キ/GM/11-20/18
≪3/4≫
階段を降りると、道沿いに停めた車の前に立つ関谷篤志の姿が見えた。
こちらも喪服で、長身のその肩に、束ねた髪がかかっている姿は何故か面白かった。司みたいに野暮ったさは感じないが、こちらは(三佳の私見を差し引いても)はっきり言って似合ってない。
篤志は司の隣に並ぶ三佳の見て驚いたようだった。
「何で、おまえが朝っぱらから司んトコにいるんだよ」
「余計な世話。私の勝手だ」
いつものことだが、三佳と篤志はあまり仲が良くない。司は2人の間に立って面白がっている節もあるが、今日は三佳の頭を撫でて、言葉による攻撃を宥めた。
運転席で笑う人物に気付いたからだろう。
「おはよう、和成さん。迎えに来てくれてありがとう」
ここではまだ、運転席に座る人物を特定する要因は掴めていなかったが、篤志からの電話で一条和成が一緒だと予告されていたので司は迷い無くその名前を口にした。
司の挨拶に、停まっていた車の運転席から人が出てきた。篤志よりは背が低い青年、髪を丁寧に撫で付けて、こちらも服装は以下同文。彼は一条和成という。
「おはようございます、司さん。それに三佳さんも、お久しぶりです」
落ち着いた笑顔で、彼は挨拶をした。
一条和成は、阿達政徳の───つまり史緒の父親の、秘書、という肩書きを持つ。今年27歳という若さのはずだが、昔は史緒の教育係をしていたこともあるとか。三佳は過去、一度会ったことがあるだけで、この人物の詳細を知らなかった。
和成と、それから司と篤志。この3人が並んでいる姿は、三佳の目に異様に映る。慣れていないせいも勿論ある。けど、三佳が司たちと出会うずっと前から、この3人が知り合いだったことを考えると、一種、不思議な感覚に囚われるのだ。
和成は僅かに膝を折って、三佳に話し掛けた。
「三佳さん。今日は、篤志くんと司さんを、お借りしますね」
「篤志はいいが、司はちゃんと返してくれ」
真顔で三佳が言うと、和成は軽く吹き出して、了解しました、と答えた。
司と篤志が後部席に乗り込む。和成も運転席に収まり、エンジンをかける。司はそれを待って、窓を開け、顔を覗かせた。
「じゃあ、行ってくるよ」
「…行ってらっしゃい」
視線を交わすなんて成立しないはずなのに、そんな気になって、三佳は司に微笑みかけた。
車は大通りのほうへ、走っていった。
それを見送って、三佳も、A.CO.の事務所へと歩き出す。
太陽が高くに上がっていて、気温が上昇しているのが分かった。もう、春なのだ。
近くの公園では、桜の木が芽を大きくさせていた。
(史緒の母親は、こんな季節に亡くなったわけか)
と、口には絶対しないことを考えた。
そして、先程見送った車の消え様を思い出した。
三佳は分かっている。
自分が入り込めない一線があることは、よく分かっているのだ。
史緒と篤志と司。彼ら3人の間に、その過去に。その、関係に。
だから三佳は、必要以上に知ろうと思わないように注意している。
でも司は、三佳が尋ねれば、ある程度は答えてくれる。
それが一番怖い。自分が咄嗟に尋ねてしまうことが怖い。司が正直に答えてくれてしまうのが怖い。
三佳は分かっている。
自分が誰より司の近くにいられるのは、自分が司の過去を知らないからだと。
分かって、いるのだ。
車が走り出してからも、先程の三佳の発言が面白かったのか、和成はくすくすと笑っていた。
和成は阿達政徳の秘書で運転手という肩書きは無いが、慣れた様子でハンドルを操作し、車を第一京浜に滑り込ませた。
「面白い人ですね」
と、ミラー越しに話しかける。司は軽く笑って、
「冗談じゃなく、あれは本気なんだよ」
と、言った。
「オイ、おまえが言うか」
と、隣からは苦々しい篤志の言。2人の会話を聞いて、さらに和成は笑った。それが収まった後で。
「───史緒さんは、今年もサボりですか」
と、誰にともなく尋ねる。答えたのは司だった。
「うん。朝早く出かけたらしいから、葉山に向かったんだと思う」
「例年通りだな」
毎年、阿達咲子の法事は、この季節、東京都内の某寺で行われる。集まるのは阿達政徳と、ADACHIの幹部数名、親戚筋、知人など。決して数は多くないが、顔ぶれは層々たるものだ。そしてこれは毎年親戚筋から非難されていることだが、毎年この日に、阿達咲子の子供が出席したことは一度もない。
「今日、蘭は?」
司は篤志に尋ねる。
「空港経由で先に行ってるはずだ。蓮家からも何人か来るらしい。…まさかあのじーさん、来日するつもりじゃないだろうな」
「それはないよ。もしそうだったら、もっと大騒ぎになってるだろうし」
司の言うことはもっともで、蓮家の総帥が来日するなどということになったら、世界の報道が黙っていないだろう。川口蘭の父親は、そういう人物なのだ。
運転席から和成が口を挟んだ。
「今日は、篤志くんのご両親もいらっしゃるそうですよ?」
「え。…あ、そうか」
一瞬だけ驚いて、でも結局篤志は納得した。
「そうだよな。…それを言うなら、今日、俺が出席する理由は何なんだろうな。俺は咲子さんと面識無いんだけど」
皮肉めかして、篤志は失笑する。
確かに、篤志の父親は阿達の遠縁にあたり、阿達咲子とは何度か面識があったようだが、篤志自身は一度も彼女に会ったことはない。今日という日に参加するには、理由が不透明なようだが。
運転席では和成が控えめに意見した。
「それは…しょうがないですよ」
「そうそう。阿達の一人娘の婚約者なんだから」
司は遠慮がなかった。篤志は少し不機嫌になって吐き捨てた。
「冗談じゃない」
うんざり、という言葉が伝わってくる。
阿達家のこのへんの事情は司もよく知っていた。
史緒の実父である阿達政徳は「ADACHI」という商標といくつかのブランドを持つ総合商社の代表取締役社長で事実上のトップである。一代で築いたそのグループは、90年代の経済不況に揺らぐこともなく、現在に至っても日本経済の柱の一つだった。
阿達政徳は突然ある日を境に、篤志と史緒にその財産を継がせると発表した。
周囲の反応は様々だったが、史緒は激昂して家を出て、篤志は適当に躱しながら今日まで来ている。
問題なのは、その日から2年経つというのに、阿達政徳が一向に諦める気配を見せないということだ。そしてこの静かなる騒動が収まらない原因の一つを、司は感じ取っていた。
「…いくつかあるけど、篤志がはっきり断らないのも問題だと思うよ。僕は」
いくぶん声のトーンを落として言った。
関谷篤志への引継は公式に発表されたものだが、本人には全くその気がない。しかし篤志ははっきりと拒否したことは無かった。だからADACHI側も期待を削がれているつもりはないだろう。発表を取り下げないのは当然かもしれない。
司の言葉に篤志は気を悪くした様子はなかった。
「今、俺が断ったって、あの人は別の人材を探すだけだ。今と何か変わるわけじゃない。それは俺達の望む生活ではないだろう?」
結局は史緒は引き戻されることになる。それは何の解決にもならない。
篤志がアダチの後継に選ばれたのは、ほんの少しの理由しかない。まず適当な年齢で、それなりの学歴で(卒業はしていないが)、それからほんの少しの、血の繋がり。
馬鹿げたことだと、篤志も史緒も思っている。
篤志が「俺達」という言葉を使った言外の意は司にも伝わっていた。
「史緒がA.CO.を立ち上げてから2年か。…早かったね」
微かに笑う。言いにくい話題でも無いのに何故か喉が渇いた。
2年という月日が長かったか短かったかは分からない。
でも早かったことは分かる。
今よりもっと堅物だった史緒が、声を震わせて頭を下げた。一緒に来て欲しいと言った。多分、あんな風に人に頼るなんてことは、彼女にとって後には数少なく、先には例がないのではないだろうか。
篤志は断らないだろうと分かっていたし、司自身、この2人が居ないあの家に興味がなかったから。
こうして、ここまで来た。
「お2人とも、社長の秘書である私の前で、そう無防備に会話しないでいただけませんか」
和成が困ったように笑った。同じ車中にいるのだから発言は筒抜けだ。ADACHIの後継問題など、また、それの裏情報など簡単に口にして欲しくはない。
「あんたは別。立場が曖昧だからな」
意外に思うほど、篤志は腕を組んではっきりと言った。司もそれに対し、特に意見しなかった。
和成は声色を変えずに聞き返す。
「何故? 私はいつでも、社長側の人間です」
篤志はそれに対し、何も答えなかった。司は微かな笑みを浮かべただけで、何も言おうとはしなかった。
車が目的地に滑り込んだとき、司は和成に尋ねた。
「和成さん。今日、一研の関係者は来ないんだよね?」
「───ええ。その予定はありません」
和成は司の質問の意味を分かっている。
そして、篤志も分かっていた。
「…おまえも、いい加減引っ張るね」
声だけで笑って、篤志は肩を揺らした。
「余計なお世話だよ。篤志」
司は、笑っていなかった。
窓の外では車の音に、阿達政徳が振り返ったところだった。
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