キ/GM/11-20/17
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1998年2月───。
どういうわけだがさっぱり判らないのだけど。心当たりもないし、はっきり言って迷惑なんだけど。
三高祥子はいつも通りの学校帰り、いつも通りじゃない胸中で気分が沈んでいた。
放課後、祥子はいつも通り校門を出た。歩いて10分の駅から電車に乗り、3つめの駅で乗り換えて、さらに5つめの駅で降りる。母・和子の入院する病院はその駅から歩いて5分。そこで30分ほど見舞って、また駅へ。
そしてまた。
(つけられてる…、私)
それは疑問じゃない。推測でもないし、気のせいでもない。確信。
学校を出たときから、誰かがついてきてる。ずっと。病院を出た後も。
(誰? どうして?)
これは疑問。学校を出た後は、どう対応しようか迷ったこともあり放っておいたが、病院を出た後もまだ付いてきているというのはある意味異常だ。祥子は背筋が寒くなった。
当然だけど、付けられるような覚えは全くない。一番、考えられる可能性は変質者。想像したくもないけど、そういう人間に狙われる対象には絶対なりたくない。あとは、かなりの希望的観測で忘れ物を持ってきてくれたクラスメイトとか(そんな仲のクラスメイトはいないけど)、落とし物を持ってきてくれた親切な人とか。
このまま家に帰るわけにはいかない。
咄嗟にそう思って、祥子は背後を窺った。どこにいるかは判らない、誰かは判らないけれど、いる。それは判る。
もう駅まで歩いてきていた。人通りが多く、何となく安心した。
撒くならここしかない。
祥子は歩く速度を落として、引きつけさせた。追ってくる人間との間を詰めさせた。
広告看板を大きく掲げている柱が目の前にある。祥子はその柱の影に、ひょいと身をひそめた。
「……」
わざとらしかったのは判ってる。でも気づかれないように追ってきているなら、ここで一緒に立ち止まる愚挙はしないだろう。追い越された瞬間に柱の対角へ逃げてやりすごそう、と祥子は思っていた。
そして案の定、祥子を尾行していた気配がすぐ横を追い越していった。本当にすぐ横を通っていったので、祥子はその人物を特定することができた。
「───っ」
祥子はついてきていた人間の後ろ姿を見て驚いた。その後ろ姿は背中まで髪を伸ばした女の子だった。
多分、自分と同じくらいの年代だろう。
その意外さにびっくりした。
そして考えるより先に体が動いていた。祥子はその後ろ姿を、追った。
背中を向けるその人物は、つけていることを気づかれないように、わざと、祥子を追い越した。それは祥子の狙い通り。ただ、その後ろ姿は意外だった。人混みを掻き分けて、祥子はその肩を掴んだ。
「ねぇっ」
長い髪が祥子の手に触れて、その人物は振り返った。笑っていた。何か言われる前に、祥子は言葉を発した。
「何なの? あなた、誰?」
「あ、やっぱり気付いた?」
と、とくに驚いている様子も見せずに、余裕さえ見える態度で言った。さらに続ける。
「でも良かった。これで三高さんが家までたどり着いたら、私は骨折り損だもの」
祥子とほぼ同じ高さの視線で、その瞳が不敵に笑った。
どういうことだろう。学校からついてきていたのは確かにこの子だ。後ろ姿からの見立て通り、祥子と同じくらいの年齢だろう。長い髪が背中まで伸びていて、背筋を伸ばし立っている。
通路のど真ん中で立ち止まる2人にいくつかの非難の視線が向けられたので端に寄った。
「阿達史緒といいます。───三高祥子さん」
「どうして…」
名前を知ってるの? みなまで言わないうちに、阿達史緒は続きを口にする。
「12月に一度会ってるんだけど、憶えてない?」
「は?」
意外な言葉に目を丸くする。
「渋谷の街中で、…たぶん、三高さんは学校帰りだったと思うけど。変な男についていこうとした私を止めてくれて」
渋谷の街中で、と聞いたとき、やっぱり人違いだと思った。そんなところ、あまり行かないもの。───と考えた途端、わかった。思い出した。
(そうか───…あのときの)
確かに渋谷の街中なんてめったに行かないけれど、そのめったなときに、出会ったのだ。
あのときも、さっきみたいに祥子が肩を掴んでいた。
あからさまに怪しい男についていくのを見かねて声をかけたんだった。そして更に思い出す。
そうだ。何か変だった、この子。
「どうしてあなたは知ってるの?」
と豹変した表情。その後、変なのに声かけちゃった、とも思ったんだ。
「…あの、12月に会ったのは覚えてるけど、それでどうして私の名前を知ってるの?」
「調べたの」
「え?」
「おもしろい能力だなーと思って」
祥子は声を失った。頭からつま先まで、一瞬で血の気が引いたのを感じた。その際、背筋もなめて、体が冷たくなるのが判った。
史緒は微かな笑みをこちらに向けていた。
「…何のこと?」
さりげなく言いたかったけど、声がうわずってしまった。
「腹の探り合いはやめましょう。時間の無駄だわ」
と真顔で言う。
祥子はどうにか取り乱さないで対面しているが、内心はとんでもない状態になっていた。鼓動があがり、背中は汗をかいていた。(目をつけられた)という、あのときの直感は正しかった。今だって、さっさと逃げればよかったんだ。でもその時機を、完璧に逃してしまった。
「何のことかわかんないって言ってるでしょう? 変なこと言わないで」
震える声でもどうにか強気な態度を取ることができた。
すると史緒は小さく声をたてて笑った。
「確かに、私の言い分をここで証明するのは難しいわね。実際私も、ついさっきまでは半信半疑だったもの」
祥子は理解した。史緒は今日、祥子の能力を確かめに来たんだと。でも今日の、祥子が尾行に気づき、史緒を捕まえたことだけでは、確信するだけの材料としては成り立たないのではないか。
大体そうだ、史緒がこのちからを正しく理解しているとは限らない。自分から下手に吐いてしまう必要はない。とぼければいいのだ。
そう、祥子は判断して、
「何かの勘違いなら帰るわ、急ぐから」
もう何もかも無視して帰ってしまおうと思った。阿達史緒に踵を返す。
あいかわらずの人混みに紛れてしまおうと思った。バッグを抱えるように持ち、その場から立ち去ろうとした。
「───ねぇ、三高さん」
そんな呼びかけも無視すると決めていた。
決めていた。それなのに。
そのときの自分を呼ぶ声があまりにも凛として、ストレートに響いたので、思わず祥子は足を止めてしまった。
立ち止まり、振り返ってしまった。
…どうしてだろう。
この子とは初めて会ったときから後悔ばかりだ。
自分が予測できない行動ばかり、私はしている。
そこで、史緒は笑ってなかった。真摯な表情。真っ直ぐに、祥子を見つめていた。
「三高さん」
大きくない声で。
「うちに来ない?」
と、阿達史緒は言った。
「…は?」
と、祥子は聞き返した。
史緒の言葉はちゃんと聞き取れていた。ただ、その内容を理解することができなかった。
うちに来ない? と。
これは単純に家に招待されたということなのだろうか。だったら丁重にお断りしたい。この目の前の人物に危険はないと判っていても、それが祥子にとって良いこととは限らないからだ。
それともまったく別の意図が。
「はい、これ」
と、名刺を渡された。思わず受け取ってしまう。
A.CO.所長 阿達史緒
「…なに、これ」
そこで史緒はいつもの対外用の笑顔を見せる。
「A.CO.っていうのは、一応事務所の名前。私が所長なの」
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