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 阿達本家は東京23区内、さして高級でもない住宅街にささやかな面積で建てられている。
 古くもないし、豪勢な造りでもない。特に目立つこともない一軒家だ。
 門柱には一応「阿達」と記されているが、この家をADACHIの社長宅と思う人はきっといないだろう。 
 その代わり、というわけでもないが、阿達政徳は東京都内にいくつかのマンションを所有している。本人はそれらを点々とし、前述した家には滅多に帰らずにいる生活が、もう何年も続いている。他にも、税金対策で購入した別荘が日本中にある。家一件購入するのに齷齪働くサラリーマンには信じ難い話かもしれないが、こういった金持ちも確かに存在するのだ。
 そのうちの一つがある葉山に、今日、阿達史緒は訪れていた。


 花束は百合。
 石碑の前にそれを手向けると、史緒は黙祷した。手は合わせなかった。
 そこは砂利の林道を抜けた、人口芝の空間。遠くには人家も見えるが、これだけ自然に囲まれた場所を、史緒は他に知らない。上を見上げると緑の間に青空が覗き、太陽の光が射していた。
 ここは阿達家が所有する土地で、こじんまりとした別荘の、裏手の小高い丘を10分程歩くと辿り着く。
 今日───阿達咲子の命日には必ず東京で法事が行われるが、史緒は一度も出席したことがなかった。あえて尋ねたことはないが、篤志と司と蘭は、きっと顔を出しているのだろう。勿論、一条和成も。
 その日には、史緒は毎年、ここへ訪れている。彼女が好きだった花を持ち、彼女に、祈るために。
 阿達咲子はここに眠っているのだ。
 生前の咲子がそれを望んだとき、意外にも阿達政徳はすぐに頷いていた。咲子が亡くなったのは今から5年前のことだが、この両親の関係を、史緒は最後まで理解することができなかった。
「……」
 芝の上に座り込み、史緒は石碑にもたれた。
 目を閉じると、とたんに世界が広がるのを感じた。鳥のさえずりと、葉擦れの音が耳に触れてくる。
 日が暖かい。
 史緒、と。聞こえた気がした。分かってる。
 大丈夫。
 悲しみに溺れることはもう、ない。
 今はもう、色々なことを教えてくれたあなたに、感謝するだけだから。

「ごめんね、もう二度と会えないね」
 私を抱き締めて、咲子さんは言った。白い部屋で。
 いつも彼女が佇むベッドに私は腰をかけて、ただ、その力強さに驚いていた。彼女の細すぎる腕に、こんな力があるなんて思ってなかった。彼女は笑っていたけれど、その手が震えていたのを、今も覚えている。
「人と離れる悲しみを、史緒はもう知ってるでしょ? 悲しいのは辛いよね、…すごく、苦しいよね。ただ忘れないで、史緒には友達がいっぱいいるってこと。和くんも蘭ちゃんも、司くんも、ネコも、史緒の傍に居てくれてるでしょ?」
 咲子さんは私の肩を離し、微笑みかけた。
「あたしも、史緒の友達になれて良かった」
 優しい光の中で笑う。咲子さんは泣いていただろうか。
 それとも、私が泣いていたのだろうか。
 お願いだから、勝手なことは言わないで欲しい。
「幸せになってね。───…史緒」


 咲子さんは多分、私のことを何も知らなかった。
 私が見てきたもの、愛していたもの、憎んでいたもの。ずっと、抱えてきたもの。…そういう意味では、一条和成のほうが私を理解していたのだろう。
 でも、だからこそ、純粋に、私という存在を、愛してくれていたのだ。

 木陰を通り抜けてきたやわらかな風が、史緒の頬を撫でた。
 史緒は立ち止まり、振りかえる。新緑が息づく森林の中、日の光が眩しく輝いている。清々しい空気を胸に吸い込み、史緒は考えた。
 東京へ帰ったら、何しよう。
 そんな些細な、日常のことを。
 三佳は家にいるだろうか。篤志と司と蘭は今日は遅いだろうし、祥子は引越しの片づけが忙しいみたいで、健太郎は部活の新入生獲得に活き込んでると言っていた。
 史緒は目の前の風景に、眩しそうに目を細めた。
「…」
 数秒の後、史緒は踵を返し、その場を後にした。
 二度と振り返らなかった。


(どうして───…)
 怒りにも似た感情がある。
 時が経つにつれそれは収まってきたけれど。ほんとうに時折、胸の中で暴れだす。
 怒りと悲しみは、限りなく似ているのだから。


 どうして、勝手なことばかり。
 無責任に願い、そして微笑む。

 幸せになってねと笑った友達が居なくなった場所で、どうして私が幸せになれると。

 あなたは、思うのだろう。

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