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(なにあの子、なにあの子、なにあの子〜)
 三高祥子は電車の手摺りに掴まって、先ほどの、阿達史緒のことを考えていた。怒りにも似た感情が自分のなかで暴れていた。
 うちに来ない? と。
 それが初対面の人間に言う言葉? わかったような顔して、生意気に。
 稚拙な文句しか出てこないが、史緒の印象が最悪だということははっきりしてる。
 帰り際に見かけた背の高い男、あれもきっと便利屋とやらの仲間なのだろう。そして阿達史緒は、祥子も仲間に入れようとしている。しかもそれがいたずらや冷やかしではなく、本気なのだ。
「…」
 そうか、と祥子はふと思い出した。
(そういえば初対面じゃないんだ…)
 12月の街中でのことを、今ははっきりと思い出せる。
 目をつけられた、と感じたことを憶えている。
 名前も何も知らないはずの祥子のことを、史緒はどうやって突きとめたのだろう。その執念深さというかしつこさというか、それを思うと背筋が寒くなった。1ミリも引くつもりが無い敵を前にしたとき、逃げることもできないと思ってしまったとき、こちらはどう対処すればいいというのか。
 さっきだって、「また、来るわ」と言っていた。
(冗談じゃない…)
 妙な人間とは関わり合いたくない。
 電車の窓の外には夜景が、進行方向とは逆に流れてゆく。祥子は遠くのビル群を眺めた。そしてこんな風に思う。この風景のどこかに、阿達史緒と、彼女と一緒に働く仲間がいるのだ、と。
 例え、祥子が史緒と出会わなかったとしてもそれは変わらない事実なのだが、その存在を意識した途端にそんな風に考えてしまう。出会いというのは不思議なものだ。
(は…っ、ちょっと待って)
 と、さらに祥子は思い立った。
(よく考えれば、12月、最初に声かけたのって私のほうだ)
 それに気づくと、どどーんと気持ちが重くなった。手摺りに体重をかけてうなだれてしまう。
 もしかしてこれは自業自得というやつだろうか。
 あのとき祥子はまったくの善意で声をかけた。それがこんな結果を招くことになるなんて。
 はあぁぁ、と大きな溜め息をつく。
《三高さんのそのちから、役に立つと思ったから》
 ぬけぬけと言ってくれる。はっきり言ってあの言われ方には猛烈に腹が立った。
 どうして利用されてあげなきゃいけない? あの生意気で無神経で態度でかい、年下の子に。
 あの年で「所長」という肩書きを持つなんて、一体何者なんだろう。背の高い男は史緒よりは年上に見えたけどそれだってそこそこ20代前半だ。他の仲間たちは? 便利屋なんて胡散臭いこと、目的は何なんだろう?
「!」
 そこまで考えて祥子は乱暴に首を左右に振った。
(やめてよ、興味なんか持ちたくない)
 突然の祥子の首振りに、電車の周囲の乗客は不振げな視線を向けた。祥子はそれに気づき、気まずそうに首を縮込ませる。少し恥ずかしい。
 …どんなことやってる事務所なんだろう。
「───…っ!」
 はっ、と祥子は目を見開いた。すとん、と、頭のなかに降り立った発見。
《三高さんのそのちから、役に立つと思ったから》
 役に立つ? このちからが。
 ───それは、いつも願っていたことではなかったか。
 祥子は息を飲んだ。急に目の前が開けたような錯覚があった。
「…」
 使いみちを探していた。何かのためにあるのだと思いたかった。
 役立たずなんかじゃない? この能力も、…私も。
 何かできるのだろうか。阿達史緒はそれを見込んでいるのだろうか。
 役立てられることを望みながらも、今までこのちからを隠すことばかり考えていた。そしてその矛盾に気づきながらもそこから抜け出せずに、ずっと立ち止まっていた。
 ポケットから阿達史緒の名刺を取り出す。
(…)
 便利屋というか興信所みたいなこと…って言ってた。
 いろいろと思考を巡らせながらも、祥子はある結論たどり着いた。
「───でも」
 くしゃ、と名刺が手のひらの中でゆがむ。
 自分に言い聞かせるように、強く思う。
(史緒の、人を見下したような態度は我慢できないわ)
 ふん、と息をついて、手のひらの中の名刺はまたもポケットに放り込まれた。


 そこまで思考が働いていながらも祥子は気づいていなかった。
 阿達史緒が祥子のちからを受け止めていたことに。

 同日、夜。
 史緒はいつも通り、やりかけの仕事のデータを自室のパソコンに移植し残務作業を行っていた。
 史緒の部屋は事務所の上、4階の一番奥にある。ひとつ手前は三佳の部屋で、まだ起きている気配がする。一緒に住んでいると言っても、始終顔を合わせているわけではないのでお互いがお互いの部屋にこもっているのはあまり珍しいことじゃない。
(隣りにいるということは、実験をやっているわけじゃないのか)
 と、それくらいには気にかけながら。
 三佳と暮らし始めて3ヶ月経ったころ、史緒は三佳に、自室への実験器具の持ち込みを禁止した。何故かというとどこから入手してくるのか、三佳はビーカーや試験管、試験紙やガスバーナーまで持ち込んできたからだ。峰倉薬業でアルバイトするようになってからは褐色瓶の薬品がごろごろするようになって、さすがに史緒は一言口出しした。三佳の知識を信用しているが隣の部屋でこんなものを扱われては気が気ではない。
 そういうわけで、今は5階の空き部屋を実験室として使用している。
 蛇足であるが、三佳が薬研を購入してきたことがあった。史緒は「そんなものまで使うの?」とびっくりしたが、これはインテリアだという。(薬研とは、漢方医学で製薬に用いる金属製の器具で、細長い舟形で、中にV字形のくぼみがあり、これに薬種をいれて、軸のついた円板系の車で押し砕くもの)
 その三佳は、この家の家事全般を担っているが、史緒の部屋だけは立ち入り禁止だった。そのことについて三佳は「ま、プライベートだし」と、あまり気にしていない。
 そしてその部屋の主である史緒は今日、自室のパソコンの前に座りながらも、あまり仕事がはかどっていないことを自覚していた。
 部屋のなかには壁一面を埋める本棚とパソコン机、ベッドとクローゼット。装飾品の類は一切無く、カレンダーも書き込みなし、コンポもなければテレビもない。十代女性の部屋とは思えない内容であることは間違いないだろう。
「…ええ、見つけたの。例の子。今日、会って来たわ」
 ベッドの傍らのキャビネットに置かれている電話から線をひっぱって、史緒は今、電話中だった。パソコンの前に座りながら作業が捗っていないのはそのためだ。
『で? どうだった?』
「なにが?」
『期待はずれとか思わなかった? 本音言うと、史緒の直感がコケるところ、一度は見てみたーいって思ってたから』
「残念でした。期待以上だったわ」
『あそ。でも、真琴は苦労した甲斐があったよねぇ。今回、無茶言ったらしいじゃん』
「どうしてあなたがそれ、知ってるのよ」
『この間の会合でそんな事こぼしてたよん』
「それは嘘」
『なんでさ』
 史緒はクスリと笑った。そんな風に見破られること、当人も判っているくせに。
「真琴くんと文隆さん、あなたのこと嫌いだもの」
 そう。それを口にするほどに。
 大方、真琴が文隆に話しているのを耳にしたというくらいだろう。真琴が直接話したということは絶対にない。
『そーだよねー。文隆は近づこうともしないしぃ。別にいいけど、嫌いじゃないから、そういうの。ねね、それよりどんな子なの? 苦労して見つけたっていう、その女子高生は』
「興味あるの?」
『もちろん、真琴と文隆と、史緒のお仲間と同じように同じくらいには』
「なにそれ」
 含みを持った電話の向こうの声に史緒は不可解さをあらわにした。それにだいたい、電話の相手はA.Co.のメンバーと面識は無いのに。
(…)
 そして史緒は三高祥子のことを考えた。
 自分のこと嫌いみたい。
 自分の居場所を探してるような、孤独。
 でも外と関わっていたい、願望。
 不器用なコミュニケーション。
 おせっかい。
 必死。なにに?
 もがいている。
 もてあましている。自分のもうひとつの感覚器官。
 ───それらすべてひっくるめて、興味深い対象ではある。特に、あのちから。史緒はすでに使い道を見つけていた。
『史緒』
「なに」
『真琴もそうだけど、多分史緒のお仲間も、今回のターゲットのことすごく気にしてる。それが何でだが、わかる?』
「え?」
『それに気づくデリカシーが無いから、頭でっかちなお子サマだってゆーの。史緒は』
「藤子?」
 意味不明の國枝藤子の発言に疑問を返しても、満足に答えをもらえないまま、その日の電話は終わった。

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