キ/GM/11-20/17
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「…冗談でしょ?」
「本当よ。便利屋というか…興信所みたいなことをしてるわ。人捜し物探し、個人企業間の仲介や各種調査。ちゃんと行政手続きもしたし、登記簿だってある。信じられないなら見せるけど」
(…本当なんだ)
そんな、史緒の絶対の自信を持つ表情なんか見なくても、祥子には判る。…ああ、やだ。
更なる説明をしなくても伝えられたと、阿達史緒は確信している。
それくらい、私のちからを理解している。
手が汗ばんでいることに気付いた。
目の前の得体の知れない存在に緊張しているのが判った。
「───あなた、何歳なの?」
「16歳。三高さんよりひとつ下ね」
と、質問の意味をまったく気にしていない様子で答える。
阿達史緒が自分より年下ということにも驚いたけど(年上だと思ってた)、その年下の彼女が「所長」という肩書きを持つことにはもっと驚いた。
さらに。
うちに来ない?
さきほどのこの発言は、その事務所へ所属することを勧誘されていることに他ならない。
便利屋、興信所。…何をしているのかわからない胡散臭さは拭い切れないものがある。それに。
「どうして、私を?」
答えは分かってるはずなのに、あえて尋ねてしまった。分かっていたはずなのに、戸惑いながら。
それをストレートに答えるほど、彼女は無神経な人間ではないと期待したかった。嫌悪感と思われるこの胸騒ぎを拭い取りたかった。
期待───?
(やだ…、なに考えてるの、私)
祥子は頭の奥深くで、微かに、本当に小さな期待を抱いていること、気付いてしまった。
一度気付いたら耳の奥が熱くなって、頭ぜんぶが熱くなって、自分の愚かさに恥ずかしくなった。
なんて愚かなんだろう。何度失敗してきた? それなのに。
この、切り捨てることもできない能力以外のことで、自分を必要としてくれるんじゃないかなんて。
そんな風に、思ってしまうなんて。
そんなことを、自分は望んでいるなんて。
恥ずかしくて、悲しくなった。
阿達史緒は首を傾げて笑った。───何をいまさら、とでも言うかのように。
「三高さんのそのちから、役に立つと思ったから」
「…っ!」
カッとなった。想像通りの答えであったにもかかわらず、一瞬で頭に血がのぼった。
阿達史緒の無神経な台詞に怒りさえ覚えていた。
怒りというようなこの激しい感情を、他人に向けるのは初めてかもしれなかった。
「…ばっ」
自分のなかで何か変化したような気がした。それが何かを、今はまだ整理できないけど。
「馬鹿みたいっ。それで私にどんなメリットがあるっていうの!」
今日会ったばかりの目の前の他人に、その感情をぶつけてもいいんだと思った。だからこのとき、祥子は言葉を飲み込まなかった。飲み込まなくてもいいんだと思った。
「無神経っ馬鹿っ」
もう何が何だか判らないまま叫んでいた。息が上がっていた。
耳の奥が今度は冷えていた。目に涙が滲んでいた。
それが感情の昂ぶりのせいだと、祥子は気付かなかった。
* * *
A.CO.では大抵、尾行は2人で行う。
理由はいくつかあるが、一番は無理なく確実にターゲットを追えること。
常に張り付かなくても済むことでターゲットに勘付かれる確率が減る。下手に無理に追わなくてももう一人に任せられることなどがあげられる。
───だからこのとき、阿達史緒は単独ではなかった。
「おい史緒」
三高祥子が走り去った現場に立ち尽くす史緒の背中に、関谷篤志は声をかけた。
「あいつ俺のことも睨んで行ったぞ」
篤志はついさっき、史緒のもとから去る祥子とすれ違った。その際、祥子ははっと顔をあげて、急に表情を曇らせ、篤志を睨んで行ったのだ。あれは一体なんだったのだろう。
まさか、史緒の連れだと気付かれたわけではないだろうけど。
「…おい?」
篤志の呼びかけに史緒は振りかえらない。タイル張りの壁に左手をかけて動かなかった。変に思って、篤志は史緒の正面に回り込む。名前を呼ぼうとしたところ。
「…っ」
突然、史緒は声をつまらせて上体を屈めた。口元を手で押さえてうつむく。そして。
「あはははっ」
笑った。声をたてて。
「!」
篤志は心臓がひっくりかえるほどびっくりした。史緒がこんな風に笑うところを見たのは初めてかもしれない。
史緒は篤志の袖をつかんで、まだ笑いが収まらないのか肩を震わせている。篤志はその体重を支えた。
「やだ…、おもしろい、あの子」
その後、なにか弾けたかのように史緒はもう一度声をあげて笑った。
「…」
篤志は視線を泳がせ、軽く息をついた。
「確かに、今までおまえの周囲にいなかったタイプではあるな」
でしょぉ? 史緒はまだ笑っている。
冷静にそんなことを言ってみせたものの、篤志は自分の鼓動が早うちしていることに気付いていた。
三高祥子。自分が何をしたのか気付いているか? 本気にさせた。もう一度会いたいと言わせた。対面したことのない感性に触れて、おもしろいと言わせた。
だからなに? と言われてもおかしくないけれど、わからないかもしれないけど、でもこれは驚くべき事なんだ。この人物にとっては。
そして史緒、おまえも解っているのか? 三高祥子が自分にどんな影響を及ぼす存在か。気付いてないのか、それとも自分自身、変化することを望んでいるのか。
「篤志」
史緒はもう笑っていなかった。真顔で、真剣な声を発した。
「なに?」
「事後承諾でごめんなさい。私、あの子欲しい。どう思う?」
今更…、と吐き捨てたくなったがやめた。
一応は相談される立場であることを自惚れておくことにする。
「作戦でも考えろよ」
とだけ答えた。追求も反対も、無駄で意味のないことだ。
すると史緒は篤志の腕から離れて、すぐに踵を返す。
「篤志、先帰ってて」
「どこ行くんだ?」
「病院」
「───何しに?」
どこか悪いのかと、篤志は心配した。すでに歩き始めていた史緒は振り返り、誤解の無いよう行動の意図を明らかにする。
「根回しよ」
短くそう言うと、本当に楽しそうに、史緒は笑った。
* * *
「───うん、わかった。こっちもとくに仕事の連絡はないよ、…うん、じゃあ」
A.CO.の事務所。七瀬司と島田三佳は今日は留守番を言いつけられていた。
史緒の机の上の電話が鳴り、司が受話器を取るとそれは関谷篤志からの連絡で、今日の用事は一段落したことを告げた。それから史緒が史緒らしくなく、仕事を放ってどこかへ出かけ、今日は遅くなるらしいことも。
そして最後に、史緒が例の女子高生・三高祥子をA.CO.に入れようと画策していることも。
「まぁ、こうなることは予測できてたかな」
そのことについて司は驚かなかった。受話器を置きながら、そんな風に呟く。
史緒が素早く行動に出たということは三高祥子のちからを確信できたからだろう。───もし、祥子がそんなちからを持っていなかったとしたら、一度 目をつけた彼女にどんな理由をこじつけて、史緒は勧誘を試みただろう。それとも、用無しだとあっさり切り捨てただろうか。
それを考えるのは興味深いものがある。が、今となってはあまり意味がない。
三高祥子は特別な能力を持っていて、史緒はそれを利用しようと、A.CO.に勧誘している。それが事実であり結果であり現実である。
史緒のワンマンも今に始まったことじゃない。あとは成り行きを見守るだけだ。
「私はまだ半信半疑だけどな」
と、三佳が言う。
「そんなちからが存在すると思い込んでいる史緒がそう判断したなら、それは納得する材料にはならない。…第一、もし本当にそんな能力が三高祥子にあるなら、それこそ史緒が嫌がりそうな能力じゃないか」
と、かなり説得力のある三佳の発言を聞いて司は苦笑した。
「三佳は科学者肌だから、見たものしか信じないのはわかるよ」
「証明したものしか信じないんだ」
「はは、それは失礼」
まぁ、でも、と司は真顔になって、
「史緒が構わないって言うくらいなら、三高祥子の能力は僕らには無害なんじゃないかな」
と、言った。すごい発言だが、三佳は別段動じる様子もない。
「史緒を基準に測られてもな」
「ワーストケースを想定する基準にはなるだろ?」
「…それはそうか」
ふむ、と結局は三佳も納得する。
三高祥子の能力は…本当にそんなちからがあるのだとしたら、敬遠したいものだということは容易く想像できる。あまり近付きたくないのは当然といえる。
しかし、史緒がそれを踏まえても利用価値があると三高祥子を評価しているのなら、一目見てみるのも、一興。
それでも有害だと思ったときにどんな手段で追い出すか、それはその時に考えるとしよう。
* * *
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