ざとく、そして図々しく声を発した史緒。その語尾で突然、小さな悲鳴をあげた。
 何事かと振り返った3人。史緒はパソコンに見入っていた。ディスプレイの照度が顔を照らしている。その中で史緒の表情が変化する。
 目を見開いて強ばった顔から、口端を擡げ何かを確信した表情。
 三佳が嫌な予感を感じる前に、史緒は言う。
「見つけたわ、この子よ」
 静かに、でも自信を含んだ声。
 何万人のなかの1万人。1万人のなかの3千人。3千人のなかの、ひとり。
 ───捕まえた。史緒はそう確信した。
「…っ」
 そうなると史緒の次の行動は速かった。呆然とする3人をよそに、すぐに目の前の電話に手をかける。
「あ、真琴くん? 史緒です。例の資料の2746番の子の詳細な身元調査、お願いしたいんだけど。───そう、急ぎでね。あ、それから今回の支払いはA.Co.じゃなくて、私個人だから、…ええ、そう」
 素早く次の一手を打つ史緒の姿は本当に楽しそうだった。
 そしてこちらも。いち早く深々とため息をついたのは篤志で、キーを打つ手を止め、顔をあげた。
「三佳、掛け金」
「…わかったよ」
 刺を生やした台詞を、三佳は吐いた。隣で司が笑っていた。

end

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